(1. 文章の基本)
・わたしたちは、読者エリートに向けて文章を書いているのではない。であるならば、三行以内で撃ってくれ。驚かせ、のけぞらせてくれ。良い、悪いではない。いま、文章を書く人の書き出しは、そうあらざるを得ない。最初に、銃を見せてくれ。
・読者をのけぞらせたままにしてはいけない。のけぞらせた一球目に意味があった。そういう配球で、三振を取らなければならない。銃が出てきた以上、それは発射されなければならないのだ。
(2. うまい文章)
・「うまい」とは、わかりやすい事である。文章をわかりやすくする原則は三つだけ。①文章は短くする。②形容語と被形容語はなるべく近づける。③一つの文に、主語と述語は一つずつ。短く、近く、シンプルに。
・「文章」とは、キャリアー(信号、波、触媒、運ぶもの、感染)である。
・「うまい文章」は、はたして、「いい文章」なのか。うまい文章などいらない。「いい文章」を受け取りたい。お客さんは、そう、思っているのではないか?
・いい文章とはなにか。文字どおり、人を、いい心持ちにさせる文章。落ち着かせる文章。世の中を、ほんの少しでも住みいいものにする文章。風通しのいい文章。ギラギラしていない、いい鞘に入っている、切れすぎない、つまり徳のある文章。
(3. すべる文章)
・文章の結論に達するのに、読み手に非常な努力を強いる。それが、摩擦係数の高い文章、滑らない文章である。摩擦係数を低くする初歩、いちばん簡単な方法は、固有名詞と数字を減らすこと。読者に『必要』な固有名詞だけに切り詰めて、摩擦係数をなるべく低くする。
・また、「など」「いろんな」「さまざま」は、撲滅する。人はなぜ、「など」を入れるのか。怖いからである。『正確』であろうとするからである。
(常套句・「としたもんだ表現」)
・常套句とは、定型、クリシェ、決まり文句である。「抜けるように青い空」と書いた時点で、その人は、空を観察しなくなる。空なんかみちゃいない。他人の目で空を見て、「こういうのを抜けるような青空と表現するんだろうな」と他人の頭で感じているだけである。事実は、秋晴れの日に、一つとして同じ日はない。同じような秋晴れでも、その日の心情によって見える、感じる空の色は違うはずである。
・自分の頭で考え抜き、自分だけの言葉で書き出すのがら文章を書くことの最初であり、最後である。
・「としたもんだ表現」とは、新聞とは、そうしたもんだ。読み物はこうやって書き出すとしたもんだ。というような、新聞業界の長年の手癖のような文章である。人が発するすべての「としたもんだ表現」には、実はさしたる根拠がない。すべて、ある特定の時代、特定の地域にしか通用しない、文化による規定だ。幻影であり、思いこみなのだ。
(5. 擬音語・擬態語・流行語)
・なぜオノマトペを使わないのか。第一には、子供っぽいからである。第二に、こちらの方が重要だが、オノマトペも常套句の一種である。擬音語、擬態語を使うことによって、書き手は、もう、世界を観察することをやめている。
・ライター志望者は流行語を書くな、とは言わない。ただ、書くべき、時と場所に、賞味期限に、きわめて敏感にならなければならない。
・流行語は、流行しているときに使ってはいけない。なぜなら、みなが使っているから。みなが、その言葉によって、同じような感覚、判断、思考、世界を想起しようと努めているからだ。みなが、判断停止、思考停止をし始めている証左なのだから。流行語を使うとは、世間に、言葉を預けることだ。言葉を預けるとは、自分の頭を、自分の魂を、世間に預けることだ。
(6. 起承転結)
・第一発が、起の解説。承は、起の説明である。起の数行で、のけぞらせているわけだが、それに続く承では、この原稿で何を語ろうとしているのか、簡潔に説明しなければならない。だれが、いつ、どこで、なにをしたか。これがわかればいい。これで終わりである。
・新聞や雑誌は、たとえ長い企画記事であっても、承で終わっているものがほとんどである。
・ただ現実問題として5W1Hの事実だけを淡々と述べる文章に、値段がつくことは、どうやら今後、起こりそうもない。いうまでもなく、インターネットの発達のせいである。
・転を書けるライターには、注文が来る。転を書けるとは、換言すれば、『考えることができる』ということである。AIが人間の仕事をどんどん代替している時代であるが、AIには、転を書く事ができない。いや、AIだけじゃない。自分以外の他のライターにも誰にも書けない。自分の転は、自分しか書けない。そこが最大のポイントである。
・起で書き起こし、承でおおかたを説明した事象、この事象を、自分はどう見ているか書く。そのことで読者を転がす。うまく転がすことさえできれば、結、つまり結論は、おのずから浮かび上がってくる。
・読者を「転がす」こと、ものの見方で意表をつく方法を、テクニカルに言語化すると5パターンに分ける事ができる。①古今、②東西、③逆張り、④順張り、⑤脱臼。
①古今。文字通り、時間軸を長く考えることだ。できうる限り過去にさかのぼり、昔はどうだったか考える。
②東西。文字通り、空間軸を広げて考えることだ。
③逆張り。これは簡単で、誰もが試みる。世間の逆に賭けてみる。
④順張り。文字通り、素直に考える。世間と同じように主張してみる。これは生き方としては楽だが、転としては、逆張りよりよほど高度な技法である。反論の余地のない命題は、真であるかもしれないが、弱い。
⑤脱臼。話の筋を変えてしまうこと。本来描き始めた目的とは違う方向に、どんどん脱線していく。そこで重要なのは、乗客に、脱線していると悟らせないことだ。そのために必要なのが、ユーモアだ。
(7. 共感させる技術)
・われわれは、感情を文章で説明してはならない。
『論』ではなくて、『エピソード』に語らせる。場面に語らせる。怒っている人を、「怒った」と書くんじゃない。悔しがっている人を、「悔しがった」と書くんじゃない。怒っていること、悔しい事が読者にわかるような、場面を見つけるのである。
・エピソードを書くために大切なたった一つのことは、五感を使うことである。五感で世界を切り取る。
(8. ライターになる)
・ライターになるには、ライターになれば良い。記事を書けばいい。記事を書いて、どこかの編集部に持っていく。売り込む。私は「行商」と言っている。
・企画の作り方については第14発で書くが、本節では、それに先立つ準備運動を2つ、基礎トレーニング法を書いておく。
ひとつめは、感性の力を高めるトレーニング。無理して、努力して、おもしろがる。見て、聞いて、読んで、全てを好きになれとは言わない。そんなこと、できるわけがない。しかし「ここが魅力なんだろうな」と、了解できるところまでは、いける。
ふたつめは、質問する力を磨くことだ。苦労して作った質問は、あらかじめ答えが予想できるということが、ことの本質だ。ただ、調べ尽くし考え抜いた入念な質問をしていると、取材の予想を裏切る答えが返ってくる時がある。その、驚きの瞬間を逃さない。
・同じことを聞くのでも、質問の表現を変える。質問しろ。同意を求めるな。疑問形で聞け。
(9. 説得する技術)
・日本語を書くことはとびきり難しいからこそ、書ける人は有利である。どの世界でもトップにいる人は、きわめて文章操縦力の高い人である。うまいメールを書ける人こそ、出世する人である。
・落とせるラブレターの書き方は、①自分はあなたを知っていると伝える。②自己紹介。③従って自分にはあなたが必要だということを伝える。
・メールもそうだが、初発の熱量が全てである。どうしても創りたいという思い、この場合はどうしてもあなたと仕事をしたい、話を聞きたいのだと、そういう熱を感じさせられるかが全てである。
・仕事を頼む相手は、つねに、世界一忙しい人だと思え。
(10. 一人称・読者の設定)
・一人称は、人が思うよりもずっと大切である。
・一人称を変えただけなのに、文体が変わったのである。文体が変わると、文章全体のリズムがかわり、文全体を見直すほかなくなる。文全体を見直すと、スタイルが変わり、スタイルが変わることは、書く内容も変わってくることを意味する。そして、書く内容が変わるということは、世の中を見る目、世界を切り取る仕方も、変わってくる。一人称を変えると、世界観が変わるのである。それだけ大きなことである。
(11. ライターの道具箱)
・いい道具=言葉を集める。整理整頓する。その道具を、いついかなる時でも持ち歩く。軽々と持ち歩ける筋力を鍛える。道具箱の引き出し4段には、何を入れるだろうか。1段目は語彙、2段目は文体、3段目は企画、4段目がナラティブである。
・語彙の豊かな人が、文章の上手い人だ。語彙の豊かな人が、豊かな人生を歩む人だ。
・凡才は、習慣で、天才を 作り上げてしまうのだ。
・天才とはだれか。二つの要件を備えた人のことだ。第一の要件は、天才とは、努力を続けられる人のことだ。第二の要件は、天才とは、努力を発見する人のことだ。人が努力しないことを努力する。
(12. 語彙-道具箱1段目)
・語彙を増やすにはどうすればいいのか。本を読めばいい。
・辞書を引くのは、言い換え語を探しているのではない。わたしたちの、常套的でありきたりで平凡な発想、決まり文句のような視点を転換させるために、引くのである。語彙を多彩で豊かにする。考え方の『ベクトル』を変える。ものの見方を、『変調』させる。辞書はそのためにある。辞書は言葉のエフェクターである。
・誰でもいい、好きな作家が現れる。その作家の作品は、全部読む。繰り返し読む。読み込み、憑依され、愛し抜いて、その果てに頭の底に残った語彙は、いずれ自分のものとなる。自分の思想になる。自分なんていうものは、他者の思考の集積なのだ。他者に耕された土地なのだ。
・文章を書くとは、無から有を生み出す魔術のことである。
(13. 文体-道具箱2段目)
・スタイルに取り憑かれているんだから、作品一つひとつの出来などは、もはやどうでも良くなる。成功と失敗もない。だからこそ、スタイルは大事なのである。
・スタイルの練習。四つの「主」を変える。
①主語を変える。②主題を変える。③主義を変える。④主体を変える。
(14. 企画-道具箱3段目)
・企画とは、「なにが、わたしにしか、書けないか」ということである。わたしにしか、書けないもの、それは「感情」です。
・喜怒哀楽。喜は、自分が喜ぶ。楽は、人を喜ばせる。楽を書くのが1番難しい。
・具体的に企画を考えるにはどうしたら良いか?①新聞の読書欄を読む。②図書館を活用する。③読書欄や図書館でコピーした資料を自分の企画ファイルに保存しておく。
(15. ナラティブ-道具箱4段目)
・ナラティブとは、叙述である。話術である。語り口、節、味と言われるものである。ストーリーと、意味がずれているところに注意が必要だ。
・ナラティブを上手くするには、①まずつかみがあり、②状況やあらすじを簡単に説明して、③聞き手を引きつけて謎をもたせ、④聞き手の予想を裏切る意外な方向へ話が伸びていって、⑤オチがつく。
・ナラティブは人の数だけある。物語は有限である。しかし、ナラティブは無限だ。
(16. スピード感-3感・其の一)
・スピード感、リズム感、グルーヴ感の「3感」は、文章を書く要諦である。ただ、ひとつひとつのテクニックよりも、「3感」を意識することの方が重要である。意識さえすれば、必然的に言い換えを試みることになる。言い換えるとは、考えることである。世界をよく見ることである。今までとは違う、他人の感覚ではない、自分自身の、ただひとつの世界の見方、切り取り方、考え方に辿り着く。自分だけの言葉を手繰り寄せる。そのためのスピード感、リズム感、グルーヴ間と考えた方が、実情に近い。
・ダブりというのは、文章のスピード感を削ぐ元凶である。ノリを悪くする。文章がスウィングしなくなる。スピード感を出す最も簡単なコツは、単純に、文章を短くすることである。
・しかし、全ての文章を短くすると、今度は単調で読めたものではなくなる。むしろスピード感を削ぐ。短文と長文を出し入れする。効果的にリズムチェンジする。ここぞと言うという時に変拍子を入れてみる。
(17. リズム感-3感・其のニ)
・語り芸を聴き倒せ。文芸CDを、片っ端から借りる。
・パロール(話し言葉)をエクリチュール(書き言葉)に移植する。熱海の啖呵の度胸を、書き言葉にそのまま直しても、あまり効果は上がらない。虎造師匠の、胸のすくような勢いは出ない。パロールとエクリチュールは、本質的に違う。パロールをエクリチュールにそのまま移し替えるのではなく、リズムの、いわば『構造』をお借りするということである。
・エクリチュールに「間」を作る三つの方法。①句読点、②「」『』""()の括弧類、③改行、1行空きのグラフィック効果
・日本語のリズム構造。完全に七五調の拍を作ろうとすると、必ず無理が生まれる。その無理が、必然性のない、無意味な言葉を挟ませる。
(18. グルーヴ感-3感・其の三)
・形容詞は一つだけ。初心者は、極端だが、形容詞を全部やめていい。形容詞だけでなく、連体修飾語や連用修飾語を含めた、広義の形容語を、このさい、いっさいやめてみる。いや、何も一生やめる必要はない。自分の文章を、自分自身の言葉で書いていると確信ができるまで、物事の性質を形容しない。そのかわり、事実を書く。
・小うそは姑息-罪深い比喩表現。「夜の帳」「小川のささやき」「愛の結晶」だのと、何も考えずに書き飛ばす。陳腐であるだけでなく、思考停止であるがゆえに、こうした比喩表現は罪深い。
・比喩が体の内側から湧いてこなかったら、もういいのである。しぜんと、体の内側から出てくるもの、それがオリジナルな比喩表現です。時間を味方につけましょう。湧き出てくるまで、待ちましょう。
・グルーヴが出ているか、サウンドチェックする。小さく音読する。流れるように読めるか。つっかえるところはないか。句読点の位置は適正か。印刷するときは縦書きで、新聞、雑誌、本、それぞれのメディアに合わせて1行何文字というスタイルに整え、印字する。読者と同じ状態で読む。最後は、プリントした紙を、目から離す。読むというより、眺める。絵を見るように、全体の色味を見る。黒っぽいところは、文章が詰まっておるところだ。漢字が多いところだ。色味を修正する。漢字をひらがなに直す。
(19. 意見や助言)
・どんな愚劣な相手からも、聞くべきことはある。相手も愚劣かもしれないが、自分だって、大したものじゃない。「一番下の意識を持て」ということ。
・注文は、いくらでも受けたらいい。そして、注文通りには変えない。注文の上を行く。自分の内面に深く沈み、自分を変える。新しい表現を探す。
(20. 時間管理・執筆環境)
・書き続けるには時間を決める。
・課題図書は四ジャンル。①日本文学、②海外文学、③社会科学あるいは自然科学、④詩集。
(21. 書棚整理術)
・本を読んで、いいまわし、語彙、文体、腑に落ちた論理、気に入ったナラティブはとにかく線を引きまくる。徹底的に汚す。線を引いた中で、ここは特に重要だと思った箇所は、ページを追っていく。そうして読み終わった本はしばらく放っておく。頭を冷やす。1ヶ月もした後、ページを追った場所だけ開き、線を引いた箇所を再読する。相変わらず感動できる文もあるだろう。熱が冷めてしまったものもある。時間をおいているのは、熟成し、蒸留しているからだ。夾雑物を取り除いているからだ。しかし、熟成後も相変わらず感動する文章やロジックは、ある。これを、抜書きするのである。
・抜書きをすると、自分が分かり、自分が変わる。
(22. 文章、とは)
・勉強がすべてだ。そして勉強とは、言葉を鍛えること。表現を鍛えること。そして、感性を鍛えることである。おもしろきことを、発見する力。それは結局、感性の鋭さなのだ。世の中を見る、視線の強さのことなのだ。ところで、なぜおもしろいことを見つけなければならないのか。それは、世界がおもしろくないからだ。世界は愚劣で、人生は生きるに値しない。そんなことは、じつはあたりまえなのだ。
(23. 言葉、とは)
・言葉は道具ではない。言葉はmojo(まじない、魔術)である。
・自分の描いている文章が、当の自分を追い越す。文章が、自分の思想、感情、判断を超えていく。またそうでなければ、文章など書く必要がどこにあろう。自分が何かを書くのか、わからない。何を書けるのか、確信が持てない。底なしの不安のなか、わずかな可能性に賭けるほとんど自暴自棄ギャンブル。捨て鉢なロシアンルーレットの、撃鉄を起こし、引き金を引くその合間に、mojoは働き始める。