十月中旬の土曜日、地下鉄の改札を上がると糸のような小雨が頬をかすめた。私は夕方早い時間帯から大平くんとの待ち合わせ場所である六本木アマンド前に向かったのであるが、当時はヒルズ竣工から日が浅く、なんとなく街全体が新しい時代に移り変わるような黎明の活気を身に感じさせたものです。

 

 アマンド前に到着すると、大平くんは既に到着しており、白いシャツの上にグレーのブルゾンを羽織って、ガードレール沿いから行きゆく交通の渋滞をぼんやりと眺めていました。そういえば、大平くんの普段着姿を見るのは初めての事であるのに気づいた私です。うまく表現できないのですが、今日は期待の合コンに向かう日のようなお洒落をしてきたイメージを抱いたものです。

 

 早速、私たちは大交差点を右折した路地裏にある大衆居酒屋に腰を据えることにしたのですが、どうも会った時から妙に緊張しているというか、まるで受験会場に向かうような真剣な面もちの彼に違和感を覚えていたものです。たかがセクキャバに行くくらいで緊張している筈もないだろうが、そういえば彼と出会って以降、殆ど女性についての会話をした事がないことに気づいた私です。

 

 地元小料理屋で会っては話すのは、他愛ないバカ話の他には旅行の話や当時社会現象とまで言われたK1の話ばかりだった事を思い出しました。その時、ふと思い出したのは旅行の話についての奇妙な点です。とにかく彼は日本中の地方都市をよく廻っている、それにしてはあまり観光名所を知らないんですよね。それに加えて、いつも一人で旅していると語っていた点です。おそらく、彼女がいないのだろう。それは会った時から感じていた事なのですが、もしかして女性が苦手なのかな、そんな感じにもみえなかったのですが、私にあらたまってキャバクラないしセクキャバに連れて行ってほしいと頭を下げる点に、どうもかなりの奥手さを感じたのです。

 

 夕方の四時とあってか五階の居酒屋店内はガラガラでガラス張りの向こうには小雨に煙った六本木界隈が風景画のように迫っていました。

 

 大平くんは私と違ってあまり酒が強くなく、生ビールの大ジョッキを半分も飲むうちに頬が桜色に染まる程です。

 

 「今、彼女はいるのかい。」

 

 そんな質問をした時です。桜色の頬を歪ませ、突然饒舌に喋り出したのです。

 

 「いたら、ここには来ませんよ。最後に付き合った女性と別れたのは二年位前かな。その頃まではね、女性にはあまり不自由しなかったんですがね。」

 

 私は自分の想像が外れ心中苦笑したのですが、言われてみれば、彼の場合、イケメンタイプではないがとても優しそうで誠実な風貌をしている。それに加えて、名前の通った企業で相当な収入を得ているとも聞いていたし、実家が大変な素封家でもあるという噂も聞いていた。三十三歳という年齢からしても、なぜ結婚しないのだろうかという新たな疑問が生じてきたところで、早くもほろ酔い気分になった彼は喋り出す。

 

 「結局、僕の趣味というのが普通の女性には理解しがたいんだと思うんですよね。結婚とか恋愛にしても、僕の場合、趣味が邪魔をしていると思うんですよ。これは昔から分かっている事なんですが、辞める事ができない・・・。」

 

 「趣味が・・・?一体、どんな趣味なんだい。」

 

 趣味が原因で女性との縁を遠くしているって、どんな趣味なんだろう、私の眼からは興味の光が放たれました。

 

 「笑わないでほしいのですが、追っかけとでも言ったらいいのかな。」

 

 「追っかけ・・・?」

 

 少し考えて、すぐに気づきました。

 

 「もしかして、アイドルタレントとかの追っかけのことかい。」

 

 「へへへ、まあね。これって、オタクの神髄ですからね。でも、僕は自分じゃ絶対オタクだとは思ってませんがね。」

 

 「具体的には誰を追いかけているんだい。」

 

 「今はいないですね。だから苦しいんですよ。しかし、昔はホントに凄かった。大学を卒業した頃かな、イベントとかライブ、コンサート、彼女のために一年に百回位は顔を出していたかな。日本中を彼女について僕も駆け回った。だから、旅行の知識も豊富なんです。」

 

 「一人のアイドルのために一年に百回だって・・・!」

 

 私は思わず飲んでいたビールが喉に詰まりそうになったものです。

 

 「レインさん、何を驚いているのですか。中には年に二百回っていう熱狂的ファンもいるんですよ。」

 

 「二百回・・・!」

 

 一々、顔色を変える私に、大平くんは話し甲斐を感じたのか、立て板に水のように己が追っかけの半生を語り始めたのです。そして、なぜ現在キャバクラに行こうと思ったのかについて妙に説得的な理由を聞く事になったわけです。

 

 彼には随分と年の離れた実兄がいたそうで、彼が小学生の頃だったそうです。その実兄が当時人気絶頂だったキャンディーズのファンクラブに入っており、引退コンサートに行った実兄がしばらく悲しみの渕で飯が喉に通らない状況になってしまったのが、思えば自分の原体験であると思うと語り出したものです。当時、彼は小学生であったが、その頃からバーチャル世界におけるアイドル女性にロマンを抱くようになり、いよいよ自分がその世界に突入することになったのが高校生の時。おニャン子クラブの存在だったといいます。

 

 しかし、彼が言うに、追っかけにも色々な種類があるとの事。根本のファン心理は共通していても、珍しいところではオウム真理教の上祐さんの追っかけだとか皇室の追っかけなんていうのもあるそうで、おニャン子クラブ以降の彼の追っかけ変遷物語は次のようになります。

 

 

 

 

 

 

 

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