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Rain talk

雨粒の放つ光の言葉たち

大切にすることは、その対象に価値を与えることになる。

その価値が個人的であれ普遍的であれ、大切にされたものには価値が宿り、逆に蔑ろにされたものには価値が見失われる。

それで、大切にされることはありがたいことであり、大切にすることは尊貴なことといえる。

だが、私はここで一つ思うことがある。

自分が大切にされることについて、いや私は結構、大切にされる謂れはございません、とか、余計なお世話、とか言って、その大切にする行為を受け取らない方々もいる。

そのような方々は、実は、実に立派なのではないか?と。

誰かに価値を与えられるまでもなく、自分には十分な価値があると、自身に知って、また認めている。それかもしくは、自分は誰かに大切にされるような者ではない、という意味の断りの場合には、これはこれで、非常に澄んだ、極めて真っ当な態度のようにも思える。

これらの思いが正しいのかどうかは私にはわからない。わからないが、そのような方々こそも又、尊貴なのではないか?では、なおのことそのような人々のことを大切に思わないことはないであろう。それで、対等、ということがまた考究される。どのようにすれば、そのような方々を大切にしたことになるのか?これについては容易に答えは出ないが、悩んで出るような答えでもないだろう。