未完成と完成のあいだで
― ガンダムが描き続けた「理想」と「現実」 ―
おはこんにちは、どうも僕です。
このシリーズでは、
未完成機体から完成機体まで、
ガンダムに登場するモビルスーツを通して
**「理想」と「現実」**について考えてきた。
最初は、
ガンプラの話だったはずだ。
だが気づけば、
兵器とは何か、人とは何か、
そしてなぜガンダムがこれほどまでに
人の心を掴んで離さないのか――
そんな場所まで来てしまった。
今日は、その総まとめとして、
このシリーズで見えてきたものを
一度、言葉にしておきたい。
未完成機体が映す「現実」
未完成機体には、必ず理由がある。
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時間が足りなかった
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資源が足りなかった
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守りきれなかった
それは失敗ではなく、
現実そのものだ。
クシャトリヤ最終決戦仕様が
これほど胸を打つのは、
その姿が「仕方なかった選択」の集合体だからだ。
合理的で、
冷静で、
それでも悲しい。
未完成機体は、
現場の判断と、人の感情が
むき出しになった存在だ。
だからこそ、
私たちはそこに
強く感情移入してしまう。
正統進化としての未完成
一方で、
GP01が示した未完成は、
悲劇ではなかった。
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成長を前提とした設計
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未来へつなぐ役割
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試作機という存在意義
GP01の未完成は、
「途中であること」を肯定する未完成だった。
未完成であることは、
必ずしも不幸ではない。
未完成だからこそ、
次がある。
この視点は、
現実を生きる私たちにとっても
救いになる。
完成機体が背負う「理想」
完成機体は、
開発者の思考と期待の結晶だ。
それは美しく、
強く、
そのままで格好いい。
だが同時に、
完成機体は
理想という名の業を背負わされる。
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最強でなければならない
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正しくなければならない
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失敗は許されない
完成とは、
自由を失うことでもある。
サイコフレームが暴いたもの
ガンダムが特別なコンテンツになった理由。
それは、
人の意思を兵器に反映させてしまったことにある。
サイコフレームは、
奇跡も破滅も、
同じ熱量で引き起こす。
思いが強ければ強いほど、
世界は歪む。
だがそれを描いてしまったからこそ、
ガンダムは
単なるロボット作品では終わらなかった。
完成機体に救いはあるのか
このシリーズで、
最後に辿り着いた問い。
完成機体に救いはあるのか。
その答えは、
「力」ではなかった。
完成機体が救われる瞬間は、
誰かを倒したときではなく、
人が理想を手放したときだ。
戦わない選択。
憎しみを降ろす決断。
その瞬間だけ、
完成機体は
兵器ではなくなる。
なぜ私たちはガンダムに沼るのか
完成=理想
不完全=現実
この対比があるからこそ、
私たちはガンダムから離れられない。
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憧れたい気持ち
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うまくいかない現実
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それでも前に進もうとする意思
ガンダムは、
そのすべてを否定しない。
だからこそ、
何度でも観返し、
何度でも組み立ててしまう。
ガンプラから、
ここまで話が飛躍したが――
僕は、これが
ガンダムというコンテンツの正体だと思っている。
結びに
未完成なまま、任されること。
完成を求められ、押し潰されそうになること。
そのどちらも、
私たちは知っている。
ガンダムは、
その両方を肯定してくれる。
理想と現実のあいだで揺れる人間を、
最後まで見捨てない。
だから今日も、
ガンダムは
“最強のコンテンツ”であり続けるのだと思う。
今日は、ここまで。
それでは、また別のお話で。