れあとの別れを話す。



家族の反応はまちまちだった。


新しい女性の存在を語らなかったせいか、


父親は
「又よりを戻すさ。」
と言い、

母親は
「何だか残念だわ。」
と  宣(のたまわ)っていた。

何だよ。母君は。
年上で、偉そうで、男っぽい。しかも、事務的で、挨拶がCMに出ている時みたい、笑顔が作り顔、料理が上手じゃなさそう、しまいには興信所の結果で、生い立ちや素性が明らかでない、と来た。

反対だったんだろ、結婚に。


「でもね、あの方は腕がとても長いでしょ。彼女がバレエをやっていたらどんなステキなプリマドンナになってたかしら。
そうそう、貴方達の子供でもいいわ、私がレッスンをつけたらどんな見事なバレリーナになったかしら。」


僕はもう、34だ。彼女は4つ年上だし、もう子供を生む気なんてないだろ。
仕事も続けたいだろうし。


「そうね、そうかも知れない。これからは貴方より若いひとを探すのね。
うちは、貴方が一人っ子だからこれで終わり、って訳にはいかないわ。」


そんなの  カミ、ノミゾ、シル、話しだ。


「だけど、君は初恋の女性と一緒に住んでたんだから、シアワセなヤツだよ。」


と父は言う。



18の僕を小劇場に連れて行った時の、まだ無名の女優を父は覚えていたんだろうか。

脚本家が友人だったのでチケットを貰い、なんとなく行っただけ、という話しだったが、父もあの演技を評価していたのだろうか。


僕はあの空間の中に未来の自分の入り口を見出した事を、父に知られているとは思ってもみなかった。

芸術学科付きの大学には行ったが、ぼくの専攻は映像美術だ。
オーディションを数々受けて俳優になったのはその何年も後の事だった。



父は、お金に不自由した事のない僕が、
古びた小ホールで貧乏のあまり何も食べられない娘を演じている、
無名の年上女優を好きになってしまった事を

何故知っていたのだろう?



「何の話し?貴方の初恋の方って。
礼愛さんが?何で?どういう話し?」


父のジョークさ、


僕は軽く言っておいた。


「君は又、礼愛ちゃんとよりを戻すさ。
君があの娘と別れられる訳がないだろ?」


父も面倒臭さでは母に負けない。



言葉数は少ないが、意味の深さや重さがハンパではなく、
静かに対象物を威圧する。



いつまで家にいて、どれだけの事情説明をしても、
彼らの頭の中に入っている情報の数や質に変化はなく、僕らの付き合いに対する考え方も変わらない。



少し早かったが、紳との夕食に出かける。


「まぁ、紳ちゃんとも久しぶりだからママも一緒にいこうかしら?」


リビングからそんな声が聞こえていたが、
僕は急いで靴に足を押し込んでいる。


母君は仕度に時間がかかるだろ?


僕の言葉は放物線を描き、玄関のドアの方が先に閉まったに違いなかった。





風が晩秋になっていた。
薄着過ぎたか。


紳のヤツきっと、天麩羅屋の待ち合わせに遅れて来るに違いない、とは思ったが、マフラーを取りに帰るのに敵の要塞は壁が高すぎるし、兵士が一名ついてくるのも面倒な話だ。





何てツイているんだろう、通りに出るとちょうど目の前でタクシーを降りた客がいた。








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翌日の夕刻、マネージャーにカードキーを渡し、衣類を出来るだけ引き上げて来るように頼んだ。



本当は自分も行かなければならなかったが、
当然のごとく気乗りがしなかった。







ファンの 北澤薗子とは、手紙で数回やり取りをしたが、その後プライベートの携帯のナンバーとアドレスを教え、今は三日に一度くらいの割合でメールが来ていた。


電話でのやりとりもあったが、
それでも一週間に一度程度か、もっと間があく。

向こうは一般人で、遠慮深い女性だ。




以前に一度、本当に逢ってみたくなり、初夏のある日、来週お茶をしないかとメールで誘ってみた。


「いいですよ。(^-^)/」


それが彼女の返事だった。




僕達は、彼女が知っているという、世田谷の住宅街の中にあるこじんまりとしたカフェで逢う約束をした。
並木はむせかえるほどの緑が揺れ、街はひかりに溢れていた。



れあに悪い。

という考えがよぎらないわけではなかったが、自分に言い訳をする。
昨年の秋、薗子から初めてのファンレターをもらった日の夜、週刊誌のゴシップの内容を説明する れあは珍しく慌てていた。



私が、プロデューサーと浮気したと思う?
週刊誌の見出しを信じている?


何故か質問攻めする彼女に、

浮気なんかしていないと思うよ。

僕は答えた。

「浮気」というのは自分の定義の中で、必ず少しは好きになっている事が前提で、仕事など全く関係なく恋心を抱いて近づき、深い仲になった場合の呼び名であって、





例えば、、、

その当時のあるTVドラマのヒロインのオファーを受けるため、プロデューサーと れあが接近していたとしても、


れあの言うように
朝まで飲んでいただけ、だったとしても、

例えばもしも、高級なホテルに一泊してしまった、
としても


あまり違いはない。

それを浮気と呼ばない。

そんな事でいちいち別れていたら、
僕に、女優の彼女は何人いても足りない。



だから、プロデューサーとのゴシップが出て れあの事を遠ざけて行ったわけではない。

そしてそれがきっかけで、薗子と手紙をやりとりしたり個人のアドレスを教えたわけでもない。





横浜から出て来る薗子とカフェで逢う約束をしたが、道が渋滞していてタクシーは同じ場所にずっといる。
もう薗子との約束の時間になってしまった。
俳優のような仕事をしているから、一般の人との約束の時間に遅れても平気だと思われるのがイヤだった。 


僕は大通りでタクシーを降り、早歩きで携帯のナビを頼りに店に向かっていた。



しかし、悪い事は出来ない。
本当にこんな偶然があるのだろうか。
もう少しでカフェに曲がるという道の反対側に、見た事のある車を発見した。
もしや、と思ったがそんな偶然を認める自分から逃げたかった。



僕はその緑の車を見ていないと自分に教えた。
君は何も見なかった、同じ車もよくあるだろう、ましてやナンバーも確認していない、そして小走りに角を曲がろうとした。


クラクションが鳴らされ、れあが降りて道を渡って来る。


「えーっ?ねぇ、何してるの?こんな住宅街で。すごいー。びっくり。」

「君こそ何してるのさ。(時間稼ぎだ。)」


「私は撮影所に向かうとこよ。マネージャーが、用事で人の家に寄ってるので、待ってるの。今日の撮影所は顔合わせよ。早く帰るわ。」


そう言えば、ここから車で20分くらいの所に撮影所があった。
迂闊だった。


「僕はね、昔の友達と隠れ家カフェでお茶だ。」

「あれ?聞いてなかったけど、、そうなんだ、へぇー、それで、、、」

僕は歩道に立って話しかけてばかりいる れあの脇で、気が動転して何も耳に入っていなかった。


「じゃあね、約束の時間を過ぎてるから僕は行くよ。


「うん、じゃあねー。」

れあは自分の車に戻って助手席に座っていた。
多分運転はマネージャーなのだろう。


用心深く角を曲がるとすぐにその店はあった。しかし、家と家の間の人しか通れない私道が石畳になっていて、
両脇に野花の絡まったフェンスがある。
私道の終わりが庭になり 、


庭の入り口の野ばらのアーチをくぐってから30メートルも先に焦げ茶の桟のガラス戸が見えるのだった。



少し息を切らしながら、約束のサンルームのようになったテラス席の奥の席に向かう。テラス席には誰もいない。




もう、20分も遅刻してしまった。
れあは、10分くらいも何かを話していたのだろうか?



しかし。



約束の席に彼女はいなかった。

テーブルの上に飲み残しのレモンティーがあり、
彼女のけはいがまだそこにあった。


まだ、店の中にいるのでは、とも思ったが

「この席の女性は?」

と店の女性に尋ねると、

「先ほど急に帰られました。」

との返事だった。


そうだ、


角を曲がってこの店を発見した時に、ここの路地からうつむき加減の、か細い女性が早足で出て来たのを見た。

彼女だったのだろうか。


店に、「待ち合わせだったから、」と告げて外へ出てみたがもうその女性の後ろ姿も何もなく、人影もない住宅街の並木が風にざわめいているだけだった。


僅かの時間に れあも撮影所に行ったらしく、角を曲がった道には路駐の車もなかった。



後ほどのメールで、
薗子は店がわからないのではないかと心配して道に出て、
角を曲がったところで 僕とれあが立ち話をしているのを見てしまった、と言っていた。



週刊誌やネットで、僕と牧野礼愛が同棲している事もその他のゴシップも彼女は知っていた。
知っていながら、ファンでいてくれてお茶にも来ようとしてくれていた。
彼女は道で僕らを見た時、何故だか揉めていると思ってしまった、と言っていた。

れあが怒って待ち合わせについて来たのでは、と思い、店に戻ってバッグを取り、支払いを済ませて大急ぎで帰ったと。




そしてその後、僕は薗子と逢えずにいた。



写真をメールで見た事はあるが、
バラのアーチの近くですれ違った女性は果たして彼女だったのだろうか。


今となってはわからない。



彼女は僕の胸の中にある四角いペンダントの中の一枚のセピアの写真になった。
そして、
そのペンダントは今は蓋が壊れていて開ける事が出来ない。



「すぐに帰ったの?悪かったね。」
という僕に、


「久しぶりだったので、東京駅をぶらぶらして、丸ビルで食事をして帰ったわ。」


というメールが来ていた。


暑さがまだいくらか爽やかな7月の始めの事だった。






明日の晩は 紳と食事をするが、何を話していいかわからない。



あんなに逢いたくて話しをしたかった紳なのに、

いざとなると、何をどう説明しようかと思う。




彼は、僕と れあが一緒になると思って疑わないたった一人の親友だった。



冷静になると全てに気が重い。


面倒臭い母親にもまだ何も話していない事に気づき、



時計の音が気になって眠れない、長い夜更けになった。








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落ち着いた雰囲気のカフェだった。
実家の近くにこんなところがあった。




世の中に別離の理由をどう公表されるのか
知るところではなかったが、身内にはそれなりの報告をしておかなくてはならない。



考えているうち、パリの紳からメールが入っていた。
「2~3日早く、帰国予定。そうでないと、もうあまり君に逢えないからね。
少し、報告あり。」
と記されていた。昨晩届いていたのだろうか。
見落としていた。



紳は幼馴染みで、母の主宰するバレエ教室の生徒であり、実は僕も通っていたのだが9才になる頃いきなり行くのをやめた。
それは白いタイツに女のような衣装で発表会などに出される事に反抗を覚えるようになり、紳と比べて手の長さが足りない、と母に嘆かれたからだ。


「紳ちゃんは貴方より背が低いのに腕は長いのよね。ターンも上手、アラベスクも完璧。
どうしてかしら?」

と言われたのを機に、これ幸いとバレエをやめた。
紳とはとても仲が良かったので、腹が立ったとかそういう事は全くなく、逆に紳がいてくれたおかげで母の期待が全て彼の方へ向き、
僕はそこらへんの趣味でやっている爺さんの手品教室に行かせてもらえるようになったので願ったり叶ったりだった。



その頃僕は、クラスの女子に
「女のような格好をして踊っているヤツ」と思われるより、「マジックが出来るカッコイイヤツ」と思われる方がよっぽどマシだった。





ところで紳の報告とは何だろう。
きっと又、もっと大きなイベントに出るようになったとかいう話しだと思った。


明日、彼は帰国する。



僕はカフェからタクシーを拾い、仕事のインタビューを受ける仕事に出かける。
こんな機会なので外苑前のショップに寄り、ほとんどを着替えてしまおうと思っていた。
雑誌の仕事は自前の服と言われていたが、今までの部屋に戻ってウェアを物色する気にはなれなかった。







撮影後のインタビューは、アメリカ行きの仕事のビジョンと、日本での最終予定、又帰国してからの新しい仕事の話しに終始していた。

れあ との話し、ましてや別離の話題などひとつも出なかった。

まぁ、ファッション誌だしな。
流石に昨日の今日の話しは出ないに決まっている、何をビクビクしている?
帰りのタクシーの中で れあもこんな思いをしているのかと、ふと考えていた。



スタジオを去ったあと、マネージャーと込み入った話しが待ち受けているのを思い出す。
頭が痛い、



街は沢山の人が満ち、皆が様々な思いを抱き、沢山の幸せや沢山のちょっとした不運であふれ返っている。





僕の憂鬱など、笑い話だ。



何故落ち込んでいる?
近いうち、思い描いていた彼女に逢えるだろ?




北澤薗子にもうすぐ、逢える。




又、ジャケットの内ポケットが仄かに暖かくなるのを感じる。なぜだろう、
今はそこにもうとっくにファンレターも入っていないというのに。





何を思ったか、タクシーは混雑の中、細い路地へ急に左折した。