おはこんにちは。

どうも僕です。

一年戦争。

宇宙世紀0079年12月31日。

ジオン公国と地球連邦の戦争は、終わりました。

少なくとも、

歴史の上では。

しかし、その後の宇宙世紀を見ていると妙なことに気付きます。

0083年。

0088年。

0096年。

時代が進んでも、

「ジオン残党」という言葉が消えない。

戦争は終わったはずなのに、

彼らはなぜ戦い続けたのでしょうか。

今回はモビルスーツではありません。

その中に乗っていた、

人間について考えてみたいと思います。


■12月31日。戦争は終わった

ア・バオア・クーでの戦闘。

ギレン・ザビの死。

キシリア・ザビの死。

ジオン公国は事実上崩壊します。

そして翌年、

ジオン共和国と地球連邦政府の間で終戦協定が結ばれます。

これで一年戦争は終結しました。

しかし、

戦場にいたすべての兵士が、

その瞬間に気持ちを切り替えられたのでしょうか。

昨日まで、

隣にいた仲間が死んでいる。

家族を失った者もいる。

故郷を失った者もいる。

そして、

自分自身も人を撃ってきた。

そこへ突然、

「今日から戦争は終わりです。」

と言われる。

頭では理解できても、

心まで終戦できるとは限りません。


■帰る場所がない

戦争が終われば、

兵士は家へ帰る。

私たちはつい、そう考えます。

しかしジオン兵の中には、

帰れなかった者もいました。

地球に取り残された部隊。

アクシズへ逃れた者。

各地へ潜伏した者。

そして、

そもそも帰る場所そのものを失った者。

軍人という肩書きを取ったあと、

自分には何が残るのか。

戦争が人生そのものになってしまった人間にとって、

終戦とは必ずしも「解放」ではなかったのかもしれません。


■デラーズ・フリート

その象徴の一つが、

『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』に登場するデラーズ・フリートでしょう。

彼らにとって、

一年戦争は終わっていませんでした。

ジオンの理想。

散っていった仲間。

そして敗北。

それらを背負い、

彼らは再び武器を取ります。

もちろん、

だから彼らの行為が正当化されるわけではありません。

ここは重要です。

理解することと、

肯定することは違います。


■なぜ武器を置けなかったのか

私は、

ジオン残党を単純に「戦争好きな人たち」として見ると、

少し違うような気がします。

忠誠。

復讐。

罪悪感。

仲間への思い。

自分たちこそ正しかったという信念。

そして、

敗北を受け入れられない感情。

おそらく、

いろいろなものが混ざっていたのでしょう。

人間は、

スイッチのようには切り替わりません。

昨日まで信じていたものを、

今日から全部間違いだったと思えるほど、

単純ではないのです。


■そして「正義」が残る

ジオンには、

ジオンの大義がありました。

宇宙移民者の自治。

地球からの独立。

地球連邦による支配への反発。

その思想に共感して戦った兵士もいたでしょう。

一方で、

その大義の名の下で、

多くの人間が犠牲になりました。

コロニー落とし。

大量破壊。

民間人の死。

ここに、

戦争の怖さがあります。

正義を持つことと、その行為が正しいことは同じではない。


■「残党」という言葉

そして私は、

「残党」という言葉そのものも気になります。

歴史は、

勝った側から記録されることがあります。

敗れた軍隊は、

残党。

反乱軍。

テロリスト。

そんな名前で呼ばれる。

もちろん、

彼らが行った行為を免罪するつもりはありません。

ただ、

その言葉の向こう側にも、

一人一人の人間がいた。

そこは忘れてはいけないと思います。


■戦争は終わっても、憎しみは終わらない

一年戦争は終わりました。

しかし、

人の中に残ったものまでは、

終わりませんでした。

怒り。

悲しみ。

復讐心。

思想。

それらが、

次の戦いへ引き継がれていきます。

だから、

終戦とは何なのでしょう。

書類に署名することなのか。

軍隊が撤退することなのか。

銃を置くことなのか。

私は、

人間の中から戦争が終わったときに、初めて本当の終戦になるのではないか。

そんなことを思います。


次回は、

一年戦争後も残り続けた憎しみが、

宇宙世紀で何を生んでいったのか。

ジオン残党という存在を通して、

「戦争が次の戦争を生む構造」

について考えてみたいと思います。

今日はここまで。

それでは、また別のお話で。