地元小料理屋の沢木マスターが客としてやって来た興信所の調査員から聞かされた大平くん失踪事件というのは概略次のようになります。

 

 丁度一年前の晩秋から、大平くんは沢木マスターの店には一切顔を出さなくなった。その後、家族や職場の人等の話によると、非常に元気がなくなり何か物思いに耽っているような状態だったとの事です。職場の上司によると、軽度うつ病ではないかと心配したとさえ言われていたそうです。そして年が明け、二月中旬、突然、彼は同居する両親に引っ越す事にしたとだけ伝え、忽然と姿を消したというのです。

 

 置手紙があり、そこには今までお世話になった事に対する感謝の念と今後は自分の信念に基づき生きていく、しばらくしたら顔も出すから心配しないでくださいという記載があったそうです。その後は携帯電話も変えてしまったため、家族や親しい人との連絡も一切途絶えてしまったが、しばらく様子をみていた両親家族も限界にきた。四月に入って、別居して家庭を持っている兄貴が大平くんの職場を訪問したという。そこで驚嘆したのは三月三十一日付けで自己都合退職をしていた事実である。退職金も含め預貯金は殆ど下ろされている事にも気づいた。勿論、彼の会社の人間は誰もその後の彼の消息については知らず、ここにきて、大平くんの家族は警察に捜索願を出すことになった。

 

 しかし、警察の行方不明者捜索については、事件性のある特異行方不明者と一般家出人の行方不明者とでは扱いが違う。大平くんは特異行方不明者捜索の要件である、事件性もなければ子供でも認知症者でも精神異常者でもない。典型的な家出人であり、警察としてはデータベースに載せ、それなりの努力はしてくれるが強制捜査のような捜索活動がなされるわけではなかった。だから、大平くん家族は兄貴を中心に警察と併行的な独自調査を始めたわけであるが、まったく消息がつかめない。そこで、遅ればせながら今年の八月に入って銀座みゆき通りにある興信所に依頼する事になった。

 

 興信所の担当調査員としては、この手の失踪事件の定石を踏み、当初から大平くんの女性関係を徹底調査したという。そして、六本木の昼キャバで働いていたが、その後突然辞めてしまったアイさんに辿り着いたまではよかったという。しかし、調査はそれから暗礁に座する事になる。というのもアイさんの身辺を調査すれば自然大平くんの姿も浮かび上がってくると期待していたところ、意外にも今年の六月頃からアイさんもまた行方不明の状態にあるというのである。これは困った。一種の駆け落ちかと思い、二人ゆかりの地を探し回ったが分からない。海外逃避行の線も洗ったが出国の事実はなかった。

 

 さらに不気味な謎を呼んだのは、年内に挙式を予定していた一人娘から得た情報である。一人娘は既にフィアンセと同居生活をしているのであるが、父の帰国を考えて今年の十二月に挙式を予定している。アイさんからは行方をくらました六月頃一度だけメールが届いて、その後どうやら携帯電話は変えてしまったようで連絡が取れなくなった。問題はそのメール内容で、式には必ず出席します、お母さんは今お墓で元気に生活しているので心配しないでくださいとあったというのである。

 

 お墓で元気に生活しています・・・。

 

 結局、調査は難航してしまい、分からずじまいのまま、調査員が沢木マスターの店にやって来たというのです。

 

 「マスター、その興信所の調査員、名刺を置いていったというよね。見せてくれるかな。」

 

 一通り事件のあらましを聞いた私は、ある決意を胸に抱いていました。

 

 レジ近くの小さな三角引き出しを探しながら、マスターは一枚の名刺を取り出しては、カウンター越し私の前に置きました。

 

 銀座柳田探偵事務所調査員という肩書の下に、北条由紀夫という名前と携帯電話の番号、メールアドレスが記されており、手帳に書き写そうとする私に、マスターは笑いながら、そんなものはいらないから持っていっていいよと呟きました。

 

 

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