こころある人、と言うことは、こころない人もあると言うことだ。
仏道は、 こころを与えることが出来るのだろうか。
私の経験上、それは、出来ると言える。
おそらくだが、そう考えるところの正当性を感じる。
それを仏道と呼ぶかどうかはさておき、そのようなことが出来ると言うことが最重要なことだ。
以前の記事では、目的(こころ)は仏道に先立つと書いた。しかしもし、仏道がこころを与え得る道だとしたら、仏道の方が先立つことになる。しかしその仏道の目的がこころを与えることだとすると、やはりこころが先立つものとなる。
いろいろなことがつながり始めている感じがする。