目標をどこに置くか | Rain talk

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雨粒の放つ光の言葉たち

スポーツをするときに、それを仲間と楽しめればそれでいいというところを目標にする。

 

あるいは、健康のためにそれを楽しめればいいというところを目標にする。

 

さらには、勝つことを目標にそれをする。

 

それを極めてプロ選手になることを目標にする。

 

レベルや趣は各自それぞれある。

 

 

人生の目標においても、それは各自それぞれあるが、総じて、幸せを目指すのが、人生の基本となるだろうと思う。

 

人生のルールを学べればそれで良い、疎外されずに社会に属することができればそれでよい、ほどほどに幸せに過ごせればそれでよい、あるいは、親しい人々や自分の手の届く人々の幸福に貢献できることを目標にしたい、そういう場合も多いだろう。一方で、最高の人生を目指したい、という思いを秘めている人々もあるかもしれない。

 

推進力でいえば、最高の人生を求める人々の推進力が、最も威勢が良いだろうというのは容易に推察される。

 

だが同時に、難易度も最高になるだろうことも、容易に推察される。

 

もし、運動音痴が、プロスポーツ選手になりたいと志したならどうだろうか?あなたは、それは向いてないからやめておけとか、夢想家だとか、頭のネジでも外れたのだろうか?とか、何かあったのだろうか?とか、思うだろう。心配するほどのことではないかもしれないが、一方でそれはただならぬことだとは思うだろう。あるいは、冗談や口だけのことと感じるかもしれない。

 

 

楽器を習得しようと思うなら、まずは音を一つ出してみるだろう。そして、楽器を極めようと思うなら、その一音に限りない技術や思いを込めて表現するだろう。最初の一歩と、最終的な一歩は、このように妙に重なる。

 

ところで、音楽の単位は一音である。絵画なワンスケール、リズムであれば一拍となるのだろう。

 

では、人生の単位は何か?

 

比喩では一歩と言う。

 

リアルには一呼吸と言ったところか。

 

人としては一言というのもあるかもしれない。

 

あるいは想いの起こり、端りというのもあるかもしれない。最初の挙動としては、これをとらえることも単位の一つに数えられるかもしれない。

 

これらの調べが、人生の流れとなるのだろう。

 

音楽には音階が、絵画には空間の比率が存在する。

 

人生にも、それに相当するものがあるだろう。


一音階の連なりが音階であるように、1スケール(尺度)の連続が空間であるように、一つのルールの連なりが全体のルールのように思われる。

ある種の幅を持ったそれが、単位なのだろう。

日本語では、分とか、割と言われるものだ。

分を知る、割りを食うなどと言うところのそれだと思う。