2005年に寝台特急出雲に乗車したときの記録の続きです。
 

●鳥取駅に到着

 

 

●2両しかなかった50系客車から改造されたキハ33系が後ろについていた。

 

●倉吉駅に到着。ここで降りて後続の特急で米子に行った模様。なぜそんなことをしたのか全く記憶がありません。多分この頃あった周遊きっぷを利用し、特急の自由席に乗れたからかな。

 

●割高感があった開放式B寝台。もったいなくてあまり乗らなかったが、今となっては多くの寝台列車に乗っておけば良かった。

 

●米子駅に到着した出雲。

 

●まだこの頃は貨物列車も米子まで運転されていました。

 

●転車台方向を見る。20年以上経っているのに今と変わらないですね。まぁ、もっと昔から変わっていないと思われますが。この頃もちゃんと転車台にディーゼル機関車が止められていますね。前の投稿で転車台の前は日中キハ47が鎮座していると書きましたが、まさにこんな感じで止まっています。

 

●出雲市に到着しました。この時は編成が少し短かった記憶があります。

 

 

●方向幕が「北斗星トマムスキー」。ちゃんと方向幕も作られていたんですね。山線周りやこのトマム行きの北斗星、夢空間などの乗車にあこがれていたものです。もっとも北斗星には、1往復になってから1回乗ったことがあるだけですが。広範囲で運用されていて、青森で大雪が降ったら、九州寝台運休とかの話が分かりますね。

 

 

 今年米子駅で多くのディーゼル機関車を見て、以前乗車した出雲の写真を振り返って見ると、夏に米子駅で見たレール運搬の任に就いていたDD51-1186がまさにこの時に出雲を牽引していた機関車でした。定期で旅客を乗せることもこの先無いと思われ、花形から一線引いた国鉄型ディーゼル機関車ですが、まだまだ活躍して欲しいものです。