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 Good or baD

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 「ジョーカー!」
 此処はどこだと問いかけたくなる様なだだっ広い緑の広がり。そこに一筋、目的地への道のみを示す煉瓦づくりの通路がある。
 その赤茶色のライン上に一人、何か物思いに耽るように満流は佇んでいた。聞き慣れた声に呼ばれ、それまでの立ち居振る舞いからは想像しかねる程無邪気な笑顔を作って振り向く。
 「あ、はーちゃんだ」
 「何なさってるんですか。敷地内なら出歩てもいいとは言いましたけど、一人でうろつかれては困ります」
 声の主は春野だ。満流がこの屋敷に踏み入ってからと言うものの、彼女のへり下った話し方に拍車が掛かった。満流はそれに違和感を感じながら、苦笑いで駆け寄る彼女を迎える。
 「細かいコトは気にしちゃダメだよ~。あんまり気を張ると胃に穴が開くんだから」
 「細かくないです。キングには会われました?ハートの四の件であると仰ってましたが。お会いしていないようでしたら資料室にいらっしゃるそうなので。あと、来客です」
 「来客?あたしに?」
 「はい。監視が付きますので発言にはご着意を」
 春野の語調は平淡で、まるでテレビに出てくる刑事役の俳優か何かのようだ。満流は「はいはーい」と軽い返答をした。
 冷涼な風が長い髪の毛を攫い、栗色の細い糸のような髪が踊る。此処は日本に比べて過ごし易い。秋のような空気に触れながら春野はそう思った。
 「満流さん———」
 春野の蚊のような声を、耳聡い満流はきっちり聞き取る。穏やかで優しい目を一度春野に向ける。
 「無理を——しないでくださいね」
 「はーちゃんの足を引っ張るような真似はしないよ」
 彼女は冗談のように笑う。
 「付き合い切れないと思ったら、何時でも投げてくれていいよ。はーちゃんの恩人ことうちのバカ両親にはあたしから言っとくから☆」
 「私はいいんです。私の命は、葉流さんと流さんあってのものですから」
 「献身的だなぁ、相変わらず。貰った命なんだから、自由に使えばいいのに」
 「満流さんの代わりとはいえ、あんなに良くしてもらってそれは出来ません。欺瞞に聞こえますか?」
 「…そうだね。あたしには分からない感情だ。でも、あの人たちは多分、あたしの代わりとはまた別に、はーちゃんを可愛がったんだろうから…それはきっと、子が親に対して持つ感情なんじゃないかな。間違いや欺瞞では、ないんだと思うよ」
 長い髪に隠れた顔は見えないが、声は胸苦しく春野へ届いた。乾いた風が吹いている。行こう。髪を耳に掛け、満流は笑った。
 産んだ子より抱いた子。ふと、そんな言葉を思い浮べる。自分が産んだというだけで育てなかった子より、他人が産んだ子でも心をこめて養育した子の方がかわいいとか、そんな意味。確かに自分は彼らから満流よりも恩恵を受けてしまったかもしれない。彼女が両親を喪い、空白に落ちると入れ代わりに自分が彼らの下へ現れ、彼女が一人で戦っている間も自分は本来彼女を愛すべき彼らから愛された。約束を守ることと引き替えに。

 『一つ、動けるようになり次第、俺達の下で働け』
 『二つ、うちらには絶対逆らうな』

 その契約を受諾して幼い春野は絶えかけた息を長らえ、中二の冬———春野の“裏切り”を許す代わりに、彼らは更なる約束事を追加したのだ。


 『鈴峰女子高校に通う“ジョーカー”の監視役。暫く他の任務は与えられない。もう、命投げるような真似するなよ』
 『————はい。』
 『それと』
 今も尚忘れられない、あの時“流”が見せた遣る瀬ない目。命令でなく懇願する彼を見るのは初めてだった。
 『なにがあっても、あの子のことだけは裏切らないで欲しい。ずっと、裏切られ続けて生きてきたようなものだから』

 どんなに愛されていようと、どんなに想われていようと、彼女はそれを知ることが出来ない。流や葉流の愛はどこへ届くこともなく空に漂い、浮遊を続けた末に春野へ納まった。
 「初めて知ったんです」
 建物の中へと歩を寄せる満流をぎりぎりの所で引き留める。
 「愛すということも、愛されるということも、何かを大切にするという事すら、貴方のご両親を見て初めて知ったんです。お二人に拾われなければ、私は何も知らないまま死んでいました。
 すみません。貴方が苦しんでいる間も、ぬくぬくと生きていました。愛されていました。貴方が受けるはずの慈しみを、野良猫である私が横取りをしていました。
 本当は、貴方に会わせる顔がないんです。偽善、欺瞞だと解っていながら、貴方に対する罪悪感で一杯なんです。
 だけどこれだけ、これだけ言わせて下さい。私の事は幾ら利用して戴いて構いません。盾にでも、剣にでもしてください。これまでの償いと謝礼に、私は命を的にかけて貴方にお仕えしましょう。だから————」
 だから。一息で言ってしまおうと思っていたのだが、どの言葉から言おうか、言葉の選択は違えていないか、考え始めてしまう。満流はその間何の口も挟まず、ただ黙って春野の目をじっと見つめていた。
 「だから———…ご両親を、貴方自身を、これ以上苦しめるようなことはしないでください」
 「はーちゃ—————榛名…」
 俯くと、満流は春野をそう呼んだ。もう長らく誰も口にしていない春野の本名だ。“春野真奈”という人物は、事実上存在しない。
 その昔、榛名家の第一子として生まれた真奈。身体が弱く、親戚内をたらい回しにされた。行き場を失い死にかけた所を偶然拾ったのが、満流を失わなければならないという人生最大の不幸に打ち拉がれていた彼女の両親だ。彼らは友人の名を借り“春野真奈”という人物をでっち上げた。公には養女として榛名家から出たとしたが、実際には榛名真奈を戸籍から消したりはしなかった、いや、出来なかったのだろう。
 何らかの形で満流はそれを知り、そして彼女は決して赦さなかった。真奈のことも、両親のことも。彼女は春野を、“はーちゃん”と呼ぶ。“春野”の“は”ではなく、“榛名”の“は”だ。
 満流がそう呼ぶ度、春野は無言の訴えを聞いた———あんたは、野良猫でしょう———胸がずきん、と呻く。
 「榛名、なんでそんなに、“いい子”なの?」
 「………」
 「自分のあくどさが嫌になる。あの二人がなんでちゃんと榛名を育てたか解るよ。あたしが榛名の立場だったら、きっとそうは行かなかった」
 「そんなこと———」
 「なんでだろうね。あたしはいつまで経ってもあんたたちを赦せないし、あたしをこんな風にしたこの城の人間、あわよくば全員まとめてぶっ潰してやりたい。人が傷付いてる横で平気な顔してで笑ってる。いつも、自分の為にだけ生きてる」
 「それが普通なんです。悪いのは私たちカルトです。本来なら貴方は自分の為に生きるべきだった」
 「“普通”じゃダメなのがこの場所、カルトで、普通じゃないからあたしはジョーカーなんだよ」
 やめてよ。彼女が言う。今にも涙が溢れだしそうな切ない色を浮かべ、それでもしっかり笑って。
 「やめてよ。優しくされると、塵みたいなものでも良心が痛むじゃん」
 春野は、これが涙を知らない彼女の悲痛な叫びなのだろうと思った。恐らく、虚ろな瞳も乾いた笑声も、彼女にとっては怒りであり涙なのだ。
 ふと気付いて我に返ったとき、既に風は止み穏やかな陽が背中から射していた。同じように、満流の顔からも悲愴の色が消える。
 「ごめん、八つ当たりだね。大丈夫だよ☆ほんと、はーちゃんに迷惑はかけないからっ」
 「適いません、貴方には」
 「あははっ☆あたしに勝とうなんざ、百年早いよ!」
 “にっ”と覗く白い歯と、光を帯ながら細くなる目。ビーダマの様な瞳が春野を呼んだ。
 早くしないと置いて行くよ。満流が笑う。
 秋が近づく音がする、今頃日本はそういう時期だろう。学生達がせっせと夏課題に手を煩わせ、部活や勉強や遊びに明け暮れる毎日だろう。外はだんだんと日没の足を速めていく。
 短く、はい、と応えた。
 「今行きます」


 まず、来客とやらを済ませる。流はそう気の短い人間ではないし、槙の話だ、長くなるかもしれない。考えながら、満流は迷わず生花の筋を右に入る。
 監視役には誰が着くだろうか、相手方は誰か。頭痛のするこめかみに手を当て、暫く何も考えずにいたことを悔いる。
 「この分じゃあ体も相当鈍ってるかな」
 一歩半ほど斜め後ろを歩く春野が満流の独り言に気付く気配はなかったが、尻目に覗くと彼女は未だに決まり悪い顔をしていた。どうやらまださっきのことを気にしているらしい。
 さり気なく彼女から顔を逸らし、笑いを堪えて眉間に力を入れる。すかした彼女が目に見えて落ち込む姿は結構面白い。
 弄り甲斐のある子。広い鳥籠の中、唯一の玩具を引きつれ歩く。通りすがる大人たちが一度立ち止まり、自分に深く頭を下げる光景はなかなかに爽快だった。良くも悪くも、自分が彼らのキーパーソン——切り札なのだと実感する。
 「この人たちは“選べない”のかな。それとも“選ばない”のかな?」
 「さあ……どうでしょう」
 今度も別に誰かへ投げ掛けたつもりはなかったが、聞き取った春野がはっと顔を上げて応えた。遠くを見つめるような目。十八時の時計の合図と重なるように、わざと間をあけて問うた。
 「…——はーちゃんは?」
 読唇術を極めた春野はそれをしっかり把握する。少し戸惑う仕草も見せつつ、声音は変えずに低く静かに言う。
 「選ぶことなど、考えたこともありませんから」
 「なるほどね」
 真面目なはーちゃんにぴったりな答えだね。笑い、或る扉に手を掛ける。「reception-JPN」と書かれたプレートの掛かる扉の奥は、和風の部屋をイメージした応接間。
 珍しい日本人客らしい。