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 “Conceal to disclosE”

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 有田霜月。彼が妻と娘を引きつれこの世を去って丸二日。
 彼の死を全く予知出来なかった事を誰より恥じていたのは、彼に最も近い環境を持っていたミキだった。
 本当ならば、誰よりも早く彼のプレッシャーやストレスに気付かなければならなかった。自分ならば彼を止められたはずなのだ———何度も何度も、嬲るように自分に言い聞かせる。お前は、結局何も出来ない無力な人間、否、人を追い詰める死神そのものなのだ、と。

 メグムが仕事を終え、もうじき夕食を採りに店に訪れる頃だ。いつものことだが、槙も早々店に下りてきている。水道からザァザァと流れ出る水が氷水のように冷たく、ひび割れあかぎれとなった皮膚に凍みる。
 閉店後店内を片付ける最中引き戸が荒々しく開き、その音に思わず肩に力が入った。
 『あらメグム。もう帰って来てたのね。お帰りなさい。』
 ただいま、不機嫌を剥き出しにしたまま、メグムはミキを見上げる。母親に似た、力強く鋭い視線。その目が猛烈に批判を述べている。嫌な沈黙だ。
 槙もその異変に気付き、不穏な空気に口を開けずにいた。こんなに荒々しい彼女は、初めて目にするはずだ。槙に構わず、重たく響くような冷静さを持った声がミキを非難する。
 『…どういうこと?ママ。』
 引きつっていた口元が歪み、少女の敵意が牙を剥いた。
 『最低だよ。“そっち”の事情に関係ない人まで巻き込んで。世界が許したって、あたし許さない。あの人達が何したの?どうしてあんな事になったの?あの子はこれから…———』
 『待って満流。私、ハナシに付いていけない。』
 槙の声に、意表を突かれたように増す一方だった勢いが止まる。感情任せに言葉を発していたのだろう。ふいに緊張が舞い戻ってきて、店内が静寂に包まれる。チカチカと鳴く時計の秒針。満流が有りったけの脳をフル機動させて繕う言葉を探す。
 しかし、ミキは心を決めた。
 もう、後戻りは出来ない。来るべき時が来たのだ。足音をたて、こちらへ分かるようにはっきりと。
 『槙。ニュースは毎日、見てるわね?』
 恐る恐る頷く我が子。明日、彼女にはいつも通り朝が訪れるだろうか。満流はミキを止めようとしたが、ミキの“本職”用の顔で黙らせる。どんなに賢くとも、どんなに優秀な血が流れていようとも彼女は子供。知識や勢いよりも、経験値がものを言った。

 今話題となっているニュースといえば、政治家の汚職事件、アイドルの結婚事後報告、米軍基地の移転問題、そして
 『今世間を一番騒がしてることよ。“大型犯罪グループカルトの一員が家族と無理心中した”。有田くんは、あきらちゃんの後輩なの。意味は、分かるわね?』
 槙の優し気に垂れた目が大きく見開く。全身がその言葉を拒絶していた。
 『……でも、犯人の有田霜月はあきらちゃんより歳上で後輩って歳じゃないし、あきらちゃんは看護師さんでしょう?ニュースでは、有田霜月は八百屋をやってたって………』
 『それは副業。本当の仕事の他に、お金を貰うために別の仕事をする事。
 有田くんもあきらちゃんも、本当の仕事をカモフラージュするためにそれぞれ八百屋や看護師をやる。あきらちゃんだけじゃないわ。満流の本当のご両親も……お母さんもそう。“そういう家系”に生まれ育ったの。』
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。心の中で繰り返し、真っ直ぐ自分に視線を注ぐ娘から目を逸らす。夫との離婚を告げた時より数段歪んだ顔を、直視する勇気が無かったのだ。
 ちがう。槙は、駄々をこねるように声を挙げた。
 『ウソ!そんなでたらめ、私には通用しないんだからねっ!!カルトは外国人ばっかりだって、私ちゃんと知ってるんだから!』


 幼少時、槙は満流の様に両親から多くを望まれることはなかった。そんな中、世界の経済や事件だけはいつ何時何を聞かれようとも答えられるように、それだけが強いられたのだ。
 年月が変わるに連れ、日本に限らず世界の事情が次々変化していく。一日の内に数えきれない程の生命が誕生し、この世を去っていくように、ニュースも留め処なく情報の入れ代えが繰り返されている。
 正体不明の犯罪組織、カルトの名が挙がるニュースは、他に例なく“昔から絶えず”よく見掛ける。未解決の事件が起これば全てカルトの仕業と言われ、事件が起こらずとも彼らの正体について何かと報道が流されるほどだ。
 大概報道ネタも底を尽きたのか同じ内容の放送が繰り返され、長年ニュースにかじり付いてきた槙は彼等について分かっていることなら大体暗唱出来る。
 凡そ五十三人、世界中から有能な人材が集結し出来た。トランプに因んでメンバーは肩にトランプの絵柄を象った刺青。警察の初見では、親から子へと受け継がれており、百年以上前から不断の存続を続けている。しかも、これだけ長い時間を掛けていながら、未だにメンバーを生け捕れた例はないという。
 このニュースを聞くたび、満流が嫌な顔をしていたことを思い出す。またアイツラか。そう言ってニュースの批評を始める。『あれは多分そういうことじゃない』『アイツらがそんな不細工な事件起こすかなぁ。』『ケーサツは目がクサってんのかな』
 彼女は英才教育を受け、自分より優秀で博識であることは百も承知。しかし、思えばそれにしてもカルトについては異様に詳しかった。まるで、警察や報道より彼らを知ってるかのように。

 『ウソ……うそよ………ねぇお母さん。嘘って言って。冗談だからって、笑ってよ…』
 槙の自信が急に無くなったのは、物心ついた頃から母親と風呂に入った記憶が無かった為だ。母親の肩や地肌に関する記憶は一つもない。手から抜けてゆく力、震える肩。母親の口に笑みがこぼれる事を切望する。
 『————っ…』
 ミキが口を開こうとした瞬間、初めの一音が出るか出ないかの絶妙なタイミングでマナーモードの携帯電話が震えた。画面は従姉妹である明からの電話を差す。机上のそれを手に取り、無言で奥の部屋へと入っていく。

 『…はい。』
 —おー、美樹?—
 『その声は葉流さんかしら。』
 —うん、そう。今、何してた?ウチは明と流と飲んでた。—
 『槙と話してましたよ。私たちについての。彼のこと満流さんに釘を刺されちゃって、隠し通すのも限界でしょうと思って。嘘だって完全否定されちゃいましたけどね。』
 —あーあ。まぁ、槙ちゃんも再来年には中学生だもんねぇ。仕事柄、あんまり家空けらんないし。でも美樹。分かってると思うけど、あの二人は—
 『大丈夫です。喩えあの子が協力的でなくとも、これで私は彼より図太く出来ているんで。簡単に折れたりしませんし、親としてあの子の管理はちゃんと出来ます。それより、今日葬式だったんですよね。今夜は泊まりですか?』
 昔から、組織内の葬儀は仲間内だけでこっそりと行う。現在の満流の父親、小桜総吾の経営するマンションに扮したカルト上層部の別宅で。あそこには組織の活動を支えるものほとんどが備わっており、葬儀所や会議場、住居もまた然り。実は、満流が住むあの家に、彼女の真の両親は度々足を運んでいるのだ。
 —そうそう、総吾んトコ。“あの”灰な、海に撒くことにした。守のこともあるし、ちゃんと回収出来て良かったよ。
 全く派手にやってくれたわ………そうなる気持ち、分からんでもないけど。ウチかて嫌やもん、あの子等にこないなことさせるの。出来ることなら時間を止めたいくらい—
 『だけど、親としてやることはやってる辺り、やっぱり貴方らしいですよね。ふふ。』
 —まだまだクタばる気は無いけど—
 『ええ勿論。私だって当分現役をやめるつもりはありませんよ。風雲児が現れることを信じて、ギリギリまで粘ります。』
 —ははっ。アクマで人任せなんやなぁ…—
 彼女は酒に強いはずだが、余程酔っているのか仕事用の電話にも関わらずよく喋る。珍しいことだ。原因は疲れか、若しくは虚空な胸の内か。受話器の向こうから彼女の夫が切断を促す声がするが、もう何の反応もなかった。携帯を握ったまま眠りに就いたらしい。
 何の前触れもなしに電話は切れた。
 『霜月の遺骨処理、零時』日常会話に置き換えられた事務連絡を反芻する。明日は店を休むことになりそうだ。

 『コーちゃん、お母さん今からちょっと出るから。メグム、厨房は好きに使っていいから。コーちゃんの分もお願い。』
 元の部屋の重たい空気。なるべく二人とは目を合わせないよう、美樹は早足でドアへと進んだ。
 『あの人達によろしく。スゴく怒ってたって、伝えといて。』
 満流の声にはもう鋭さや冷たさは無い。その代替として、彼女が落ち込んでいるのが表情から見て取れた。下がった眉、伏せられた瞼、肘を付き小さくまがった背中。小学五年生が受け止めるには、あの事件は重すぎたのだろう。
 小さな身体を二つ残し、美樹は自分の家を出た。

 薄明かりの店内、槙に背を向けた満流がフライパンを振るう。一体、一般家庭にあるものよりずっと重たいあの器具を操る力が、あの細い腕の何処にあるのだろうか。ぼんやりと背中を見つめ、そんな取り留めのないことを考えていた。
 『……ごめん。』
 不意に、満流が口を開いた。
 暗く、沈んだ声。初見以来の暗さだ。
 『なんで?謝るようなこと、満流は何にもしてないでしょう?』
 『だって、あたしが余計なこと言っちゃったから槙は嫌なこと聞いちゃったでしょ。』
 無神経だった。満流の力ない背中が言ったその言葉に、はっとして気付く。彼女の元の両親も“そう”だった、母は、確かに言っていた。焦る気持ちに、自然と声が荒ぐ。
 『ねえ、満流は一体いつから知ってたの?』
 『……小…二から?こっちに来る途中に聞かされたから。』
 『小二………』
 満流が初めて槙の前に現れたあれ以来、彼女が辛いときはいつも支えるつもりだった。支えているつもりだった。しかし、守られているのは槙の方だったのだ。耳障りな時計の音。何が何だか分からなくなる。
 『お母さんが犯罪者で、私も満流も犯罪者のコドモ?もし仮にそれが本当だとして、お母さんたちは何をしてるの?いつの間に?だからお父さんはいなくなったの?
 何にも知らなかったよ。私が知ってるお母さんはいつもお店にいるし、スゴく優しいくて、カルトみたいに悪いことしない。何処にでもいる普通の女の人。だけど悪い人なの?警察の予想があってたら、私たちもそうなるの?満流は知ってて、隠してた?
 私は満流を悲しさから守るつもりだったのに、満流の方が私を守ってて、悲しい思いをさせてるのも私?』
 分かんないよ。分かんない。どうして?枯れ始めた喉から、何度も声を絞り出す。泣き喚きたい気持ちが腹の底から沸き上がって来た。
 『ちがうよ。あの日からずっと、あたしが普通に出来てたのは槙が隣にいてくれたからなんだよ?槙は、現実からあたしを守ってくれてた。
 あたしが隠してたのは、槙にママを嫌いになってほしくなかったから。あたしが自分の両親を恨んだみたいに、槙がママを恨んでこの家庭が壊れてく所は見たくない。ねえ槙。ママ、優しいでしょ?何も知らなきゃ、槙の言うとおりあの人たちも“普通の人”。そこだけは忘れないで。確かにスゴく悪い人だけど、槙のお母さんはママだけなんだから。』
 『ママたち、いつか捕まるの?』
 『カルトは国連が存在を認めてるの。アメリカとか、フランスとか強い国のトップがカルトを使ってる。あいつらはお金さえ払えば悪いこともするけど、いい事もするからね。それに、仕事の事後処理とか、組織としてよくできてるから簡単には捕まらないと思う。
 多分、将来あたしたちも“仲間入り”しなきゃいけなくなると思う。』
 満流がカウンターに寄り、素人が作ったものとは思えないほど見事なオムレツの乗った皿を二つ置く。暖かく食欲のそそる匂いがした。

 でも、槙の未来はあたしが守るからね。

 力強い横顔を、いつまでも忘れられない。
 『うん。満流の未来は、私がまもるよ。』