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      【KittY】

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 面白味の欠片も感じられない合宿も、ぼーっとしていたらあっという間に終わっていた。二日目からの記憶が無い。
 槙の炊いたご飯が殺人的に不味く、二口目に手を付けられなかったことだけが記憶に残った。思い出すだけでも胃の中身が出てきそうだ。

 合宿から戻った次の日、春野は祖父母に呼ばれた満流の付き添いでフランスを訪れた。家には彼らの知り合い等数十人が寝泊まりしている。
 「Don't have to attend on princess today,kitty?(今日はお姫様にご奉仕しなくてもいいの、キティ)」
 後ろから声をかけられ振り返り、相手が目上の人間であることを確認する。
 「I'm not a butler(私は執事ではないので).Her mother goes with her now(今は母親がついてます).」
 「Ah(なるほどね).」
 仕事は貰えた?相手が尋ねる。春野が自嘲気味に肩を竦め、首を振った。
 「(さっぱりですよ。楽と言えば楽なんですけど).」
 カルトの正式なメンバーとして機能し始め約六年。二年前に一度脱却を謀り、失敗。制裁として、その時大切に抱えていたものの生命が脅かされ、自分自身も滅多打ちにされた。もう同じ事を繰り返そうという気など全く無いが、それ以来まともな仕事をもらっていない。よく言えば楽、悪く言えば退屈だった。
 広く長い廊下を歩く背中を見つめながら、春野は何だか虚しい気分になってくる。仕事がなくて退屈、そんな風に思っている自分がいると言うこと自体がおかしいのだ。
 「(バカな真似するからだわ。よく、息の根止められなかったわね。やっぱり飼い猫には甘いのかしら).」
 「(甘い)?」
 春野は笑った。
 「(彼らにとって、私はただの便利なツールですよ。ペットになれる程優遇されてません).」
 「(そうね。あの方たちはそんなに間の抜けた人間ではないわ。私がどうかしてた).」
 そう言って右手のドアをノックする相手。その部屋は、仕事用の資料がファイリングされたものの保管場所だ。トランプで言うところのハート、クラブの“キング”は大体この部屋にいる。彼らに用でも有るのだろう。
 彼女に点頭し、簡略な地図を頼りに二本先の曲がり角まで歩く。本当に、迷路みたいな家だ。夏休みだからと言って招かれたが、家を歩くのに地図がいるとはどういうことだろう。
 清潔感溢れる通路に、毎日生け替えられる豪勢な花々。道を歩く目印は花瓶や花、壁画だ。勿論どれもダミーではなく本物。
 もしかして世界中に名の渡ったハリウッドスターより立派な家なのではないだろうかと思った。実際にハリウッドスターの家を見たことなどないが、聞いた話によると、この家はそこいらの富豪の家より数倍は広いらしい。決してクオリティも下げない。超巨大遊園地が二、三個創れそうなこの敷地に、普段は老夫婦とその使用人しか住んでいないというのだから驚きだ。
 日本にある自宅を思い出し、これが“大富豪”かと思うと胸が高鳴る。

 どこやらの偉人が描いた有名な風景画を右折、突き当たりを左に、左側三番目の部屋。呼び出された場所に辿り着き、春野はほっと息を吐いた。
 「敷居、高………」
 改めて目の前にそびえる扉。その正面に立つと、威圧感から緊張で足が竦んだ。廊下はしんと静まり、中からは微かに機械音。
 深呼吸で理性を呼び戻して、扉を叩きそっと開く。
 「Roi...?」
 部屋の主は、高橋流、一流と満流の父親で、春野の育ての親だ。彼は電気も点けず、卓上ランプの微光のみの薄暗い中パソコンと向き合っていた。
 春野の声に気付き、顔をあげる。
 「あぁ真奈。日本語でええで。つうかしてくれ。皆が皆フランス語ばっか使うさかい、日本語忘れそうや。あ、その辺座っとき」
 「流さん、十分ペラペラじゃないですか」
 指差された上質ソファに腰掛ける。彼は室内電話でメイドに冷たい飲み物を頼み、春野のテーブルを挟んだ向かい側のソファに立て膝した。
 疲れているのだろうか、随分顔色が悪い。大丈夫かと尋ねても、悪戯っぽい笑みを浮かべるだけだった。
 「あ、これ、後で葉流に渡しといてくれ。“誤字脱字が多いんだよアホ”って。あと、これはあいつに」
 二冊のファイルを受け取る。
 「今日も外仕事ですか」
 休まないと病気になりますよ。言い掛けたところで、メイドがワインを運びに部屋を訪れ会話が途切れる。
 パソコンの音とグラスの置かれる柔らかい音。ランプの暖かいオレンジ色。さっきまでの緊張はすっかり解れていた。
 「外やな。多分一週間くらい出ると思う」
 メイドの背中が扉の向こうに消えるのを確認し、再び向き直ると彼はグラスを手に取り続ける。
 彼の目が、急に強い光を持った。
 「お前も連れてく」
 「私も…?満流さんはどうするんですか?まさか、葉流さんにずっと任せるわけにはいかないでしょう?」
 「満流は地下に」
 「地下……ですか」
 厳しい人、春野は思った。この家の地下に遣られるといえば、“幽閉される”にほぼ等しい。この人は、我が子にすら情けを掛けないのか。
 「彼女はまだ……何もしていませんよ」
 「“まだ”……な」
 彼の表情が消える。落ち着いていた緊張が再び春野の全身を覆った。手に汗を握り、口は乾き足には力が入らない。
 怖かった。無表情な彼の目が、春野の反論を受け付けない。

 『キティ』
 ここへ来る途中、出会った上司にそう呼ばれた。幼稚園児から高校生の女子、或いは大学生にまで広く愛されているあのキャラクター。別に、特別それに似ているところがあるからというわけではない。
 kitty。子猫。ふしだらな娘、賭け金、積立金、トランプの余分の手札。
 そう、春野は流と葉流に飼われている。子供の頃に命を拾われ、将来二人の下で働くと誓った。以来、彼らを始めとしたカルトメンバーに“教育”を受け、養われてきたのだ。
 しかし、ペットの様に愛は貰えない、彼等になんらかの影響を与えることすら出来ないと言う事を、春野は自分でよく解っている。自分は、kittenではない。道端で拾った、都合のいいツールに過ぎない。

 「……資料を下さい。すぐ頭に入れます」
 「悪いな。いきなりリスクが高い俺との仕事で」
 「いえ、二回死んでる命ですから。三回死ぬのも大差ないですよ」
 春野が笑うと、彼は力なく微笑み返す。
 「お前にとって大差ないことでも、“俺達”にはあるんだよ。資料はA(エース)んトコな。俺のも貰ってきて」
 そう言って、彼はそのままソファに横たわり眠ってしまった。無垢な子供のような寝顔だ。その横顔は、どちらかといえば母親似だと思っていた満流を連想させる。
 「満流さん…」
 彼女は今頃、暗い暗い闇の中にいるのだろう。

 遠い国、アメリカ。遠いといっても、元々カルトに行動範囲などというものはないので仕方がない。
 深夜、廃れ切った小さな町はしんと静まり、虫の音さえをも耳に届く。そこら中に漂う人の気配。微かに鉄の匂いがする。
 「(騙されましたね).」
 「(結局、俺たちを躍らせたかっただけか).」
 「(こっちはやることが山ほどあるっていうのに。面倒なことをしてくれたもんだ).」
 「(ちゃんとギャラは貰えるのか).」
 今夜この町を血に染める、という脅迫状が大統領の元に届いた。“開始は午前一時、止めたくばアメリカ一国を我々によこせ”と。以前にも同じことがあり、いたずらと踏んで重要視しなかった所、本当に町から生きた人が消えてしまったという。警察も歯が立たず、追い詰められた大統領はカルトを頼った。
 午前一時十五分。何も、変わった様子はない。今度はただの脅迫だったのだろうと、メンバーの一人が隠れていた身を乗り出す。
 「(まだだ)!」
 ダイヤのキング———流が叫ぶのと、銃声がするのとはほぼ同じだった。身を乗り出していた人物の頬を何かが掠め、薄ら血が滲んでいる。鉄の匂い、それが、血の匂いだったと気付かされた。
 「始めてたのかよ、質悪い…」
 春野は舌打ちして呟く。その音を合図にしていたのだろう。至るところから聞こえ始める。弾が飛んで来た位置と速さ、音から相手の場所を特定。物陰に身体を隠しながら様子を伺う。
 確認出来る中だけでも十人、いや二十人近くいるだろうか。時計が一時二十分を示し、手筈通りに動きだす。
 出された指示は『殺し“は”するな』。言い換えれば、『ギリギリまでやれ』ということだ。
 町に、血の雨が降った。

 三十分後、強迫状にあった通り、町は赤く染まる。
 今まで家の奥に隠れていた住人たちは外へ出て、赤くなってしまった窓や壁を元に戻そうと手を動かしていた。恐怖で眠れなかったのだろう。全てが終わり外が静かになると、殆どの家の灯りが点いた。
 「(先陣二十五人に後陣三十五人か。数だけならウチより大きいですね).」
 「(“数だけなら”な。数打ちゃ当たるってもんでもないさ。だけどお陰で思いの外時間は食われた).」
 赤黒くなった手袋を外しながら、愚痴を漏らす男二人。内一人は事のはじめに頬を怪我した青年だ。
 鉄臭い。全身に血を浴び、服から異臭を放っていた。しかしその臭さにも直、慣れが来て春野の鼻も麻痺する。
 「力加減」
 “キング”に額を小突かれる。
 「喋られへんかったら死んでるんも同じや。やりすぎ」
 「すみません。一応急所は外したんですけど」
 「まだまだ鈍ってるなぁ」
 すみません。もう一度謝って苦笑して見せた。
 一年半のブランクで、鈍るだなんてレベルじゃない。引金を引くとき、始めは手が震えて的が定まらなかったくらいだ。
 「何か、収穫は有りました?」
 「や、全然。取り敢えずこれで全員やから“次”はないって。黒幕が居てるな、あれは」
 「黒幕か……」
 六十人。命さえかかった大事だ。アメリカを落として何をするつもりだったのかは知らないが、タダで集まる人数ではないだろう。恐らく裏で多額の金が糸を引いている、そういう事か。
 「そろそろ“彼ら”も動きだす頃ですかね」
 「ああ」
 「だからですか?」
 「ああ」
 「聞いてます?」
 「ああ」
 「聞いてませんね」
 「ああ」
 彼も頭を悩ましているようだ。春野の声は、彼に届くことなく闇に攫われてしまった。
 誰か、誰かこの人を助けて。壊れてしまう。葉流さん、流さんが壊れてしまう。満流さん、一流さん……誰か—————
 「ここはA(エース)に任せて、次の仕事まで休みませんか。朝までに血も流して着替えなきゃいけない。あたし、空いてる家探してきます。
 到着したときから血の匂いしてたし、防ぎ切れても無いから空の家もあると思うんで。
 休みましょう。今からこれでは貴方の体力が保ちません」
 それに自分も。ずっと暗闇から離れ陽の光の下でのみ仕事をしていたせいか、動悸と吐き気が治まらない。
 確か、六年前もこうだった。暫くは体が食事を受け付けず、弱かった身体を存分に痛め付けたことがあった。いつの間にか、慣れてしまっていた、癖になっていたのだ。
 幸いにして真夜中、人々が家の電気をつけ活動しているとはいえ、この町の状況で血を被った人間が一人歩いていても何ら不思議はない。灯りの点かない家を中心に、住人を失った侘しい“空箱”を探す。

 極短時間ではあるが、少しだけ身体を休めることが出来た。
 「真奈…」
 春野の自宅にあるような、安物ソファに横たわる流が手招きする。
 「はい」
 「恨めよ、俺を…———」
 顔の前で膝をつくと、消え入るような静かな声で彼は言った。
 パラパラと音が聞こえ、反射的に窓の外に目をやる。今宵の赤を流し落とすかの如く降り始める雨。流に視線を戻したとき、彼はすでに寝息を立てていた。
 向きを換え、ソファを背もたれに座ったまま仮眠をとる。寝言のように、小さく呟いた。
 「はい……恨んでいますよ」