Rain talk

Rain talk

雨粒の放つ光の言葉たち

微量のもので大きな効果を発揮するのが薬の素晴らしいところです。

患者に負担が少なく、その負担が少ないこと自体が治癒という目的を達成するのに有効な手立てともなっている。

 

では、医王の処方する薬とはどのようなものだろう。

 

この流れで考えれば、処方されたことにも気がつかないくらい、つまり負担が全くないうちに、効果を生じるような薬ということになるのでは無いか。

 

しかし一方で、ストレスを利用することもまた、薬の効果とも言える。逆さ針(鉤針)を外すときには一度、わずかに奥に押し込んでから引き抜くように、薬についても、わずかにかかる負荷が、決定的に功を奏するような働きかけをする場合もある。

 

方便の手立ては様々ある。それぞれの薬にそれぞれの薬理機序と用い方が適宜にあるように。

 

さて、ここで医王の薬と譬えられているのは、人を目覚めさせる言葉のことである。
これは、耳に全く障らないような言葉であり、それは常に、それを聴く人が慣れ親しんだもののような、例えば故郷の空気のように彼を支えているものの形をしているのではないか。

また一方で、少し、批判ではないが、その人の心を押し込むような、軽いストレスをわずかに与えて、食い込んだものを外すような働きをすると思われる。

 

まるで普通でいて、しかも素晴らしい言葉や振る舞い、そしてそれを為す人とそれを見る人、このようなことが、医王の薬たるそれの様態だと思われる。

 

このような処方は計らってできるとは思えず、ごく当たり前になされる言葉や行為であり、むしろそのようで無いならば、どこかに思惑を生じて微かに乱れ、目的を完遂するのに困ることになりかねない。なので、この行為や言動は自由度をもったもので、それで行為者、言動者にとっても負担や無理がないはずでしょう。

 

それで、この行為や言動はきっと説法や説教ではない。

それでこれは、善知識ということになるのではないか。

 

負担がないと言うのは、患者がすでに感じている負担を安んじることも含める故に負担がないと言われるのであり、その様はこの善知識、医王の薬についての実際の、一つの大きなヒント、私にとってはそれはもはや答えであるようにさえ思う。