父の退院に向けて

母は毎日 点滴交換の時間に合わせ

液の交換になれる為に病院に行くようになり

父は やっと退院できると確信したからか

少しづつ気力が出てきました。


訪問医の先生が決まり

母が これからのことをしっかり確認し

介護タクシーの手配のつく日をおさえて

退院の日を決めました。


退院の日は 私と夫は仕事を抜けさせてもらい

仕事が不定休で休みだった二女といっしょに

実家で父を待ちました。


すっかり寒がりになった父が 寒くないように

部屋を暖めたりしながら 

介護タクシーが一番について

人手が必要だった場合に備えていました。

介護タクシーの人の要領の良さ素晴らしいキラキラ


介護タクシーが着くと

訪問医の先生 助手の方 訪問看護師さん

ケアマネージャーさん…と 次々に到着し

唯一人手が必要だった 父をベッドに移す時

私達が手を貸さなくても手を貸してくださり

サッとベッドに移ることができた事もあり

『あぁ これから こんなにたくさんの人の

 力を借りながら父を介護していくんだなぁ』

と ありがたく 心強く感じました。



父が退院して 数日たった頃

訪問医の先生が 話をしたいと言われ

私と妹も 訪問に合わせて

実家に呼ばれました。


訪問医の先生は

『今すぐって事はないと思いますが

 私の見立てでは 

 春まではもたないように思います』と


ショックでしたよ。紅葉は無理でも

桜は見られると思っていたのに

桜も見れないかもしれないなんて…


その後 希望ばかり持ってしまう私に気づき

『姉ちゃん しっかり現実を見て!

 先生は今すぐはないと言われたけど

 私は 今日亡くなる事もあると思ってる。

 そのくらい 状態は良くないんだよ』

と妹に言われ 更にショックでした。

家に帰ってきた父は 以前よりずっと力もなく

弱々しく見えましたが

口数も増え 病院にいた時より顔色も出て

父からは 生きる気力だって感じていたのに

そんなに父の状態が悪いなんて

私には信じられませんでした。


その日、訪問医の先生からは

『様態が急変し苦しんだ後 動かなくなったり

 今まで 話をしていたのに 息をしていない

 といった事もあります。

 そんな時 頭が真っ白になるものです。

 だから 今のうちに その時どうするか

 決めておいてください。


 もっと お父さんに生きてほしいなら

 救急車を呼んでくださってかまいません。

 普通なら亡くなっている状態でも

 更に数ヶ月生きられるかもしれません。

 ただ 本人は苦しいと思います。


 充分頑張られたから休ませてあげようと

 思われるなら 救急車を呼ばす 

 私達 訪問医の方に電話ください。

 出来るだけ早くは行きますが おそらく

 死亡確認をしに行く事になるでしょう』と


母は

『本人は元気な時 延命治療のような事は

 しないでほしいと言っていました。

 もう既に たくさん苦しんだので 

 その時が来たら救急車ではなく

 訪問医の先生を呼ぼうと思います』

と 伝えていました。



『延命治療はしないでほしい』

ハッとし 心に刺さりました。


家族の為に渋々受け入れたけど

もうこれ以上 手術というものは嫌だと

カテーテルを入れる事を最初断った父。


点滴で必要な栄養が入っていて

食べなくても死ねないのに

退院できる様子がないので生きる気力を無くし

目と口をギュッと閉じ 食べる事を拒否した父。


そんな父を 思い出しました。


年末再入院のとき 妹に言われて

家で点滴ができるように装置をつけて欲しいと

お願いした時 

もしかしたら カテーテルを入れる手術は

父の病状を正確に察することができた妹には

はじめから父を家で看取るための

手段だったのかもしれません。


でも 私も母も そうじゃなかった。


最低限の栄養を点滴で入れ少し元気になって

更に嚥下食でも 少しづつ量をたべられたなら

家で出来るリハビリをして 

少しでも筋肉つけて

車椅子に長く座れるようになったら

父を父の愛車に乗せてドライブしたり

母と一緒に公園を散歩することもできる。

春には桜を 夏には花火を 秋には紅葉を

見ることができるかもしれない。

私と母にとってカテーテルを入れることは

少しでも元気になって 

父に少しでも生きることを楽しんでほしい  

その為の 治療だった。


もしかしたら 手術をするにあたり

説明を受け 書類にサインした時の母は

少し違っていたかもしれないけど…


父が生きる気力をなくし 

食べる事を拒否した時

父に『生きていたくない』と言われた気がして

点滴で栄養が入っているから

食べなくても死なないのに…

生きて元気になってほしいと願う私達は

父をただ苦しめているだけなのかと

悲しくなったことを思い出した。


点滴を入れれるように 手術をしたけど

春まで生きられないし

元気になってドライブしたり散歩したりも

できないなんて…


あの手術は 結局父を苦しめるだけの

延命治療だったのだろうか…


何もしなければ 

家に帰ることは出来なかったけど

長く苦しむことなく息を引き取っただろう。


その方が 父が望む事だったのだろうか…

私達のエゴの為に

父の望まない延命治療をしてしまったのか…


私は考えさせられました。悩みました。

父は どうしたかったんだろう…

これは必要な治療だったのか

結局ただの延命治療でしかなかったのか…

考えても 答えは出ず 

本当の事は 父にしかわかりません。


どこまでが治療で どこから延命治療なのか…

本当に難しいてすよね。


でも今は 後悔はしていません。

父の亡くなった時が とても穏やかだったから。


それが 父にとって最も幸せな

最後だったような気がして


今は 点滴用のカテーテルを入れる手術は

延命治療ではなく 父を家につれて帰る為に

必要な治療だったと思っています。


そう思わせてくれた父に感謝ですね。