おニャン子クラブの活動期間は意外と短く、やがて大平くんはソロデビューした一人にファン活動の全てを捧げる事になったというのですが、転機になったのは大学四年生、彼が二十二歳になった頃だといいます。追っかけの対象が再度変わった。

 

 数年前に歌手デビューした地味ながらも堅実にアイドル活動を続けるA美さんが出演するテレビドラマを観た時である。デビューした時から好きであったのだが、その可憐で乙女らしい花の姿が脳裏に直撃した。自分たちファンに涙ながらの感謝のメッセージを送り、けなげに一生懸命笑顔を振りまく姿を見ると、性欲なんていうものを超えた父性本能にも似た感情が芽生え、自分ももっと人生頑張らなければならないと思ったという。

 

 人生の或る意味一番大事な時期に、A美さんのファンクラブに入会した彼はふと考えた。彼女を支え続けるこの活動を継続するには、普通に就職して会社に縛られるような立場になったらまずいのではないか。

 

 「当時は世の中の仕組みをよく分かっていなかったんですよね。若い頃はそれが短所でもあると同時に長所でもあると思うのですが、僕の場合は少しまずかったな。ただね、彼女を信じる事によって超人的なパワーが生じ、なんでもできるような気になるのは事実でしたね。」

 

 苦笑しながら回顧談風に語っては、ジョッキに口をつけるのでした。

 

 「それじゃ、教祖と信者、新興宗教と同じじゃないか。それで、結局、就職はどうなったの? 」

 

 彼は話も上手く、段々私は非常に奇妙な青春物語に吸い込まれていくことになるのです。

 

 実兄が税理士として活躍していたのを真似て、自分もその道をと考えた。そのため、大学卒業後、二年間の無職受験生時代があったという。年に百回もA美と一緒にコンサートやイベントで日本中を駆け回ったのはこの時代です。

 

 当時は下火になっていたが、親衛隊長にも推薦されたという。これは断った。アイドルの正当な追っかけはストーカーとは全然違うと、その晩、大平くんは何度も言った。そもそも追っかけは公の情報をメインに活動するが、ストーカーは独占的支配欲が強く彼女の自宅付近を歩き回ったり、まさにストーカー行為におよぶのである。悲しいかな、こういうストーカーの輩はファンクラブや追っかけの中にもたまには出てくるわけで、大平くんが当時断った親衛隊というのは、そういう不逞の輩を取り締まる事をも任務とした私設団体だそうです。その長に推薦されるくらいだから、彼は事務所からの信頼も厚かったのだと思いました。

 

 親衛隊長だとか、ガチ恋、それに現場などという専門用語が大平くんの口から発せられるわけですが、やはり私にはどうしても理解のできない世界でした。

 

 「それで税理士試験はどうなったんだい。」

 

 真顔で訊ねる私に彼は頭を掻きます。

 

 「やはり、年に百回もA美を追っかけていては受かるはずないですよね。でも、それがなかったら、公認会計士は無理でも税理士試験なら受かる自信はありましたよ。」

 

 地頭の良い彼ならそうなのかもしれないな、頷く私に彼は話を続けます。

 

 「結局、両親と兄貴が怒り狂いだしましてね。親戚が重役を務める今の会社に就職したというわけです。」

 

 私はアイドルオタクというのは、基本的に幼児性が抜けきらない男たちであり、要するに阿呆が多いという強烈な偏見を抱いていたのですが、大平くんのように立派な会社の面接試験に受かり、結構な年収を得るインテリジェンスな好青年もいると分かって、かなり見方を変えたものです。

 

 二十二歳の時に、アイドルタレントA美さんの追っかけを始め、八年後。働きながらも追っかけファン活動は続けてきたが、終局は呆気なく訪れた。

 

 A美さんの結婚にともなってファンクラブの会員数は激減した。彼女自身、結婚した翌年に芸能界を引退したという。引退情報は事務所を通して誰よりも早く大平くんたち熱烈なファンの耳に届いた。

 

 そこまで話を聞いていて、私は少し悲しくなったと同時に違和感を覚えたものです。それは、大平くんは一体A美をどう思っていたのか、本当に女性としてみていたのかどうかということです。結婚して別の男性と毎晩寝る事をどう思っているのか、結婚相手との愛と性の絶頂のために自分は散々貢献してきたとは思わないのか。自分自身はA美と寝たくはなかったのか、A美そっくりのラブドールを購入したいとは思わなかったのか。

 

 そんな私の疑問に対する彼の一言が今でも忘れらません。

 

 「そりゃ、彼女に対する性欲はあったに決まってますよ。ただね、彼女が結婚するという話を聞いた時、もう自分が支える必要はなくなったんだな、もう彼女は立派に卒業する事になったんだなという満足感もあったんです。そうだ、ファンとアイドルの素敵な話を教えましょうか。」

 

 そんな事を言っては、白木のテーブルで彼はニヤリとするのです。

 

 「昨年だったかな、テレビを観ていたら、昭和アイドル時代の草創期に活躍した歌手のK子さんが出ていたんですよね。懐メロソングなんかで当時の若々しいK子さんをテレビで見知ってはいましたが、現在の彼女を見るのは初めてでした。七十代前半かな。本当にお婆さんそのものでね、かなり驚いたのですが、脇に同年齢と思しきお爺さんが並んでいるんですよね。そのお爺さんって誰だったと思いますか。」

 

 「そりゃ、旦那だろう。」

 

 「外れです。当時のK子さんのファンクラブ会長なんですよね。最盛期には凄い人数の会員がいたんですが、結婚後、どんどん会員数は減っていく。彼女が歳をとればとるほど益々減っていく。一人減り、二人減り、そして旦那さんも癌で亡くなって・・・。最後の一人に残ったのが、元ファンクラブ会長のお爺さんだということです。その元会長、インタビューに答えて、これからも活動は続けますよと笑いながら言ってるんですよね。」

 

 「まあ、それは素敵な話だとは思うけど・・・。で、キミはA美さんの引退後どうなったんだい。」

 

 ここからがこの奇妙な物語の本編となります。

 

 

 

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