基本、息子は勉強が出来ます。
学校のテストは100点かそれに近い点数なので、テストのための勉強をしなさいと言ったことはないです。
今は塾に通っているので、先取り授業で応用問題も多いのですが本人なりに頑張って、良い結果が多いです。
周りからは「息子君、テストでいつも100点だって聞いたよ」とか「勉強すごく出来ていいな」など言われることもあります。
その度に鼻高々。
とはなりません。
もうそう言われるのが本当に苦痛で、力なく笑うことしか出来ません。
もうこれまで息子に何回言ったのかわからんくらい、言い続けてる言葉。
「勉強が出来ることはすごいけど、人の気持ちが考えられる人になって欲しい」
本音は「勉強だけ出来てもダメなんだよ」と言いたいとことですが、それ言うと息子は自分を否定されていると受け取ってしまうので、私なりにやんわり伝えているつもりです。
息子を見ていると、すべての面に置いて私達と感覚が違うのだろうなと痛感します。
例えば、息子は人から嫌がらせや悪口、皮肉を言われても平気なようです。
なぜなら本人はそれが嫌がらせや悪口、皮肉と受け取ってないから。
これの何が怖いって、本人は平気だから人も平気だろうと同じことを言い出してしまうこと。
以前、友達が息子の帽子を隠したことがありました。
息子は笑いながら、「も~、俺の帽子どこよ!」と小峠ネタで探していました。
後で「意地悪されて嫌だったんじゃないの?」と聞くと、「意地悪じゃないよ、遊びだよ」と。
そして、後日今度は息子が他の子の帽子を隠してしまいました。
隠された子は「帽子がない」と泣いていたそうです。
そこで息子が「俺がここに隠したんだよ」とネタバラシしたのですが、当然先生からは叱られます。
こういう感覚が違っていて、説明もものすごく事細かに話さないと伝わらない。
ようやく伝わったかと思えても、今度は帽子ではなく消しゴムを隠したりして叱られます。
再度息子を叱ると、「帽子は隠してないよ」と。
人の物を隠したから叱られたのだけど、息子の中では前回帽子を隠したから叱られた、それじゃ消しゴムなら叱られてないからセーフ、の謎理論。
「人の物を隠してはいけない」という曖昧な表現では息子に伝わらないので、もし伝えるならダメなものをすべて列挙しなければいけなくて。
こういう時、本当に疲れます。
内心、「それだけ勉強出来るのに、なんでこんな簡単なことが分からないの?」という気持ちにもなります。
脳の作り方が私達とは違うから、曖昧な表現でほとんどの子が伝わることでも息子には1つ1つ丁寧に教えていかないといけない。
こちらの感覚で伝えても充分に伝わらないから、叱る時もすごく気力を使います。
勉強なんて出来なくてもいい、人の気持ちを考えられる子になって欲しい、と切実に思います。
息子の感覚は私達とは違うので、事細かに教えて「人の気持ちを考える」とか「思いやり」とか「優しさ」とかはスキルとして身につけてもらうしかない現状。
経験から学んだ「こういう時はこうするんだ」というスキルは、本当の意味では「思いやり」や「優しさ」ではなく、形だけの物で、果たしてこういうのでいいんだろうかという思いもあります。
これでいいのかなと思いつつも、スキルをつけることで本人の意図してないところで周りの人に嫌な思いや、傷つけることを回避するのが最初の一歩なんだろうな。
本当の意味での「人の気持ちを理解して行動する」はまだまだずっと先の目標。
ヘレン・ケラーが言葉を理解した時のように、いつか息子もそれを理解する時が来るのかな。