先月、2冊の本を読み終えた。
城山三郎さんの「そうか、もう君はいないのか」と、倉嶋厚さんの「やまない雨はない」。
どちらも最愛の奥様を失った亭主の、自らを納得させるための作品である。
同じように6年前に妻を失った僕にはそう読めた。
いや、7回忌を前にして、漸くこのような本を静かに読めた自分に、自分で驚いた。
やっぱり、冷静にならないと読めない内容だったから。
城山さんはさすがに作家だ。
消えゆく奥様の命を、混沌とする現実から一歩離れた場所から見て書いている。
時にはユーモアを交えて。
そして
「静かに行く者は健やかに行く 健やかに行く者は遠くまで行く」
と最後に奥様を見送る。
だが巻末の次女さんの「父が遺してくれたもの」を読んで初めて、城山さんの「仕事と伴侶。その二つだけ好きになれば人生は幸福だ」と言う言葉に合点がいく。
この作品は夫婦愛に染まった城山文学の最終章である。
一方、倉嶋さんは奥様のあまりにも急な病状の悪化に、思考も生活もついてゆけず、自殺未遂を繰り返し、うつ病になってしまう。
これを読破するのは楽ではない。私はとっても疲れた。
あまりにも現実的で、自分も妻が命の選択を主治医に迫られているときは、医療者たちに全く同じ感情を持っていたに違いないからだ。
そして自分を責め続ける。
倉嶋さんは残された日々に無力だった自分を責め続けたが、私は違う。
ここには書かないが。
病気になってからはベストを尽して看護し、妻は感謝もしてくれた。
ただ、「今宵酒あれば今宵飲み、明日愁い来たらば明日愁う」
この数年で、少しはそう思えるようになっただけ。
だから他人の、しかも偉大な方々が伴侶を喪失した物語を読む気になったのだ。
倉嶋さんの奥様はいい言葉をご主人に遺されている。
心配事は縦に並べてみなさいと。
一番差し迫った問題を一番上に書き、そこから下へ次々に書いていく。
すると当面の敵はひとつだけ。まずそれと闘えばいい。
でも横に並べると、たくさんの心配事に責め立てられて怯えてしまい、結局何もできない。
当面の最大の敵に全力を尽くして立ち向かえばいい。それで負ければ仕方ない。
お二人とも素晴らしい奥様を持ち、夫婦愛に生きた証の作品である。
ああ、何を書いてきたのかわからなくなった。
やはりこの季節は嫌いだ。