父は家に帰ってきたばかりの調子の良い時は

口数も多く いろいろ我儘を言った。



お酒の大好きな父は

とろみの付いた飲み物しか飲めないのに

ビールが呑みたいと言うので

『ダメだよ。私は もうすぐ健康診断だから

 今 禁酒してるから。終わったらね』

と言ったら ちゃんと健診の日を覚えてて

『あと◯日だぞ』って。

頭はしっかりしてたので健康診断前日には

『キーンと冷えたヤツ。楽しみだねぇ〜。

 明日は飲酒運転はダメだから

 (夫)君に送ってもらって来いよ』って


妹が少しなら大丈夫だろうって言うから

安心して一緒に乾杯してビールをのんだけど

自分が記憶してたほど美味しくなかったのか

とろみがないと飲み込みにくいのか

舐める程度に飲んで

『違う…もっと冷えたグラスで

 キーンとしたのが呑みたかった』

と言って 少しでやめた。


😮‍💨グラスも冷凍庫で冷やしてビールも

キーンと冷えてたんだけど…


『寒い寒い』って言うから24時間暖房入れて

部屋はいつも真夏級に暑かったし

どうせ少ししか呑めないから

注いだビールが少量なのと

サッと呑めないから モタモタしちゃうから 

ぬるくなっちゃったんだと思います。


だったらと 大好きな日本酒を口にしたけど

カーッと喉にきたのか

特別取り寄せてたくらい大好きな限定の酒も

嫌な顔をして『ダメだ…』と呑めなかった。


手術が決まってから 肝臓のために禁酒して

最初の退院の後 少しだけでも呑みたいと

夕飯の後 盃1杯だけ お酒を呑むのを

楽しみにしていた父。

『元気になったら 美味しい店予約して

 皆で楽しく呑みたいなぁ』って

其の為にも 元気になるって頑張ってたのに

大好きなお酒 美味しく飲ませてあげたかった。


ビールや日本酒は まだ飲み物だからマシ。


とろみのついた ドロドロの嚥下食しか

食べてないのに 食べれなるはずないのに

『揚げたてのトンカツが食べたい』と暴れて

見てないけど かなり大暴れだったらしい

妹から トンカツ用の肉を買ってきてって

電話が来た時があった。

母がトンカツを揚げて細かく切って出すと

せっかくのトンカツ 一部をほぼみじん切り

じっと見て『トンカツじゃない』って。

残りのとんかつも見せて

『このトンカツの ここだよ』と

納得させたけど ちょっとだけ食べて 

『もういい』って。

そりゃそうだよ 父には食べれない物だもの。


妹は父の事を考えて父に良くない事は

絶対させないようにしてたから 

いつもなら『誤嚥する!』と怒るのに

『多分この後 苦しむだろうけど仕方ないよ。

 私がなんとかするしかないでしょ』

って 妹が我儘を受け入れてたのを見て

本当に父の寿命は長くないのだと実感した。

その夜 私は帰ったのだけど 

父は本当に かなり苦しんだらしい

妹は『苦しいの覚悟で食べたんでしょ』って

言いながら 父が苦しくなくなるまで 

しっかり処置してたって母が言ってた。

我儘言って食べたけど後悔したんだろうなぁ。


父は アイスも食べたがった。

それも『〇〇アイス食べたい』って指定した!


指定されたら それを食べさせてあげたくて

お店何件も まわったけど無くて

ネットで調べたら 冬は生産してなかった。

似たようなのをさがして 食べさせても

結局『これじゃない』って納得しませんでした。

季節柄 今はそれがスーパーに

普通に並んでるのを見ます。

『生きててくれたら 食べさせてあげたのに』

って 見るたびに父の事思い出します。


父の一番すごい 一番最後の我が儘は

私は見ていないのだけど

『〇〇温泉に行きたい!行く!』

と暴れたことです。


毎日 身体は拭いていたし

傷口とお尻だけは毎日洗ってたし

時々 私や母が手伝って妹が手慣れた感じで

手足を洗ったりもしていました。


けど父は 元々お風呂が好きだったから


ゆっくり湯船につかりたかったのかなぁ。


母と山菜採りに行った後 いつも立ち寄った

地元の日帰りでも入れる温泉に行きたいって。

気持ちは 私達にだってわかるけど…


『どうやって入るん?』

『(私の息子)ちゃんが

 一緒に行ってくれるって言ってた』

『それは まだ歩行器で歩けた時でしょう。

 1人で歩けもしない 立てもしない

 座れもしない…(私の息子)でも無理!

 温泉入るどころか行くのも無理でしょ』

『行ける!』

『介護用タクシーで寝たまま移動してるのに

 どうやって温泉まで行くの』

『もういい!オレが運転していくから

 お前らには頼まん!』


そんな感じで言い争った後

父は自力で行こうと持てる力を全て出して

起き上がろうとしたらしいです。

母と妹は 今でも その時のことを

キツい言い方をしてしまった。

もっと優しく話せばよかったと後悔しています。

おむつを替える時『こっちつかまって』

『次こっち…』と ベッドの柵を掴んでもらい

父に協力してもらっていたのだけど

その頃は既に ほんの少しの時間しかムリで

手際の良い妹ならできるけど

私と母は 協力しあわないと難しいほど

父の力は ほとんどなくなっていたのに


本当に起き上がれはしなかったけど

温泉に行きたい一心で 

何度も身体を起こそうとしたそうです。

ビックリするくらい身体が上がったらしいよ。


ただ 足だけは自力で全く動かせず

しばらく悔しそうに暴れたあと諦めたとか…。


そんな騒動があったすぐ後

何も知らない私が仕事帰りに寄ると

嵐の後の静けさって感じなのかな

父は何もなかったかのように微笑んで

『(私)ちゃん来たんか お疲れさん』って

それを見た 妹と母は顔を見合わせ 妹に

『見た今の顔!ニコってしたよ。

 さっき 散々暴れたくせに 姉ちゃんには

 お疲れさん…って…流石 お気に入り😤

 父さんって 姉ちゃんの居ない時ばっか

 暴れるよね〜今本当に大変だったんだよ…』

って。

妹が私に父が暴れた時の話をしてても

父は他人事みたいな顔をしているから

『だって可愛い長女だもんね〜

 顔も父さんそっくりだし お気に入りでも

 当たり前だよね〜』

と言うとまた少し微笑みました。


その日 自分の全ての力を出して

全力で暴れたのを最後に

父が我が儘を言う事はなくなりました。



『お父さんの為にやってたけど 痛い事 

 苦しい事 嫌な事ばっかりやったから

 お父さんに嫌われなかったか心配だわ。

 その点 姉ちゃんは いつも優しい娘で

 最後まで いいとこ取りでズルいよね~』

と 妹は今でも言います。


父の世話をする時 手際の良い妹と比べて

モタモタする私と母のコンビの時は

『まだ?…まだ?…まだなの?😩まだ?…』

ばかり言われていた。

妹が看護師だったおかげで

出来た事はあまりにも多い。

嫌な役回りばかりさせてしまったけど

父にとっても母にとっても妹は

誰より頼れるいい娘だったとおもいます。