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   【Cat and promisE】

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 「思い出したよ。そういえば、約束したね……」
 「あー…忘れるとか不可能だろ。」
 満流が顔を上げると、守は少し困った表情をしていた。彼は本当に優しいんだ、気付いてしまうと、きゅっと胸が締め付けられる。
 「でも、誰にも言わないでいてくれたんだね。」
 「言えねぇよ。居場所が分かっただなんて言ったりすりゃ、イツが後先考えずに家飛び出すのなんか目に見えてるかんな。で、ハルさんから殺されかけんのは俺だ。」
 「アノヒト、未だに親バカなんだ。」
 「だな。イツは鬱陶しがってるよ。俺はキライじゃねぇけど。」
 「過保護だけど、怒るときはスゴく怒るでしょ。全部間違いじゃないから余計に腹立つんだよね。
 中卒で学歴も倫理もない、非常識な人間なはずなんだけどなぁ。」
 喋りながら、親のことでこんなに饒舌なったのはいつぶりだろうと思う。守の影から出、ポケットの携帯電話を取り出す。恐らく、ゲーム終了の合図はとっくに鳴り、ひょっとすると心配をかけているかもしれない。本部か誰かに、連絡する必要があるだろう。
 しかし、満流と伴に海水にどっぷり浸かった携帯電話は、当然何をしてもピクリともしなかった。
 「先輩、帰ろ。何時か分かんないけど、陽も殆んど落ちてるし、七時半くらいにはなってると思う。」
 茜色の空が海面に反射し、恐ろしい程眩しい。目を細めながら立ち上がり、手を差し出す。それを掴む手は満流のそれより一回り大きく逞しかった。

 ねえ先輩。スゴく我が儘なのは分かってるよ。でもね、この気持ちを許してほしい。
 何度でもあたしを救ってくれるこの優しい手に、もう少し長く触れていたいの。

 こんな気持ちは初めてだった。人生で、人を好きになる日が来ることなど、今の今まで考えた事もなかったのだ。
 彼が立ち上がると、自然な流れで触れていた手が離れる。軽くなった右手。また、きゅっと苦しくなる胸。
 「満流。」
 自分の名を呼ぶ守の声に、はっと現実に戻って振り返る。なにっ?気が抜けたような声色に、彼の顔面が緩んだ。
 「帰んだろ。腹減らね?」
 「空いた!今日の晩ご飯、何だろ~。」
 「王道にカレーだろ。なんでもいいや。俺、今日食えるだけ食わねえと、明日まともなもん食えそうにねえし。」
 「何で?あれ☆料理出来ない系?誰か出来るでしょ~。」
 夕陽が海面から消えるまでには、そう長く時間はかからなかった。みるみる内に闇が深くなっていく。夜。普段より暗く、孤独を権化した闇が広がる。
 在り来たりな話題、閑散とした砂浜に吸い込まれていく笑い声。心地よい時間だった。見えてくる宿の明かりを消してほしいと思うほどに。

 「テキトーに歩いてたのに、着くもんだねぇ。これぞ帰巣本能?あたしたち天才かも☆」
 「誰一人として迎えには来ねえ辺り、ウチのテキトーさが滲み出てんな。」
 「信頼されてんだよ~」
 暗闇に馴れない目を凝らし、手探りで周りの草木を分けて歩く。その手が彼に触れないよう、気を付けながら。触れてしまうと、きっと放せなくなってしまう。
 何があっても、どんな理由があっても、彼らとだけは深い関係を持つわけにはいかないのだ。未来の彼等の為に、自分自身の為に——渚や一流、守、そして彼等と親しい大介や乙とは、距離を置いておかなければ………。秘密を持つ者———満流を始め、槙、春野、その親たち———のみが知る、忌まわしい運命。“今度こそは”自分の未来を自分の手で切り開く。その為に枷となり得るものは、たとえ兄弟であれ、好きな人であれ断ち切るしかない。
 彼に触れるわけには、いかなかった。

 建物の中に入ると、満流は守と別れて部屋へと向かう。頭を乾かさなければ風邪をひいて寝込みそうだ。それに、塩で肌がべたべたしていて気持ち悪い。満流にとって、一食のご飯よりも身体の清潔感の方が重要な関心事だった。
 着ていた衣類は適当な袋に投げ入れ、付属のバスルームで全身を洗い流す。明かりも点けないままの狭い個室で、頭を打つシャワーは流れない涙の代わりに頬を伝う。まるで、人々が辛辣な感情を隠すために笑う、それのように。
 シャワーの水を止めたら、子供みたいに愚図るのはやめよう。笑顔の素敵な女の子に戻るんだ。余計な感情は、流れる水と供に流してしまえ。決意を固めて蛇口を捻った。
 風呂場から出ると、髪を乾かし食事もそっちのけで布団に倒れこんだ。
 まだ、“満流”を必要としてくれる人はいるだろうか。そもそも、本当にそんな人は存在していたのか。考えれば考える程、悪い方へ考えてしまいそうだった。
 自分を押し潰してしまいそうな不安、何か行動を起こすべきではないかと考えはじめるせっかちな頭。悲しい、苦しい、そんな感情が胸中には確かに眠っている筈なのに、いつからだろう、涙腺が緩むことがなくなった。

 「満流、いるの?」
 部屋の扉が、微かな音を立てて開く。
 「ああ、槙か。おかえり。ごめん、ご飯食べる元気無くって。」
 「全然気にすることない。事情は有田先輩から聞いたよ。海に落ちたって?満流最近余裕なさそうだけど、本当に大丈夫なの?」
 オレンジに似た明かりを背景に、槙の頭が少し傾いた。「余裕だよ」この暗闇と向きでは見えないだろうが、“余裕の笑顔”を作ってみせる。人前では無理をしてでも笑うのは、もはや癖となっていた。
 「職業病かな。」
 槙には聞こえない、黒い空気に吸い込まれるような小声で、ポツン、と呟いてみる。誰にも届きはしないと、分かっていながら。
 「ホント、無理して壊れないでね。」
 「だぁいじょーぶだって。心配性だなぁ~。」
 「もう、誤魔化さないでよ?満流、何があっても顔に出ないから分かんないんだから。」
 「んもぅ、あたしってば愛されてるなぁ~☆」
 苦笑気味に「もう」と膨れてみせるシルエット。数秒もしないうちにドアはパタンと言って締まり、黒いシルエットもその背景のオレンジも、真っ黒に塗り潰された。
 彼女が呆れたサインだ。彼女さえ誤魔化せれば、後は何の問題もない。誰にも弱味は見せずに済むはず。安心して眠りに就いた。

 次に目が覚めたのは、皆が床につき、すやすやと寝息をたてる真夜中。どうやら夜の学習時間には放置されていたらしい。しかし、少し寝たお陰で身体は俄然軽くなった。
 適当な私服に着替え、カーディガンを羽織って部屋を出る。夏と言えど、田舎の夜は冷える。カーディガンを羽織っても尚、少し肌寒く感じた。触れると分かる二の腕の鳥肌。
 ふと見上げると、木の枝に止まる“黒猫”の姿を見つけた。
 「なに?月見でもしてるの、はーちゃん。」
 声を掛けると、無愛想な“猫”が振り向く。
 「ああ、満流サン。単に気持ちよくってぼーっとしてただけで、別に深い意味はありませんよ。」
 「もしや人待ちぃ?」
 「人のハナシ、聞く気あります?まぁ、そんなとこですケド。
 ……ソウゲツさんの息子、当たり前だけど、デカくなりましたよね。五年前は、あんなに弱々しい優男だったのに。」
 「人間だからねぇ。大きくなるだろうさ。てゆか、有田先輩より、あたし達の方が若いしね☆」
 「それでも、何か変な感じデスよ。」
 二人きりになると、“猫”の話し方はいつも畏まる。柄にもない、片言な敬語。違和感があるが、そうしなければ彼女の気が収まらないと言うなら、仕方ないと思う。
 「先輩とも、そうやって話すの?」
 「敬語ですか?」
 黙って頷く満流に、彼女は満流の目を見て話す。
 「…——そうですね。満流サンが“あの二人”の娘として、敬意の対象として役不足でない様に、彼がソウゲツさんの息子として、申し分ない人物であれば。」
 「あの人何にも知らないから、きっと気味悪がられるよ。」
 満流が悪戯っぽい顔をすると彼女は、ご心配なく、と少し笑う。
 「それを説明するために、わざわざこんな時間に、彼を呼び出したんですから。」
 一語一語を確かめるように言う春野の声から余裕が顔を覗かせていた。「もう手遅れだよ」それを言外に伝えるかの如く。
 それまで虫の音と彼女の声だけを受け付けていた耳が、血の気が引く音をとらえたのはまさにそのタイミングだった。一瞬にして顔の筋肉から力が失われる。
 「まさか……全部!?話しちゃうの?はーちゃんが?」
 「あたしじゃないです。話すのは、ハルさん。来てるんですよ、知ってました?」
 言葉が途切れるのと、満流が走りだすのはほぼ同時。街灯のないこの島で、夜中に道を歩くのは不可能だ。何処がアスファルトで何処が土かなど全く見えない。
 それでも、男子達の泊まっている宿舎まで全力で走った。

 時間や昼間の疲れに対する労りなど気にせず、ドンドンと扉を叩く。一刻も早く、彼を起こさなければ。一刻も早く、彼を止めなければ………。
 木製の扉は、キイキイと鳴いて開いた。
 「何やねんこないな時間に………ミチ?」
 名前を呼び、はっとしたように口を押さえる。言った後になって、「満流と呼ばないで欲しい」と宣言されたことを思い出したのだ。しかし、満流自身は全く気に留めていなかった。
 「有田先輩はっ!?」
 「は………?」
 「ありたセンパイっ!!どこ?部屋!急ぎなの。お願い、教えて!」
 「え、守くんなら今此処に…」
 「どうした?」
 騒ぎを聞き付けた守が奥から顔を覗かせた。その更に奥には、渚の姿もある。
 丁度いい。ほっと胸を撫で下ろす。
 「センパイ、春野の呼び出しには…まだ?」
 まだだろう。“あの話”は、数時間ではとてもじゃないが終わらない。それに、もし“あの話”を既に聞いたのだとしたら、ただで還してもらえるはずがないのだ。
 「ああ、今から行くトコだけ——」
 行かないで。お願い、行かないで。守の腕の中で頭をクールダウンさせながら、自分が告白めいた言い方をしていることに気付く。動揺していたのだ。
 落ち着きを取り戻した満流を放しながら、彼は「分かった」と、そう言った。




 勿体を付けるのはやめにして、秘密裏に真実を証そう。
 有り得ない再開を果たした双子と幼なじみ、何故か色々の情報を持つ不思議なクラスメイト、吸い寄せられるように“三度”の出会いを経験した男女。やれば大抵のことを難なくこなす天才と、それに執拗にこだわる学校一の秀才。因縁としか思えない、偶然の数々。
 果たして、それは真に偶然なのか?はたまた、必然なのか————。
 彼等はいつだって“失望”という名の涙と隣り合わせで、いつだって立ち上がってきた。



 まずは、語り損じている彼等の“初めての”出会いについて。
 モデルとしてカメラの前に立つ小学五年生の少女と、ぶっきらぼうなりに幸せに暮らす小学六年生の少年の話。思い出すには勇気のいる、残酷な過去———彼の目が荒んでしまった理由。そして、彼女に優しくせずにはいられない理由。

さあ、ガチガチに固められた鎖の南京錠を外す時が来た。