*~*~~*~*~*~~*~*
【DeaR】
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降っては止み降っては止みを繰り返し、明るくなり始めると漸く日が差してきた。結局一晩帰ってこなかった満流と春野。その脱け殻をぼんやりと眺める槙。溢す様に溜め息を吐き、執拗に鳴り続ける携帯電話を布団に倒れこんで無視する。
今、あんたの相手をする気分になれないの。
画面を覗き、何のボタンも押さずパチンッと音を立てて閉じた。同じアドレスから何度も掛かってくる電話。知らない番号だが、相手は大体予想できるので無視し続けていたのだ。どうせ大した内容ではないし、しつこいからといって呼び出しに応じたら負けな気もした。“何に”ということはないが。
枕元にまで響くバイブ音が耳に触る。次の瞬間には、何かが切れていた。
寝返りをうつと振動の源となっている媒体を掴み、当て付ける様に強くボタンを押す。
「もう、なんなの!?そんなに暇!?こっちの迷惑も考えてよ!私は春野の場所も満流の場所も知らないからね、本当に何も聞いてないんだから。」
『はぁ…?満流なら、ここに居るけど?』
電話口から流れてきたのは、聞いたことの有るような無いような、機械によって少しだけ変声された渚の声だった。受話器を通すと、人の声は判別しにくくなる。生身の人間と話すときとは別に、顔と声とを一致させるのは結構な労働だ。人数が多い分、余計に。思考回路に火をつけ、漸く相手を限定する。
「ああ…渚?ごめん人違いだった。」
『気にすんな。今日の俺は機嫌がいい。因みに満流は今、俺らの部屋だ。』
渚の声が、明らかに弾んでいる。満流と春野の両方が姿を見せない時、大抵善くないことが起こる。今回も何か善からぬことを起こそうとしているのではないだろうかと危惧していたが、そうでもないらしい。槙はホッと息を吐いた。
「あぁ、そう。ならいいわ。」
『いやいや、良くねえだろ。酒癖悪すぎだよこいつ。俺らの部屋で大暴れした挙げ句、騒がすだけ騒がして寝付きやがった。』
苦笑する渚の顔と共に、顔を赤らめ男たちを翻弄する満流の姿を思い浮かべる。頬を染め俯き加減に辟易する思春期少年ら。さぞ驚いたことだろう。
「こら未成年。私のカワイイ満流に何するの。あの子、お酒弱かったでしょう。缶一本で二日酔いになるんだから。」
『安心しろ。コップ一杯で酔っぱらい出したからすぐ取り上げたよ。』
奥の方から、騒ぎ立てる男子たちの嬉しげな声と足音が微かに聞こえる。壁を隔てているのだろうか、そう大きくはない。彼らがハイになっている様子が伝わってきたが、一流が居る限りは満流の身にも心配はいらないだろう。
陽気な声が漏れてくる度、槙はおかしくて笑いそうになった。
「あんたたちも未成年でしょう。早死にしたら明ちゃんが泣くわよ。せっかく出来が悪いあんたを、途中で捨てずに育ててやったのにって。」
『早死にすること前提かよ。つうか悪かったな!出来の悪い奴で!俺の出来が悪いんじゃなくて、お前らが異常なんだよ。俺は至って普通だ。』
「…まぁ、あながち間違いではないわね。正解でもないけど。私たちは確かに異常よ。“普通”より努力してるし“環境”もある。だけど、環境があるのはあんたも同じなんだからね。それを活かす才能はないみたいだけど。」
親しい相手に対し、槙は決して情け容赦をかけない。「うるせーなぁ」と答える渚も、そこは諦めている筈だ。そこから先、お互い同じ話題を続けようとはしなかった。
『で、満流、熟睡中でうんともすんとも言わねえけど、どうしたらいい?朝飯ん時連れて行こうか。』
「いや、ギリギリまで寝させてやってくれる?連れて行ってもどうせ何にも入らないだろうから。多分、目が覚めたら勝手に戻って来るしね。出来れば………」
ある提案を思いつき、しかしそれは相当な我儘で自己中心的な考えだと思い直して言を止める。こんなの単なる自分のエゴだ。
続きを促す渚。何でもないと答えると、腑に落ちない様だったが、やがて『あ、そう』と返事を返した。
カーテンの隙間から差してくる光が眩しい。
ぷつり
小さな音を立てて電話が切れた。数時間前の出来事を言うべきか否か迷いながら、結局彼女に伝えることが出来なかったことを、少しだけ悔いる。後でばれたほうが、より陰湿に詰られそうだ。このもの言わぬ機械、口に出さずとも伝えてくれればいいのに。考えても仕方の無いことを延々と脳裏に並べる。
「言わへんかったな、その顔は。」
背後の声に胸が疼く。
「言う側にもなってみろ。怖えんだぞ、あいつ。」
「満流にぞっこんラブやしな。」
「だろ?『守くんにくっついたまま離れません』なんて言ったら泣きそうだな。」
きっと、泣きながら殴る…俺を。そう続けようとして、やはり思い止まった。
「てか、問題はそこ違うやん。」
窓を開けに行った一流が向き直る。そう、本当に伝えるか否か迷うべきはそんなことではない。本当は五百の缶を半分ほど満流が飲んだことや、守にしがみ付いたまま眠ってしまい放さないこと、あまりに無防備な寝顔に彼女が名前も知らない様な男子がキスをしてしまった事、ネジが外れたように常日頃の愚痴を漏らしていた事なども、“あれ”に比べれば大事ではない。寝惚け、酔い、嘲るように投げ出された彼女の“告白”。
『あたしの命、あとちょっとなんだよねぇ』
自分の余生の短さを、板に付いた笑顔で語る彼女。冗談ともとれる。実際、その場の殆どの人間が冗談としてその言葉を受け入れたのだ。ただ一人、守以外は。
「守くんは、何であれがホントだと思ったんだろうな。」
「勘やろ。いつものことやん。あの人はいっつも、他人の感情を敏感に感じてる。過剰な程に、反応する。」
不良みたいな目付きのくせに、“見る目”だけはあるんだよな。そう言って一度曇らせた表情をすぐに戻し、そこいらに転がる酒臭い物体を笑いながら蹴り起こす。二人が話している僅か数分の間に、彼らは寝息を立て始めていたらしい。欠如した睡眠を少しでも補おうとしたのだろうが、もう朝食時だ。起こさなければ同じ班の女子を困らせることになる。
眠た気な彼らを乱暴に起こし、部屋から押し出す。
問題は、目を覚ましているにも関わらず、起き上がらせてもらえない守だ。
「正に抱き枕っすね。」
「イツ、これが守くんじゃなかったら殴ってただろ。」
渚が言うと、彼は何も言わず静かに笑みを浮かべた。
寝起きの悪さをいいことに、一流が無理矢理二人を引き剥がす。守が彼女から離れたことを確認すると、隣にまで響きそうな大声を出す。
「いぃーかげんに……起きろやボケェェぇえええッ!!!!」
「わあぁぁ!」
懐かしい、光景だった。
そう、これは、かつて彼と彼女が繰り返していた朝の挨拶。寝起きの悪い一流を、彼女は毎朝こうしてたたき起こしていたのだ。
近所の迷惑も考えない、やや乱暴な一日の始まり。
彼が二人の関係を取り戻そうとしているのが分かり、胸が苦しくなった。
満流、解るだろう?一流は、お前が可愛くてしょうがないんだよ。
耳を押さえ目を丸くする満流と、悪戯に微笑む一流。やがて彼の左手が動き、「おはよう」と言って立ち上がった。
「………?」
「おはよ、ミチ。二日酔いにはなってないか?」
「……あたし、いつの間に…や、てゆか…何で渚が?」
「そこからかよっ!」
酒が入った辺りからの記憶はないかもしれないとは思っていたが、まさかここへ来たことすら覚えてないとは。
「夜中フラフラ遊びに来て酒飲んで寝てたんだよ。」
守が要約して教える。かなり簡略化された文章になっていた。腑に落ちないのか、満流は難しい顔で周りを見渡す。汚い部屋。自分がやったということも忘れ、彼女はそう言って散らかった室内を笑った。
「ごめんねぇ。夜中にお邪魔しちゃったみたいで。お酒飲んだ後、手、付けらんなかったでしょお、あたし。」
たまにやっちゃうんだよねえ。悪びれる様子もない軽い調子。数時間前の騒動や奇怪な発言が嘘みたいだ。
「守くんに抱きついたまんま寝てた。」
「お陰で俺はよく眠れなかったよ。」
「一流がヤキモチ妬いてたぞ」
「あらまぁ。そりゃあ迷惑おかけしましたっ。ごめんねぇ、大好きな先輩独り占めしちゃって☆」
反省しているのかいないのか。恐らく、全くしてないだろう、そういう顔をしていた。窓から差す光で笑顔が包まれる。眩しくて視線をしたにずらすと、今まで目を向けなかった彼女のTシャツに、筆記体で“sunshine”と綴られていることに気づいた。
なる程、通りで眩しいわけだ。
【sunshine】
日光,日ざし,太陽光線;
晴天,好天気;
日なた,日だまり;
輝き,快活,陽気;
晴れ晴れさせるもの.
清々しい程容易に、彼女は意味のない法螺を吐く。彼女が何かを言う度、それが嘘だという可能性に目を向けなければならない。そうだ、嘘だったことにしよう。“あれ”は彼女の悪い冗談だ。守はああ言っていたが、気にしない方がいい、渚はそう思ったかった。
満流は乱れていた髪を結いなおし、散乱しているものを簡単に片付けて部屋を離れた行く。 平気そうに笑っているし、どうやら二日酔いの心配もなさそうだ。
キイイィィ、パタン。彼女が出ていく音を、一流は無表情に眺めていた。
「…渚」
“さっさと出てこい”という槙のメールに応じ、待ち合わせた食堂入り口に向かう。その途中、なんの前触れもなく一流が言った。
「俺等の知らへん所で、いろんなことが起こってるんやな。
俺、守くんが黙って他人に抱きつかれてるとこなんか初めて見たで。今までは、告られても即拒否するか、すぐ手出して相手泣かせるかやったのに。」
「それは単にお前の妹だからじゃねえの?気分じゃなかったとか。」
「せやから、俺、確かめてみてん。“本気になった?”って。や、最初はほんまに冗談で聞いた。」
「守くんは?」
「『ああ、それも悪かねえな』やて。ありゃ完璧、本気。」
「守くんの本気、なぁ。複雑か?」
生まれてこの方、サッカー以外には決して本気にならなかった守。一流がいつだって一番に敬い、何よりも優先してきた人物。——彼が、妹に対して本気になろうとしている。敬愛に値する恩人と、半生を共に過ごした妹。一流に、どんな影響を与えるのだろうか。
暗い返答も予想していたが、返ってきた言葉は案外淡泊なものだった。
「いや。流石にそこまで干渉するほど入れ込んでないで、どっちにもな。」
そこで一度会話を切る。窓から外の景色に目をやると、都会では見ないような虫が窓に付いている。木の間から覗く澄んだ青空。ぼんやりそれを眺めながら、ただ…、と続けた。
「ほんまに満流がもうちょっとしか生きられへんのなら……まぁ俺にとっては面白ないわな。守くんの泣き顔なんか、見たぁない。」
「確かにな。」
窓についていた虫が飛び立ち空の彼方へでも行ったのか、二人の視界から消える。木の葉がさやさやとなく。
「でもやっぱり俺は複雑だな。
守くんにも満流にも悪いことではないと思う。お互い気持ちがあんだからさ。幸せになんのは結構。だけど俺たちが八年かけても成し得なかったことを、会って数ヶ月のあいつが成したってのが癪だよ。」
廊下の向こう側で、食堂入り口前に立った女子が二人に向かって手を振る。
いつか、彼女の化けの皮が剥がれる日も来るのだろうか。あの顔から、笑顔が消える日が来るのだろうか。
そんな疑問を一流に呟くと、彼は得意げに笑っていた。
「そないなこと、守くんがさせへんよ。あの人が“本気なる”いうんは、そういうことやろ。それに、満流には唯間も渚もいてる。」
「………ああ。お前もな。」
「やー、俺はええわ。ほかにもっと大事にするモンあるさかい。」
「はぁ……あー、守くん?好きやなぁ。」
「おっ。渚の方言、久々に聞いたわ。」
「ちょっ、さり気に話題をずらそうとすんな!」
笑う。一流が走り出した。
【DeaR】
*~*~~*~*~*~~*~*
降っては止み降っては止みを繰り返し、明るくなり始めると漸く日が差してきた。結局一晩帰ってこなかった満流と春野。その脱け殻をぼんやりと眺める槙。溢す様に溜め息を吐き、執拗に鳴り続ける携帯電話を布団に倒れこんで無視する。
今、あんたの相手をする気分になれないの。
画面を覗き、何のボタンも押さずパチンッと音を立てて閉じた。同じアドレスから何度も掛かってくる電話。知らない番号だが、相手は大体予想できるので無視し続けていたのだ。どうせ大した内容ではないし、しつこいからといって呼び出しに応じたら負けな気もした。“何に”ということはないが。
枕元にまで響くバイブ音が耳に触る。次の瞬間には、何かが切れていた。
寝返りをうつと振動の源となっている媒体を掴み、当て付ける様に強くボタンを押す。
「もう、なんなの!?そんなに暇!?こっちの迷惑も考えてよ!私は春野の場所も満流の場所も知らないからね、本当に何も聞いてないんだから。」
『はぁ…?満流なら、ここに居るけど?』
電話口から流れてきたのは、聞いたことの有るような無いような、機械によって少しだけ変声された渚の声だった。受話器を通すと、人の声は判別しにくくなる。生身の人間と話すときとは別に、顔と声とを一致させるのは結構な労働だ。人数が多い分、余計に。思考回路に火をつけ、漸く相手を限定する。
「ああ…渚?ごめん人違いだった。」
『気にすんな。今日の俺は機嫌がいい。因みに満流は今、俺らの部屋だ。』
渚の声が、明らかに弾んでいる。満流と春野の両方が姿を見せない時、大抵善くないことが起こる。今回も何か善からぬことを起こそうとしているのではないだろうかと危惧していたが、そうでもないらしい。槙はホッと息を吐いた。
「あぁ、そう。ならいいわ。」
『いやいや、良くねえだろ。酒癖悪すぎだよこいつ。俺らの部屋で大暴れした挙げ句、騒がすだけ騒がして寝付きやがった。』
苦笑する渚の顔と共に、顔を赤らめ男たちを翻弄する満流の姿を思い浮かべる。頬を染め俯き加減に辟易する思春期少年ら。さぞ驚いたことだろう。
「こら未成年。私のカワイイ満流に何するの。あの子、お酒弱かったでしょう。缶一本で二日酔いになるんだから。」
『安心しろ。コップ一杯で酔っぱらい出したからすぐ取り上げたよ。』
奥の方から、騒ぎ立てる男子たちの嬉しげな声と足音が微かに聞こえる。壁を隔てているのだろうか、そう大きくはない。彼らがハイになっている様子が伝わってきたが、一流が居る限りは満流の身にも心配はいらないだろう。
陽気な声が漏れてくる度、槙はおかしくて笑いそうになった。
「あんたたちも未成年でしょう。早死にしたら明ちゃんが泣くわよ。せっかく出来が悪いあんたを、途中で捨てずに育ててやったのにって。」
『早死にすること前提かよ。つうか悪かったな!出来の悪い奴で!俺の出来が悪いんじゃなくて、お前らが異常なんだよ。俺は至って普通だ。』
「…まぁ、あながち間違いではないわね。正解でもないけど。私たちは確かに異常よ。“普通”より努力してるし“環境”もある。だけど、環境があるのはあんたも同じなんだからね。それを活かす才能はないみたいだけど。」
親しい相手に対し、槙は決して情け容赦をかけない。「うるせーなぁ」と答える渚も、そこは諦めている筈だ。そこから先、お互い同じ話題を続けようとはしなかった。
『で、満流、熟睡中でうんともすんとも言わねえけど、どうしたらいい?朝飯ん時連れて行こうか。』
「いや、ギリギリまで寝させてやってくれる?連れて行ってもどうせ何にも入らないだろうから。多分、目が覚めたら勝手に戻って来るしね。出来れば………」
ある提案を思いつき、しかしそれは相当な我儘で自己中心的な考えだと思い直して言を止める。こんなの単なる自分のエゴだ。
続きを促す渚。何でもないと答えると、腑に落ちない様だったが、やがて『あ、そう』と返事を返した。
カーテンの隙間から差してくる光が眩しい。
ぷつり
小さな音を立てて電話が切れた。数時間前の出来事を言うべきか否か迷いながら、結局彼女に伝えることが出来なかったことを、少しだけ悔いる。後でばれたほうが、より陰湿に詰られそうだ。このもの言わぬ機械、口に出さずとも伝えてくれればいいのに。考えても仕方の無いことを延々と脳裏に並べる。
「言わへんかったな、その顔は。」
背後の声に胸が疼く。
「言う側にもなってみろ。怖えんだぞ、あいつ。」
「満流にぞっこんラブやしな。」
「だろ?『守くんにくっついたまま離れません』なんて言ったら泣きそうだな。」
きっと、泣きながら殴る…俺を。そう続けようとして、やはり思い止まった。
「てか、問題はそこ違うやん。」
窓を開けに行った一流が向き直る。そう、本当に伝えるか否か迷うべきはそんなことではない。本当は五百の缶を半分ほど満流が飲んだことや、守にしがみ付いたまま眠ってしまい放さないこと、あまりに無防備な寝顔に彼女が名前も知らない様な男子がキスをしてしまった事、ネジが外れたように常日頃の愚痴を漏らしていた事なども、“あれ”に比べれば大事ではない。寝惚け、酔い、嘲るように投げ出された彼女の“告白”。
『あたしの命、あとちょっとなんだよねぇ』
自分の余生の短さを、板に付いた笑顔で語る彼女。冗談ともとれる。実際、その場の殆どの人間が冗談としてその言葉を受け入れたのだ。ただ一人、守以外は。
「守くんは、何であれがホントだと思ったんだろうな。」
「勘やろ。いつものことやん。あの人はいっつも、他人の感情を敏感に感じてる。過剰な程に、反応する。」
不良みたいな目付きのくせに、“見る目”だけはあるんだよな。そう言って一度曇らせた表情をすぐに戻し、そこいらに転がる酒臭い物体を笑いながら蹴り起こす。二人が話している僅か数分の間に、彼らは寝息を立て始めていたらしい。欠如した睡眠を少しでも補おうとしたのだろうが、もう朝食時だ。起こさなければ同じ班の女子を困らせることになる。
眠た気な彼らを乱暴に起こし、部屋から押し出す。
問題は、目を覚ましているにも関わらず、起き上がらせてもらえない守だ。
「正に抱き枕っすね。」
「イツ、これが守くんじゃなかったら殴ってただろ。」
渚が言うと、彼は何も言わず静かに笑みを浮かべた。
寝起きの悪さをいいことに、一流が無理矢理二人を引き剥がす。守が彼女から離れたことを確認すると、隣にまで響きそうな大声を出す。
「いぃーかげんに……起きろやボケェェぇえええッ!!!!」
「わあぁぁ!」
懐かしい、光景だった。
そう、これは、かつて彼と彼女が繰り返していた朝の挨拶。寝起きの悪い一流を、彼女は毎朝こうしてたたき起こしていたのだ。
近所の迷惑も考えない、やや乱暴な一日の始まり。
彼が二人の関係を取り戻そうとしているのが分かり、胸が苦しくなった。
満流、解るだろう?一流は、お前が可愛くてしょうがないんだよ。
耳を押さえ目を丸くする満流と、悪戯に微笑む一流。やがて彼の左手が動き、「おはよう」と言って立ち上がった。
「………?」
「おはよ、ミチ。二日酔いにはなってないか?」
「……あたし、いつの間に…や、てゆか…何で渚が?」
「そこからかよっ!」
酒が入った辺りからの記憶はないかもしれないとは思っていたが、まさかここへ来たことすら覚えてないとは。
「夜中フラフラ遊びに来て酒飲んで寝てたんだよ。」
守が要約して教える。かなり簡略化された文章になっていた。腑に落ちないのか、満流は難しい顔で周りを見渡す。汚い部屋。自分がやったということも忘れ、彼女はそう言って散らかった室内を笑った。
「ごめんねぇ。夜中にお邪魔しちゃったみたいで。お酒飲んだ後、手、付けらんなかったでしょお、あたし。」
たまにやっちゃうんだよねえ。悪びれる様子もない軽い調子。数時間前の騒動や奇怪な発言が嘘みたいだ。
「守くんに抱きついたまんま寝てた。」
「お陰で俺はよく眠れなかったよ。」
「一流がヤキモチ妬いてたぞ」
「あらまぁ。そりゃあ迷惑おかけしましたっ。ごめんねぇ、大好きな先輩独り占めしちゃって☆」
反省しているのかいないのか。恐らく、全くしてないだろう、そういう顔をしていた。窓から差す光で笑顔が包まれる。眩しくて視線をしたにずらすと、今まで目を向けなかった彼女のTシャツに、筆記体で“sunshine”と綴られていることに気づいた。
なる程、通りで眩しいわけだ。
【sunshine】
日光,日ざし,太陽光線;
晴天,好天気;
日なた,日だまり;
輝き,快活,陽気;
晴れ晴れさせるもの.
清々しい程容易に、彼女は意味のない法螺を吐く。彼女が何かを言う度、それが嘘だという可能性に目を向けなければならない。そうだ、嘘だったことにしよう。“あれ”は彼女の悪い冗談だ。守はああ言っていたが、気にしない方がいい、渚はそう思ったかった。
満流は乱れていた髪を結いなおし、散乱しているものを簡単に片付けて部屋を離れた行く。 平気そうに笑っているし、どうやら二日酔いの心配もなさそうだ。
キイイィィ、パタン。彼女が出ていく音を、一流は無表情に眺めていた。
「…渚」
“さっさと出てこい”という槙のメールに応じ、待ち合わせた食堂入り口に向かう。その途中、なんの前触れもなく一流が言った。
「俺等の知らへん所で、いろんなことが起こってるんやな。
俺、守くんが黙って他人に抱きつかれてるとこなんか初めて見たで。今までは、告られても即拒否するか、すぐ手出して相手泣かせるかやったのに。」
「それは単にお前の妹だからじゃねえの?気分じゃなかったとか。」
「せやから、俺、確かめてみてん。“本気になった?”って。や、最初はほんまに冗談で聞いた。」
「守くんは?」
「『ああ、それも悪かねえな』やて。ありゃ完璧、本気。」
「守くんの本気、なぁ。複雑か?」
生まれてこの方、サッカー以外には決して本気にならなかった守。一流がいつだって一番に敬い、何よりも優先してきた人物。——彼が、妹に対して本気になろうとしている。敬愛に値する恩人と、半生を共に過ごした妹。一流に、どんな影響を与えるのだろうか。
暗い返答も予想していたが、返ってきた言葉は案外淡泊なものだった。
「いや。流石にそこまで干渉するほど入れ込んでないで、どっちにもな。」
そこで一度会話を切る。窓から外の景色に目をやると、都会では見ないような虫が窓に付いている。木の間から覗く澄んだ青空。ぼんやりそれを眺めながら、ただ…、と続けた。
「ほんまに満流がもうちょっとしか生きられへんのなら……まぁ俺にとっては面白ないわな。守くんの泣き顔なんか、見たぁない。」
「確かにな。」
窓についていた虫が飛び立ち空の彼方へでも行ったのか、二人の視界から消える。木の葉がさやさやとなく。
「でもやっぱり俺は複雑だな。
守くんにも満流にも悪いことではないと思う。お互い気持ちがあんだからさ。幸せになんのは結構。だけど俺たちが八年かけても成し得なかったことを、会って数ヶ月のあいつが成したってのが癪だよ。」
廊下の向こう側で、食堂入り口前に立った女子が二人に向かって手を振る。
いつか、彼女の化けの皮が剥がれる日も来るのだろうか。あの顔から、笑顔が消える日が来るのだろうか。
そんな疑問を一流に呟くと、彼は得意げに笑っていた。
「そないなこと、守くんがさせへんよ。あの人が“本気なる”いうんは、そういうことやろ。それに、満流には唯間も渚もいてる。」
「………ああ。お前もな。」
「やー、俺はええわ。ほかにもっと大事にするモンあるさかい。」
「はぁ……あー、守くん?好きやなぁ。」
「おっ。渚の方言、久々に聞いたわ。」
「ちょっ、さり気に話題をずらそうとすんな!」
笑う。一流が走り出した。