週末に読みだした谷崎潤一郎の「神童」を先程読了しました。谷崎潤一郎は私が好きな作家、ベストファイブに入る文豪で春琴抄や痴人の愛、それに鍵などには当時大変な衝撃を受けたものです。
しかし、この「神童」という作品、私はその存在すら知らなかったのですが、読み終えて総身が粟立つほどの衝撃を受けましたな。
今夜は疲れているので早くに寝たいところなのですが、ブログとツイッターでつい語りたくなってしまったほどです。肝心なところでネタバレはしませんが、こんな内容です。
この作品の主人公、尋常小学校時代から異常なまでに学業成績が良く天才の名を恣にして旧制中学へ進学します。ただ、実家が極貧で中学進学は篤志家の旦那の書生になって学校に通わせてもらう。旧制中学に進学してからも首席を取り続けるだけでなく開校以来の天才児と校長から認められます。
本人は将来、聖人、大哲学者になりたくて徹底的に学問に励むわけですが、書生先での惨めな体験や大人への過度期における懊悩がホントに上手く表現されていますね。美しい文章と読む者を引き込むストーリー展開はやはり稀代の大文豪ならではのものですね。
学問の原動力として、傲慢と虚栄、それに優越の心情もよく描けていますね。自分は天才であり、全ての人の上に立つ運命にあると確信し、貧しい出自は我慢するのですが、卒業近くにして奇妙なモノと出会ってしまう。
奇妙なモノとは手鏡であり、その手鏡に映った自分のあまりもの醜い顔を見て衝撃を受けてしまう。毎日、何時間も手鏡で角度を変えたりしながら、自分の姿形に美の要素を見出そうと必死になるのだが見つからない。この辺の心理描写が凄いですね。あまりの醜男ぶりに鏡を叩き壊してしまいたい程に怒り狂ったとか、日頃馬鹿にしていた級友たちの誰よりも容貌では劣っている事実に気づいたとか、鏡を見れば見る程天才よりも美貌の方がずっと欲しいというように続くのです。
私が感嘆したのは、なぜこんな醜男になってしまったのかという原因描写です。これを書ける作家って、ホントの才能を感じますね。彼は両親も人並みの容貌であったし、自分自身、年少の頃は可愛い顔をしていたし、美の萌芽のようなものがあった事を周囲の会話から思い出す。しかし、そのような美の萌芽というか要素が成長するのを、過度の学問とその原動力たる傲慢、虚栄、優越という捻じれた根性が押しつぶしてしまったとして、具体的にどのように押しつぶしたのかについて書かれているのです。
同時にその頃、女性に目覚める。やがて、学業成績に陰りが生じ、大哲学者よりも俳優に憧憬するようになる。
かなり詳細に内容に触れてしまいましたが、それほど罪悪感を感じないのは、ここから先が面白く、かつ収束が見事だからです。
ぜひ一読していただきたいと思います(^^♪
大江健三郎の「セブンティーン」も衝撃的でしたが、この「神童」の方がずっと迫力を感じますね。加えてエンターテインメント性がある。
私もいつかルッキズムをテーマに創作をしてみたいと思っていたのですが、久々に感銘を受けた文学作品でした。
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