2024年は いい年にするぞ〜!

って思っていたのに

新年元旦から ワタシ史上最強の揺れ…

こわかったです。


元旦

父は居ないけど集まろうって事で

母が準備をしていました。


いつもは父が買い出し係なのだけど

居ないから父の代わりに私が買い出しに


車に長女も乗せて

買い出しをして実家に届けて

とりあえず1回家に戻ろうと運転してたら

ニュース速報見た長女が

『😳石川で地震だって 揺れた?

 揺れたみたいだけど

 気が付かなかったね』って

『車の中だと 気が付かないこと多いよ。

 高級車じゃないから 

 いつも普通に揺れてるからね』

『母さん 揺れに鈍いからね』

なんて そんなに危機感も感じず

のんきに話してたら異常な揺れが…


ハンドル取られて運転どころじゃないし

運転してるの普通に危ないし恐い

道路のど真ん中なんて関係ない

ハザードあげて 止まりました。

皆止まってました。

パーキングにしてハンドブレーキも引いて

車…横転したりしないよね…😱

めちゃくちゃ恐い揺れでした。


もう少し早かったら 実家で

母と一緒に居てあげられたのに

母は1人で恐ろしかったろうと思い心配で

揺れがおさまって車を動かして

家に車を止めるとすぐ実家に電話しました。


母は『死ぬかと思った』って

『私も〜(長女)一緒で良かった😭』

出ないだろうとわかってても

父が心配で父の携帯に電話したみたいです。

後で着信に気がついた看護師さんが

『大丈夫ですよ』って電話してくれました。


母との電話を切って車から出ると

何故かコタロウを抱いた夫と二女が

玄関の前に座っていました。

凄い揺れだったので 外に避難したみたいです

近所の子供達の悲鳴のような泣き声も

響いていました。


とりあえず家に入ったのですが

余震は続いて 時々大きく揺れて

ニュースを見ながら

テレビから繰り返し聞こえてくる

避難を呼びかける声に二女は

『ねぇ避難しなくていい?津波来るよ!

 婆ちゃん家にのんきに行ってる場合?

 どこ逃げる?逃げる準備したほうがいいよ』

と あたふたしてて完全に動揺してます。

『海からは近くはないし避難までは

 大丈夫じゃない?』

そこに余震が来るから半分泣きそうでした。


『津波 舐めるな?』

二女は強く訴えてました。


元々 地元は災害の少ないところなので

地元から出た友達にはよく

『(地元)の人は天災を舐めてて

 危機管理ができてない』

って言われてました。


多分今も他の都道府県の人に比べたら

危機管理の意識は低いと思います。


申し訳無い話ですが そんなつもりはなくても

正直以前は私も天災を舐めてて

東日本大震災の時も

テレビの『逃げろ!』の声を聞いて

『津波って…そこまでじゃなないでしょう』

と大袈裟だと思っていた分

テレビで目にした映像から受けた恐怖を

忘れられられるはずがなく

今は決して舐めてはいないつもりです。


テレビの『逃げろ』の声は

『東日本大震災のときを思い出せ!』と

危険を強く訴えているかのような声で私も

内心は二女に負けないくらい動揺してました。


『〇〇ちゃん家は危険だよね』

『すぐ後 海だし 逃げなきゃでしょ』

『ちゃんと逃げたかなぁ…』

うちより先に逃げるべき海に近い人を

何人も思い出して

私も二女も心配でLINEしたりもしました。


海から わりと近い所に

一人暮らしする長女の親友から電話があり

『逃げたほうがいい?どこに逃げたらいい?』

と言うと

長女は冷静に ハザードマップを検索し

『とりあえず その辺は危ない

 〇〇の方に逃げな』

なんて言ってました。

それを見た二女は

『うちは?婆ちゃん家は?』と

『うちは まだちょっと大丈夫

 婆ちゃん家は うちよりは…だけど

 多分大丈夫』

それを聞いても二女は

『それ信用できる?

 やっぱり逃げようよ…😭』


母を1人にしておくのは心配だということもあり

その後 実家に行き 妹家族も来て

余震に怯えながら 実家で過ごしました。

二女はいつでも避難できる準備して

私の実家に行きました。


テレビに映る能登の様子は

家族で遊びに行ったり食べに行ったり

ドライブに行ったりしてた所だけに

見覚えのあるところも映ったり

ギュッと胸を締め付けられるように苦しく

自分達ですら揺れが恐ろしいのに

それ以上の揺れの中で

どんなにか皆さん不安でいっぱいだろうと

はやく火が消えてくれ!

はやく余震がおさまってくれ!と

祈るだけでした。


一夜明けて 

ニュースでは被害の状況が報告され

被害状況は広範囲にわたり

地元もかなりの被害を受けていました。

我が家も 実家も 多少の被害はありました。


物流の滞りもあり

皆買い出しに走り

スパーやコンビニに食料品などのコーナーに

何もなくなっていました。


とにかく地震が恐い二女は

防災道具などを積んで仕事に行き

ガソリンを満タンにしょうと思ったら

数量制限があったと言っていました。


元旦も福祉施設で仕事だった息子は 

元旦も昨日も

不安にかられているお年寄りの

気持ちをなだめながら

通常の仕事に加えて

片付けに追われ疲れて帰ってきました。


病院で実家の壊れたものを報告すると

父はわかっているのか いないのか

『壊れた壊れた言うな!』と

悲しそうにしていました。


それでも震災の被害状況を知れば知るほど

とりあえず 多少被害はあっても

雨風をしのげ 安心して寝られる家があり

皆 怪我もなく 生きていただけで幸せだと

思わないとバチが当たりますよね。


今も時々揺れを感じるし

感じるか感じないか程度の余震は多いです。

ニュース速報が流れるたび

能登では私達が恐ろしいと慌てふためいた程

強い揺れが続いているようだと知ります。

これ以上被害が拡大しませんように

被災地の復興と そこに暮らす皆さんに

1日も早く平穏な日々が戻りますように

お祈りしています。