今年二月の初めにY美さんと会食の機会をもって数日後、私はニュースで「セクシー田中さん」の漫画原作者芦原さんがお亡くなりになった事件を知ることになります。これは漫画ないし小説等の原作をドラマ化するにあたって、著作者人格権、つまり原作を原作者の意に反して改変してはならないという著作者の権利が論点になったもので、時事ニュースとしては興味を抱く人とそうでない人とに二分されるようなニュースでしたね。

 

 法律的にはね、小難しいところもありますが、それは用語の意味などについてであって、事例としては難しい法律内容を含んだものではなく、ドラマ制作者と原作者との間でどのような話し合いがあったかという事が問題の中心になるような気がしますね。ドラマ制作実務の慣行というのも無視できませんが、普通の人は幾ら話し合って決めたとはいえ、原作者が命を懸けて産み出した作品なりキャラクターを原作者が結果として納得しない形で改変してはまずいだろうと考えると思います。事実、それが正論に決まっています。

 

 ところで、浅田次郎さんの有名な小説「鉄道員」というのはご存知でしょうか。ホントに泣ける物語というか感動的な小説でして、これが映画になって大ヒットしたのも記憶に残るところです。主人公の高倉健さん、見事なはまり役でしたね。廃線が決まった北海道最果ての駅で雨の日も雪の日も妻を亡くした日も働き続けた駅長の最後は、高倉健さんが原作のイメージを壊さずに演じきった感があります。しかし、この映画「鉄道員」には非常に珍しいというか妙に観客の心に残るシーンがあるんですよね。それは何かというと、短時間ですが、あの志村けんさんが哀愁の酔っぱらい役で登場するシーンです。志村けんさんはコメディアン道を貫くためにドラマには絶対出演しないと決めていたそうですが、噂では高倉健さんが直々に頭を下げて出演依頼してきたので断れなかったということらしいですね。私がなんでこんな話をし出したかというと、志村けんさんの酔っぱらい役、これって原作にはないんですよね。だから、酔っぱらって最後ズッコケる志村けんさんの存在って、一歩間違えるとあの感動の名作のイメージやら主人公の存在感にかなりの影響を与えかねないものだったと思うんですよね。しかし、実際は原作のイメージを壊すどころか盛り上げたところもあったような気がしますね。

 

 まあ、こういう例もあるという事で話を進めます。

 

 私はちょっとセクシー田中さん問題に関心を抱き、色々調べて文章にしようと思ったんですよね。純粋な法律問題としてはあまり見るべきところもないような気がしたのですが、過去の著作権侵害が問題になったケースを調べているうちに、平成の一桁時代、沢田知可子さんが歌って大ヒットした至高のラブソング「会いたい」についてもですね、作詞家と歌手との間に著作者人格権が問題になった事を思い出したのです。これは最終的には両者が和解して仲直りしたわけなので、騒動の詳細については触れませんが、私はこの騒動の中に非常に興味深い一つの事実を今回知ることになったのです。

 

 閑話休題。

 

 至高のラブソング「会いたい」とY美さんの寂しくて心を病むほどの精神状態との間に、私がどのような関係性を見出したのか、それは次回に話します。

 

 

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