久々にエッセイを書いてみようと思います。まあエッセイは小説と違って作り話を根幹に据えるものではなく、体験した事実を基に展開することが多いですよね。

 

 しかし、体験した事実を基にといっても、時として登場する関係者の名誉やプライバシー権に触れる可能性もあり、そういう意味でかなり話の部分部分を脚色する必要が生じてくることがあります。

 

 これから書き綴る話は、純然たるエッセイというよりもエッセイ風小説といった方がいいのかな。まあ、基本は実体験に基づくものと思われて結構です。

 

 今、私は馳星周さんの「不夜城」を読んでいるのですが、チャイニーズマフィアが歌舞伎町で大暴れしていた時代を自分史的に思い出してしまったものです。

 

 世紀が変わった2000年頃の話です。あの頃から約10年位、私は真剣に脱サラして飲食店をオープンしたいと夢見ていたんですよね。私は本来職人とか芸術家に憧れるところがあり、お金をいじくり返すだけの趣味志向は全然なかった。だから青年実業家に憧れるなんてことは決してなかったけれど、飲食店経営をなして成功している方々にはとても興味関心があったものです。

 

 自分の将来を夢見る自由は誰にでもあるわけでして、頭の中で通り魔殺人の計画を妄想しても、頭の中だけであれば罪に問われないのは当然です。まあ、今考えれば、私の夢見る飲食店経営というのは通り魔殺人とまではいかないけれど、自分の人生を破壊しかねない程に危険なものであったとは思っています。

 

 また当時の私はいろいろ考えるところがあって、物凄く人脈の広さというものにこだわっており、派手な社交の日々を過ごしていたものです。しかし、桜梅桃杏とおりに我が身咲ききれなんですよね。梅の蕾はどんなに頑張っても桜の花は咲かせられないが、桜に勝るとも劣らぬ綺麗な梅の花は咲かせられる。桃も杏もしかり。要は自分が本来有している蕾をよく理解して本当の自分らしい花を咲かせる事が大事なのであって、当時はまだ30代、自分の蕾がまるで分かっていなかった。いい年して恥ずかしいけれど、心理学でいう自我同一性の確立に問題があり、非行的自我同一性の確立に突き進んでいたのかな。

 

 それはさておき、当時私にはオランダ人の友人がおり、彼とは少し面白い夜遊びをしていたんですよね。お互い交換するように東京近辺のプレイスポットを紹介し合っていたのです。私が紹介する東京のディープな世界に彼はとても喜び、私は私でグローバルな夜の社交場を紹介してもらっては喜んでいたのです。

 

 そのオランダ人から紹介されたのが、当時、歌舞伎町の入り口辺りにあった商業ビル3階にある東南アジアB国の民族的レストランだったのです。具体的な国名は避けますが、そこそこ広い高級店で、なんというのでしょうかね。とにかく、東京におけるB国の広告宣伝塔のような店でして、民族衣装を着た従業員たちが本場の料理を運んでくることは勿論のこと、店内中央には国旗が飾られ、日本で言えば昭和天皇のような方の肖像写真が掲げられ、大型スクリーンはカラオケではなくB国の紹介動画をずっと流し続けているわけです。お客さんも日本にいるB国人の中では最高級のステータスを有する方々がたくさん来ていたものです。

 

 そのオランダ人の友人に言わすと、その店は最近オープンしたものであり、そこの経営者とは昔から親しい関係にあるので、私にもその経営者を紹介してあげようという考えからでした。

 

 初めて経営者であるレン君(仮称)を紹介された時、その小柄で痩せた体躯とメガネをかけたのび太君のような風貌から、私的には歌舞伎町でレストランを経営するようなタイプには見えなかったものです。子供も三人いるよき家庭人なのですが、年齢は偶然にも私と同じでまだ30代でした。しかし、レン君のキャリアを聞いていると、なんとなく事情が分かってくるような気がしたものです。

 

 レン君は勿論B国の出身で、実家は大変裕福な名家であり、アメリカの大学を卒業しているとのことでした。日本語と英語の他に北京語等も流暢に喋り、全部で六か国語を操ると聞いて驚嘆したものです。どうもですね、詳しい内情は知りませんが、その歌舞伎町のレストランの経営にはB国政府やB国の航空会社からの援助があり、なんらかのコネで頭のよいレン君が経営者として関わっているという感じだったのです。

 

 初めてレン君と店で会った際、彼はとにかくこのレストランを日本で成功させなければならない、見かけとは裏腹に話しているうちに物凄い情熱と使命感が周囲に炎となって漂ってくるような気がしたのを覚えています。私とは意気投合したところがあり、その後頻繁に会うようになるのですが、いろいろと経営戦略を聞くうちになんだか自分も夢の一端に加わっているような気がして楽しくなってきたものです。

 

 彼の場合、たんなるレストラン経営だけでなくB国を背負って立っているようなところがあり、そんなところにも私は人生意気に感じたのだと思います。当時の私の友人知人を片っ端から、そのレストランへと紹介しまくり、私自身もレン君がいなくとも月に二回は食べに行っていたものです。

 

 愛の果て・・・。

 

 この店で壮絶なる不倫事件が起きているのを知ったのは、それからしばらくしてからのことでした。

 

 

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