こころ | Rain talk

Rain talk

雨粒の放つ光の言葉たち

こころある人、と言うことは、こころない人もあると言うことだ。


仏道は、こころを与えることが出来るのだろうか。


私の経験上、それは、出来ると言える。


おそらくだが、そう考えるところの正当性を感じる。


それを仏道と呼ぶかどうかはさておき、そのようなことが出来ると言うことが最重要なことだ。


以前の記事では、目的(こころ)は仏道に先立つと書いた。しかしもし、仏道がこころを与え得る道だとしたら、仏道の方が先立つことになる。しかしその仏道の目的がこころを与えることだとすると、やはりこころが先立つものとなる。


いろいろなことがつながり始めている感じがする。