原点に帰ります。
このブログは闘病記です。
妻の病状が良くなろうが悪化しようが、全部僕たちの闘病記です。
毎日の妻の様子と僕の思いを綴り続けて、いつの日か読み返すことがあれば。。。
だから、また書き始めます。
でも、妻の喜ぶ僕の作品の評価と闘病以外に、直接関係ないことは書きません。
いえ、書けません。
少なくともこれから、ここでは。
ですから読んでいただく方を、全く無視します。
全くの独り言です。
だから、少し前から、タイトル下のブログの趣旨を変えています。
そのつもりで見守って下されば。
木曜日に、主治医から最期に過ごす場所の希望を聞かれました。
ショックだったのです。二人とも。
でも落ち着いていました。
今まで、2年間で3回もオペをし、「脱毛」、「悪心」、「挿管麻痺」、「イレウスの恐れ」、「尿管ステント」。。。
いろんな心配や、怖がることがありました。
その先のことを考えることをあえてせず、目の前の怖い、痛いことの心配することで、その先のことを無視してきたのかもしれません。
「死を覚悟せよ」と、直接的に言われたことは、なかったのです。
間接的には臭わされても。
いまから思えば、脱毛も、ウイッグの選定も、人工肛門も、腎瘻も、オペも、たいしたことではありません。
だって治療の一環ですから。
治療しない、できないと言われ、最期の準備をしなさいと、言われるほど酷なことではないからです。
先生も辛そうでした。看護師さんも。
とってもいい方たちです。
その日僕と妻はいろんな話をしました。
でも、今までも話はたくさんしていました。
その晩、殆ど夕食を作れない妻が、湯豆腐と僕と娘の好きな総菜を、自分で身体を支えながら準備してくれました。
筋肉が落ちているので、立っていられないのです。
独りで仏壇の前に座り、泣きました。
泣きながら祈り、罵りました。
どうして、僕の寿命を使ってくれない、どうして妻なんだと。
僕なんていつでも早く逝けばいい。
でも、妻は、あれほど頑張って生きてきた、僕らのために尽くしてきたのにと、神仏と先祖に罵ってしまいました。
地域医療連携室の方が言ってました。
末期がんの方は、「ある日突然悪くなる」と。
「だから、元気なうち、まだ歩けるうちに、いろんな「準備」をしたほうがいい」とも。
きつい言葉ですが、ありがたいアドバイスです。
月曜には、区役所で介護保険の申請に行ってきます。
その月曜の夕刊には、僕のエッセイが1面に載ります。
妻は喜んでくれています。
「準備」なんか、もちろん本当はしたくありません。
でも、妻の人生のゴールが迫っていることを、正面から受け入れることが僕の務めだと思う気持ちもあります。
大好きな人を失うことを、受け入れたくなくても、受け入れざるをえない。
自分が最期を迎えるよりきついですね。
きっと。