第六話 動き出す三秒
秋の空は高く、どこまでも澄んでいた。
体育祭が終わり、学校は少しだけ静かになっている。
潤はグラウンドの隅に立ち、陸上部の練習をぼんやり眺めていた。
城が全力でボールを追い、転びそうになりながらも笑っている。
智香はクラスの女子に囲まれて、文化祭の反省会をしていた。
山本は黙々と柔道着を干している。
いつもと同じ景色。
なのに。
潤は、少しだけ寂しさを感じていた。
文化祭の準備期間は、みんなで遅くまで残った。
笑って、悩んで、時には言い合って。
あの時間が終わってしまったことが、ぽっかりと胸に穴を開けていた。
「潤ー!」
振り向くと、智香が手を振っている。
「何してるの?帰ろ!」
その笑顔を見るだけで、胸が少し軽くなる。
二人で校門へ向かって歩き出す。
風が、金木犀の香りを運んできた。
「ねえ潤」
智香が突然言った。
「城のこと、どう思う?」
潤は思わず足を止める。
「え?」
「いや、最近よく話してるじゃん」
図星だった。
文化祭の日。
脚立から落ちそうになった潤を支えたのは城だった。
あの瞬間の大きな手の感触が、まだ残っている気がする。
「別に…普通」
そう答えると、智香はにやっと笑った。
「分かりやす。」
「ち、違うって…!」
慌てる潤を見て、智香は楽しそうに笑う。
そのときだった。
前方の横断歩道。
小さな男の子が、信号が変わる前に走り出した。
右から、トラックが来ている。
潤の世界が、静止した。
——三秒。
能力が発動する。
男の子の体を、ほんの少し後ろへ引くイメージ。
次の瞬間。
男の子はつまずいたように止まり、トラックが目の前を通過した。
何事もなかったかのように。
時間が戻る。
「危なかったねー」
智香は気づいていない。
当然だ。
潤は膝が震えるのを感じていた。
(また…使った)
でも今回は違った。
自己満足じゃない。
誰かを守るために使った。
その事実が、胸の奥を温かくした。
「潤?顔真っ青だけど大丈夫?」
「う、うん…ちょっとびっくりして」
歩き出そうとした時、背後から声がした。
「今の、お前だろ」
振り向く。
山本だった。
柔道着の入ったバッグを肩にかけ、静かに立っている。
「……何のこと?」
数秒の沈黙。
そして山本は、小さく笑った。
「安心しろ。誰にも言わない」
潤は驚いた。
「なんで分かったの?」
「お前、時間が動き出す瞬間に呼吸が変わる」
自分でも知らなかった癖を指摘され、思わず言葉を失う。
山本は続けた。
「悪い能力じゃないな」
その一言が、胸に落ちた。
悪くない。
そう言われたのは初めてだった。
帰り道。
夕焼けが街をオレンジ色に染めていた。
「潤ってさ」
智香が言う。
「もっと前に出てもいいのに」
「え?」
「背も高いし、スタイルいいし、頭もいいし。」
潤は苦笑する。
「オタクだし。」
「関係ないって!」
智香は即答した。
「好きなものがある人って、かっこいいよ。」
胸が、少しだけ熱くなる。
そのとき。
後ろから城が走ってきた。
「おーい!二人とも!」
息を切らしながら笑う。
「駅前に模型ショップできたの知ってる?」
潤の心臓が跳ねる。
「今日オープン!行こうぜ!」
気づけば、四人で並んで歩いていた。
智香が喋り、城が笑い、山本が静かに相槌を打つ。
潤はその隣で思う。
(三秒だけでもいい)
この時間を、少しだけ長くできたらいいのに。
能力じゃなくて。
自分の足で。
自分の言葉で。
もっと、この輪の中にいられるように。
店の明かりが見えてきた。
城が振り返る。
「潤!おすすめ教えてくれよ!」
少しだけ勇気を出して、潤は前に出た。
「……任せて。」
その声は、自分でも驚くほど自然だった。
秋の夜風が、優しく背中を押していた。
潤はまだ知らない。
この仲間たちが、これから先——
自分の世界を大きく変えていくことを。
そして。
三秒の能力よりも強いものがあることを。
それはきっと。
誰かと一緒に歩く力だ。