その彼女、仮にY美さんとしておきます。学生時代は別の学問を学んでいたそうですが、三十歳の頃から心理学に熱中しだしたそうで、働きながら大学に通ったり、心理学関係の資格をたくさん持っています。

 

 そのY美さんとの間で、私が書いている小説の件で話があり、昨年夏に立て続けに二回会ったのです。その時は、既に母上を失くし、ついで父上までを亡くした状況でして随分と悲しんでいたものです。それに加えて、再来月にはいよいよ一人娘が結婚して家を出ていくことになったと言っており、色々な意味で肩の荷が下りる思いであるというような趣旨の話を静かにしていたものです。

 

 旦那さんとは決して仲が悪い状態ではないが、金持ちの彼女たち家族はもう一軒隣県に家を所有しており、最近旦那さんは風光明媚なそちらでの生活が気に入っており毎日一緒にいるわけでもなくなったと言っていたものです。

 

 居酒屋のテーブルの向かいで、どうも心なし元気のない笑みを浮かべる彼女でして、何を考えているのかはよく分からないが亡き母との思い出を熱く語るあたりに悲しみの克服を感じはしました。

 

 私の人生は母の都合のよいように振り回された、それは事実であり一時は恨んだ事もあったけれど、今自分がこうしてまともに生きていられるのは母のお陰であり、背後で母を支えていた父のおかげであると言っては、元気はないが善人の笑みを浮かべるわけです。彼女の実家は東北の観光都市であり、東京から看病に行くのにも限界があり、もっと親孝行したかったと言っては寂しく笑い、やがて話は近々に式を挙げる一人娘の話に及ぶわけです。

 

 空の巣症候群というのは、私には縁のない世界ですが、なんとなく共感の出来るところがあり、結局、私のような素人心理学研究家には共感の出来る心理現象しかよく理解できないというところがあるんだと思います。精神科医のように患者の世界に入り込んで正しく理解するというのではなく、自分を基準に理解しようとするのが私のアマチュアたるゆえんかな。

 

 きっと彼女は相当に人生の寂寞というものを感じているのであり、そのために彼女がおそらく取るであろう行動についてもなんとなく想像できたものです。

 

 しかし、その席で彼女はとても意外な事を語り出したんですよね。それは45年も前の高校時代の話です。当時の彼女は県内でも優秀な高校に通っていたそうなんですが、クラブ活動では演劇をやっていたそうです。

 

 その演劇活動の中で、他校との交流会というのがあったそうです。真面目な高校生達が時々会っては語り合い励まし合うという青春ドラマのような世界で、おそらく年代的には昭和52、53年頃であったから学園紛争時代や神田川に代表されるフォークソング時代の晩年期といった頃でしょうか。

 

 定期的に他校との交流会を重ねるうちに、彼女はそのうちの一人の男子生徒に恋をしたのだそうです。とにかくカッコよかった。素敵な男性だったというわけで、ルッキズムを嫌う素敵な今の彼女には似つかわしくない台詞がアルコールの力で口から出てくるわけです。

 

 その後、その彼とは親しくなり家の住所や電話番号の交換をし、一回だけ地元の遊園地でデートをしたが、結局、恋人関係にはならなかったと言います。

 

 私が小説を書くのを知っていて、素敵なネタでも提供してくれているのかなと思ったのですが、この程度の青春の甘酸っぱい体験談なら私にもあるわけです。

 

 しかし、いつになく饒舌になった彼女は、ウーロンハイを飲みながら、こんな事を言い出したのです。今、自分はどういうわけか、その時の彼の事ばかりを考えている。ずっと忘れていたというか、顔さえも明確に脳裏に描きだせない程歳月が経っているのになぜなんだろうと首を傾げるのです。元彼だとか初恋の相手なんかは全く思い出すこともないのにねと少し元気が出た感じで微苦笑を浮かべます。

 

 勿論それから45年も会っていないのだから、今彼がどこで何をしているかも分からないというよりも生きているかどうかも分からないと苦笑交じりに私を見るわけです。ただ、誰かの中に彼を見出したいと思っているという妙な事を言い出したのです。

 

 どうもね、私に言わせれば、男性と女性の恋愛観には特徴的違いというものが結構あるのではないかという意見を持っています。皆が皆そういうわけではないと思いますが、例えば、その一つとして、別れるまでに悩み苦しむのが女性の方だとしたら、別れて後悩み苦しむのが男性の方ではないかという点があります。つまり別れた後の態度というか考えに男女の違いを感じるんですよね。男性よりも女性の方が、実際別れてしまえば、はい、おしまいといった感じであっけらかんとしている傾向を感じる反面、女性よりも男性の方が後を引き美化にまでつながるような気がするんですよね。

 

 それはさておき、Y美さんの話を聞くうちに、これは現在の彼女の空の巣症候群が影響しているのではないかと感じた私ですが、どうも空の巣症候群と結びつけるのに不自然な感じも得ていたのは事実です。その話はそこで終わったのですが、半年後の先月二月、またY美さんと会う機会があったんですよね。

 

 今度は銀座のレストランで会って、小説創作の打ち合わせをしたのですが、その合間にまたぞろ彼女は半年前に言っていた高校時代の思い出の男子について語り出したのですが、その後の話を聞いているうちに目が点になり驚嘆してしまった私でした。

 

 

 

 

 

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