貪(むさぼり)
瞋(いかり)
痴(無知)
この三つの毒は、釈尊とスジャータの邂逅においては、
貪(むさぼり)→(苦)行の過ぎたる=貪り を識り → 定(乱れが無い)
瞋(いかり)→ 人を見下すことによって起こる瞋=驕慢 を識り → 戒(不遜を正す)
痴(無知)→ その瞋と言うものの恥ずかしさを識り → 慧(正しい道=在り方を覚る)
という経過で静まったのではないか。
スジャータの言葉(=善知識)によってこれら三毒がスッと、完全に静まったのを釈尊自身は感得したはずです。
それで、大きな樹の下で思惟を巡らして、このことと自分の為してきた修行の内実を照らし合わせて確認したのだと思われます。
そして、その時に、スジャータの言葉をきっかけに、自らに三学を生じたのを確かに識ったのでしょう。
尚、この時に発されたスジャータの言葉の具体を想起できる方は、その直き衆生=善知識 のことを想起できる方であり、その方もまた善知識であるか、既に覚り終えた方であることでしょう。