仕事1でのおばちゃんたちへの不満は、これまでも何度か書いているのだけれど。
また同じ話。でも「あぁ…」と思う出来事があったので、やっぱり書いてしまう。
60を超えたおば様たちは、年金がもらえるその日まで、この職場で粘る覚悟なのだと思う。
身体にあちこち不具合が出るのは仕方ない。そこは誰も責めない。
ただ、自分を「ハードワーカー」だと言い切る、その胆力はすごい。
ある日、ひとりが言った。
「やることが無いのがとても嫌!時間を無駄にしているみたいで!」
その発言を聞いた数分後、彼女はケータイをいじっていた。
通りすがりに画面が目に入る。オンラインショッピング。お昼時間も、ほぼオンラインショッピング。
やることが無いのが嫌なのではなく、やりたくないことがあるのが嫌、なのでは?
私はその間、翌日の準備やその日に必要なことを、自分のペースで淡々と進めていた。ここでイライラしても仕方ない。でもだからといって彼女の分まで働こうとも思わない。
私は、チームとは「誰がどれだけやるかを固定するもの」ではなく、手が空いた人が次を拾っていくものだと思っている。
でも彼女は違う。やりたくない仕事は、視界から消せる能力を持っている。目の前にあっても、完全スルー。
そのうえで「やることが無いのが嫌」と言い切るのだから、脳内構造を一度のぞいてみたい気持ちにもなる。
以前書いた、お昼時間の“30秒で終わる手伝い”への文句も健在だ。
「休み時間なんだから」とぶつぶつ言う。いや、あなたは通常時間でも動かないでしょう。
私は別にそのお昼の対応が嫌なわけではない。
今年はそれを「ソーシャル時間」と勝手に名付けて、訪れるスタッフと少し会話を増やす機会にしている。どうせやるなら、意味づけを変える。
いずれもボスにも何度か相談はした。
改善案も出た。曜日担当制の話も出た。
でも今回も変わらないということが、はっきり分かった。
ボスは「そうよねぇ」と共感はする。
でも行動はしない。
夫が「マネージャーがマネージメントできてないなら、それはマネージャーの問題。自分でどうこう直してみようとしなくていい」と言い、私もそう思う。
それに気づいた瞬間、ああ、もう伝えるのはやめよう、と思った。エネルギーの無駄だ。
今年は、「やらなきゃいけないことが出来ていない」と焦るのをやめた去年に続き、私は私の出来ることを、私のペースでやる。
仕事2ではもっと頑張ると決めている。
戦う場所は、自分で選べばいい。
