今日も一日お疲れさまでした。

学び方への雑感の続きを
書く前に
ハングル検定の結果が出て
なんとも
居心地悪いのですが…滝汗

ま、お付き合いください。

TOPIKが終わって
韓国語学習者の方々と
交流して
感じたのは

安易な道はないと
いうこと。



私が10年かかっても
いまだにTOPIK4級、5級を
シーソーゲームみたいに
行ったり来たりしているのは
ひとえに努力不足!と
感じました。

ソウルで
お兄ちゃんから説明を
受けたけど
こちらはちんぷんかんぷんでした滝汗
景福宮の入り口にあった塔のこと。



いよいよ景福宮

この位置が
景福宮を見るのに一番だそうです。




ここから見ると

こんな感じ爆笑



山が双方にある
建物の位置を考えて
建築されたのだ
と、お兄ちゃんは熱く
語ってくれました。

よどみなく
説明してくれます。

この説明は
よく分かりました。
なぜなら
教科書のような文章であり
予測がつくからでしょう。


景福宮とは
*コネストより


景福宮は1592年(宣祖25年)、豊臣秀吉による壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の戦火によって全焼するという悲運にみまわれ、それ以降、王宮としても不吉だという理由で273年もの間、再建されませんでした。しかし1865年(高宗2年)、興宣大院君(フンソンデウォングン)が再建に着手し、1868年(高宗5年)には創建当時の規模に復元。同年7月に高宗が昌徳宮(チャンドックン)からこの地に王宮を移しました。しかし1895年(高宗32年)、閔妃(ミンビ)が日本人の暴徒に殺害されるという事件が起こり、翌年2月に高宗がロシア公館に避難したことで景福宮は王宮としての運命を終えることになりました。

お妃さまが
日本人の暴徒に殺されると言うところ
現地の解説版には
ならず者と書いてありましたが

お兄ちゃんは
サムライと話してくれました。

その言葉に
お兄ちゃんの優しさを
感じました。



お兄ちゃんの解説
録音しておけばよかったです。





最後は
こちらで写真をパチリウインク

この旅行中
ブロ友さんと会い
日本人同士ですが
韓国語でずっと話したことも
私にとっては
とても勉強になりました。

ユンジュシとふたりだと
話題が膨らまないことも
ありましたが
もうひとり、加わることで
話題が広がりました。

師匠marucoさんは
私が分からないところを
さり気なく教えてくださったり
助かりました。

うまく説明できないのですが滝汗
よい経験でした。

そして
もっと、もっと話したいなぁと
思いました。




検定試験も
もちろん大切です。
集中して何かをする、
自分の実力不足の事実を
突きつけられ、へこむことも
大切です。

でも
最高にやりたいことは
ユンジュシやオンニと
心ゆくまでの
おしゃべりです。

これから先
退化していく脳みそに
鞭打ちながら
私なりに
学んでいきたいです。




来週あたり
キムチが来るんだ!

食いしん坊、万歳!

今夜は長々
お付き合いくださって
ありがとうございました爆笑

おやすみなさい。