🥹❤️わかりみ深すぎて好き


大分前にTwitterで見掛けて、あまりに腹が立ちすぎて言語化もうまくできていないのだけど、「服装の歴史を調べても、食うや食わずで明日をも知れぬ農民の服の名前がわからない。そういうものが知りたいのに、歴史には載らないんだ」みたいな発言があってさ……↓


まず、調べ方が悪い。日本史でなく民俗学のコーナーで調べればいくらでも出てくる。野良着だけでも、地域毎に微妙な形状や名称の違いをもつバリエーションが、処理しきれないほど出てくる。付け加えると、百姓にだって晴れ着の文化くらいあるし。


貧しければ貧しくない農民と同じ服を着古したりしてるだけだろ。食うや食わずの百姓だけが着る服装があるだろうという思い込みの醜悪さ。なんだよその「ボロを着た貧民じゃないとリアルじゃないのに、見付けられない。自分が求めてるリアルは歴史の闇に葬られている」みたいな思い込み。グロすぎるだろ


「人類館」とかもああいう、自分は善良な知的好奇心の塊でむしろ弱者に誠実だと思い込んでる人達のためにあったのだろうなあ。

ただ、そこから一歩先へ導き、事実に基づいた広い視野を提供し、偏見を取り払うことが、現代のアカデミズムの本来の役割のひとつだとも思う。いや、そうあってほしいと願う


いやほんとに……そもそも農村社会への理解が低いから、解像度の低い『自分の考えたリアル」しか持てないし、冷静になれば意味分からんほど醜悪な偏見を平気で持ってしまうんだよ。歴史の闇が隠してるんじゃなく(そういう場合もあるとは思うが)、その人自身の無知の霧が視界を覆ってしまっているんだよ


あと一段、あと一段ステップを上れたら視界が開けるかもしれないのにな。 そのもどかしさも強烈だったが、生憎その時の私はあまりに腹が立ちすぎて、お節介な助言者にはとてもなれなかったのだった。


だってそれ難民がスマホ持つなとかホームレスが清潔な服着てたら胡散臭いとかと言ってる事同じ。当時の身分の違いとかの話じゃない、その人自身のド偏見だよね……。それを「歴史の闇」のせいにすんなよ……大きい博物館じゃなくても、地元の民俗資料館とか行けばいいじゃん……


今考えれば酌むべきところはあったし、自分の持っている情報を淡々と提供すればよかったのかもしれないけど……。そんな考えも持てないくらい、あの時の私はなんであそこまで激昂してたのか、振り返ってもまだ整理しきれないものがあるんだよな。母の郷里が貧農といえばそうだったのもあるのかもしれん


ゆうて私の母の子供の頃、さすがに戦後だが、昭和にはまだ『昔話みたいな』暮らし、あったんだよ。今だってそう変わらないとこあるかも知れん。民具や野良着、いっぱい寄贈されて保存に困るほどになってる自治体の資料館も結構あって、どう残すか苦心しておられるのだよね。


よく昔も今も人は変わらないなんて言うが、あのフレーズ大っ嫌い。だってそんなことを安易に言う割に、自分と、ちょっと前と大分前と少し昔と昔とかなり昔と大昔とすごくすごく昔とものすごく……以下略の繋がりを脈絡として捉えて思いを馳せられる人がどれくらいいる?


勝手に自分たちのいる「今」と「昔」を切り分けて、まったくの別物だと決め付けた上で、多くの差異を無視してわずかな共通点だけを拾って、勝手に驚いて勝手にシンパシー抱いてるだけの自作自演じゃないか。


というか、むしろ他人事として好き勝手に食い散らかすために、意識的に切り離して単純で解像度の低いふわふわファンタジー化しようとしてるんじゃないか?


私は真逆のことがしたい。複雑さに分け入りたい。多様性を知りたい。解像度を上げたい。だからふわふわファンタジー化に抗いたい。


まあ、自分が普段掘ってるとこは大体ニッチだけど、それに比べたら吉原とかメジャーコンテンツで、ほんとにまあファンタジー化激しいよね。今に始まったことじゃないが、受動的な経験知だけで基礎理解できる文化的土壌はどんどん細っていくばかりなのがな……


その痩せた土壌を肥やそうとせず、ファンタジーだけ育てて享楽的に愉しもうとするなら、その人たちこそ文化を絞め殺す現行犯だよ。そのくらい切羽詰まったところに来ているのにな。


いい加減、敷居を下げて間口を広げるとかいうやつが、間口を広げる「だけ」で、入った玄関先にも家の中にも何も置かずにまた違う門に入らせるだけの商売になっちゃってて、受け手を育てられずに自分達の首を絞めて人文を()ここまで弱体化させたことに気付いて欲しいもんだけどな。現実を見ろ現実を。


https://x.com/sakana6634/status/1755313718542688479?s=46