復職し、自分の心身に希望が見出せるようになるのに反し、彼女のメンタルはますます病み、やがて都内大きな大学病院の閉鎖病棟に入院したというところまでは記憶していた私です。そして、約二十年前、N田さんは突然私たちの集合場所のような感じであった駅前の割烹に一切顔を見せなくなり、やがて私やマスター、それにもう一人親しくしていた年配の常連客からの連絡にも応じなくなったのです。要するに、彼は自分の最愛の彼女が閉鎖病棟に入院したという台詞を残して私たちの前から姿を消したということなのです。
その後どのような人生を歩んでいたのか、旧交を温める感じで、お互い酒で滑らかになった舌を忙しく動かしていたところ、彼が私たちの前から姿を消したのは彼女の看病のために全てを捧げるようになったからだということが分かりました。
殆んど毎日のように彼女が入院する閉鎖病棟まで面会に行ったそうです。閉鎖病棟における面会時間というのは、きわめて短いし、特別の関係の者しか認められないのが原則だが、彼女はN田さんに会うことによって砂漠で水を飲むような感じで生き続けたといいます。それでも少しづつ容態がよくなっていく彼女であり、四か月もするうちに閉鎖病棟から退院することができたという。それからしばらくして、N田さんの人生に一大事が起きる。職場復帰以後、職務制限がかかっていた彼であり、昇進の途が閉ざされるのと同時に会社に対する忠誠心も薄れていったといいます。勤務時間中、上司と喧嘩になり銀行員という立派な肩書を捨てることにしたといいます。つまり、退職を決意したのである。平成十七年の桜が咲く頃であったという。
節約家でもあった彼は退職金を使わなくても貯蓄だけで二年間は普通に暮らせる状態であったといい、退職してからは、当時彼女が居住していた京王線調布駅からかなり離れた位置にある古いアパートに転がり込むことになった。K子の娘は実家である北関東の田舎町でK子の老父母と一緒に生活しており、別居中の旦那は横浜で優雅に恋人と暮らしており、N田さんの存在は知っていたが全く意に介すことがなかったといいます。
内縁関係という言葉が法律用語なのかどうかは知りませんが、民法を学ぶ際にとても重要な言葉ではあります。日常用語といってもいいほど、有名なワードですが、内縁関係に対して外縁関係という言葉もあるのを知る人は意外と少ないのではないでしょうか。内縁関係というのが事実上の婚姻関係であるのに対し、外縁関係というのは事実上の離婚状態を意味します。これは私の推測ですが、これだけセックスレスが常態化した現在の日本社会においては、将来内縁と外縁の同時成立というものが増えていくような感じもします。どういうことかというと、一応配偶者はいるがそれは外縁関係(事実上の離婚状態)にある。だから、別の人物と正式に結婚するのは重婚になってしまうのでできないから、その人物とは内縁関係(事実上の婚姻関係)を求めるという、パズルのような法律関係が増えていくような気がするということです。
K子は愛情も性交もまったくない旦那と別居生活を始めて五年位になるというが、結婚した当初から仲が悪かったそうです。いずれにしても、N田さんは会社を辞め、全てを捨て、K子の元へ走ったわけで、K子もまた最愛の彼と一日中一緒にいられることに狂喜したそうです。
各人の諸事情により一概にはいえませんが、内縁関係といえるためには、その同居期間は三年は必要だといわれていますね。しかし、N田さんとK子の同居生活は三年どころか二年弱の期間で終焉を迎えたのだそうです。