現在、推し活という言葉は社会的に認知されて久しいものであり、一般的に肯定の眼差しを向けられていますが、当時はそうではなかった。推し活という言葉自体は当時なかったが、そもそも推しという言葉自体、これは女性アイドルに対する男性追っかけを意味するもので、イチオシというオタク用語から産まれたものです。それがもっと広く自分が熱中し愛情を注ぐ対象を応援する行為であるという風にきわめて健全に拡大解釈されて世上に上るようになったのはつい最近の事です。今では推し活をもって崇高な老後の充実的行動とまで言われているのですが、私が嫌悪していた当時のオタク男の行動に淵源があるのだから面白いものです。

 

 約二十年前の秋、セクキャバに入店する前、夕方から六本木の大衆居酒屋で得々と己が追っかけ半生を語り始めた大平くんであり、興味深く傾聴する私でした。

 

 自分が他人とは精神的にかなり変質した状況にある場合、自分自身ではその変質性になかなか気づかないものです。ましてや、その変質性の背後というか根本にあるものを心理的に分析するなんて事は自家撞着の一種だと思います。大平くんも同様で高校入学と同時に始まった常軌を逸した過激なアイドル追っかけ活動の原因や理由なんてものには考える事もなかったはずであり、要するに彼はアイドルを追っかけることによって、本当は何を追っかけていたのかなんて事は考えてもいなかったはずであるという事です。

 

 小学生時代にキャンディーズを通して知った桃源郷のようなアイドルロマンの世界は、幼いゆえに性とは紙一重な言辞に表出しがたい甘美な憧憬に燃え上がっていたのだと思います。

 

 そしておニャン子クラブのファンクラブ時代には、自部屋の中央にサイン入りの写真を飾り、グッズやCD、それに自分が作っていた膨大な活動ノートに飾られた祭壇はまるでご本尊のようだったと彼は薄く笑っては語るのです。実際、朝晩、写真に手を合わせて彼女の幸せと次に自分の幸せを祈るのは当然の事なんだそうですが、これは一種の宗教だな、話を聞いていて私は憮然としたものです。

 

 「アイドル女性に対する性欲はどうしていたんだい。俺が十代の頃だったら、きっと我慢できなくて、そういう意味で絶対に追っかけにはなれなかったと思うんだよね。」

 

 やはり気になるのはその点であり、私は彼を正視しては箸を置いた。

 

 「レインさん、その点はもう少し僕の話を聞いてから質問してください。まあ、レインさんには無縁の世界だから誤解が生じても仕方ないのかな。」

 

 口の周りに付着したビールの泡を甲で拭っては、大平くんは更に話を続けるのでした。

 

 

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