駿河の国で寄り道(42)「薩った峠」ほか(ヤマトタケルその12) | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

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今回のテーマは「駿河の国の見どころ」。

 

「駿河の国の見どころ」での前回は「麓山神社」と「豊由気神社」を訪ねた。

 

「ヤマトタケル」は各地にいろいろな伝説が伝えられていて、駿河の周辺には関連した見どころが多い。

 

 

「薩った峠」周辺

 

「薩った峠」周辺にも「ヤマトタケル」ゆかりの地が残っている。

漢字で書きたいところだが再生する機械によって文字が表示できないようなので「ひらがな」表記。

 

清水区の興津川の東。

東勝院から200m西に「日本武尊遺跡」の石碑と祠が建っている。

 

〇日本武尊遺跡

石碑の裏に謂れが彫られている。
日本武尊が東征の折 傳承によればここで馬の足を濕し沓を取替えたと云い沓掛明神社並びに井戸の跡である。
これより東に駒を進め峠の手前で踏みつけた岩に蹄が残った。困って「駒の爪」の名があり地名として今に傳えている。
峠を越えたところ鞍がずれ落ちたことから鞍佐理(鞍去り)明神社の跡である。
    昭和55年 興津地区老人クラブ連合会建之

 

 

東勝院から東へ坂を600mほど上ると峠の少し手前の鬱蒼とした山の隙間。

カーブにひっそりと碑があった。

 

〇駒の爪址

日本武尊遺跡。駒の爪址。とある。

ここが「日本武尊遺跡」の石碑に書かれていた事件現場なのだろう。

 

 

「薩った峠」を越えて由比の「西倉沢一里塚」まで下る。

 

〇西倉沢一里塚

 

一里塚跡から300m「鞍佐里神社」がある。

 

〇鞍佐里神社の鳥居


街道脇に鳥居があり、神社は階段を登る。
説明看板を読む。
<鞍佐里神社くらさりじんじゃ>
「日本武尊が東征の途次賊の焼き打ちの野火に逢い、自ら鞍下に居して神明に念ず、其鞍、敵の火矢によって焼け破れ尽くした。依って鞍去の名あり」と伝えられ、鞍去が後に倉沢と転化したともいわれている。
鞍佐里神社は尊が野火にあった薩った峠の雲風か山中あたりに建てられていたが、後に現在地に移されたものと思われる。
神社拝殿の蟇股には尊が野火を払うところが見事に彫刻されている。

 

 

〇鞍佐里神社

 

「しずたび」のサイトを覗いてみると次のように書かれていた。

・伝承によると、日本武尊が当地まで進軍した際、賊徒の抵抗により思わぬ苦戦を強いられ、乗っていた馬の鞍から尊は落ちてしまいました。しかし、これが幸いして馬の下となり賊徒から見えなくなり、その難を避ける事が出来ました。この故事から「鞍去り」と呼ばれるようになり、それが転じて「鞍佐里」、さらに「倉沢」と変化したと伝えられています。
 

 

 

先日(ヤマトタケルその1)と(その2)で訪ねた「日本平」や「日本坂」と同じように

 

「ヤマトタケル」を起源として地名が付けられた場所が他にもある。

 

前回訪ねた「菖蒲神社」の所在地は神社名にちなんで「昭府」という地名になっているのも一例。

 

 

「沓谷」と「上足洗」という地名

 

東海道が整備される前に主要道路として利用されていた「北街道」沿いに「沓谷」と「上足洗」がある。

この町名の由来として地元の人達に語り伝えられている話は
室町時代には既に「駿河国沓屋郷」と呼ばれていたことが記された書物が存在するとのこと。
伝説では「日本武尊」が今の上足洗の辺りに来たとき、沓を脱いで足を洗ったとされる。

沓脱ぎが沓谷に変わり、足洗いが上足洗という地名になったという。

 

 

 

次は富士山の世界遺産として有名な清水区の「三穂神社」

 

〇三穂神社

『駿河雑志』には「日本武尊が勅により官幣を奉じ社領を寄進した」と書かれている

 

 

葵区に「建穂」という町名がある。

 

「建穂」は直接「ヤマトタケル」が関わったのではないけれど、


日本武尊の供をしていた武部(たけるべ)という人物が庵をを建てたことに由来して付けられたと「駿河国新風土記」に書かれている。

「たけるべのいほり」が訛って「たけいほ」になった。との説。

 

建穂寺は奈良時代から栄えた県内屈指の古寺。

以前は建穂寺を中心とする神仏混淆の場だったが、明治の神仏分離や火災などのために廃寺となり神社と観音堂のみ残った。

 

〇建穂寺観音堂

 

〇建穂神社

 

 

 

静岡市の周辺で「ヤマトタケル」に関わる場所を巡って来た。

 

12回に分けて巡るほど多くの言い伝えが残っている。

 

あらためて「ヤマトタケル」の話を追いかけてみると新しい発見に数多く出会うことが出来た。

 

まだまだ眠っている言い伝えも有りそうだが、そろそろネタが切れた。

 

 

 

 

次回からは「駿府96ケ町」を訪ねる。