今回のテーマは「駿河の国の見どころ」。
「駿河の国の見どころ」での前回は「ヤマトタケル」にちなんだ地「矢倉神社」を訪ねた。
「ヤマトタケル」は各地にいろいろな伝説が伝えられていて、駿河の周辺には関連した見どころが多い。
伝説にはヤマトタケルが登場するが祭神は別の神様といった神社もある。
今回は「廣野神社」「軍神社」「菖蒲神社」を訪ねる。
「草薙」の「天皇原」に近く、区境を駿河区へ越えて国吉田に「廣野神社」がある。
〇廣野神社
看板の説明看板が立っていたので読む。
神社誌 静岡市国吉田五丁目14-10 神社名 廣野神社 神紋 三つ巴
祭神 本殿 速須佐之男命
天王社 八幡大神 天下泰平 天王大神 国土安栄
八幡社 豊受大神 五穀成就 久久能遅命萬民受楽
樟の木 樹齢490年(推定)広野神社境内に室町時代の大永年間中期から村の鎮守の森全体に芳香を放ち何回ともなく落雷を受けた傷跡を残し拝殿を抱くように両側にそびえ立つ二本の樟の木(樟脳のとれる)(いいにおいのする常緑樹)は神社境内を訪れる参拝者の脳裏からきえさる事はないでしょう。
郷土の記念物として、いついつまでも命数を重ねて欲しいと願っています。天照大神の弟の速須佐之男命がこの広野神社の祭神です。
全国の神社八万社の中から代表的神社六千社を選び出した神社名鑑に郷土広野神社が掲載されている。
看板には書かれていなかったが、広野神社の伝承として「ヤマトタケル」が戦勝を祈願して素盞烏尊を祀ったとされている。
静岡県神社志に書かれた「廣野神社」の由緒にも「社伝にヤマトタケル東征の時に勧請された」と書かれている。
神社は推定樹齢は500年くらいと言われているクスノキに守られている。
「廣野神社」から4kmほど西の「曲金」に「軍神社」はある。
〇軍神社
軍神社は楠の大木が数本。
数百年の樹齢がこの神社の古さを物語っている。
〇軍神社のクスノキ
楠は皆ありがたさを感じるほどの生命観に満ちている。
〇軍神社
さほど立派でもない神社がたたずんでいる。
祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)、建御雷神とも表記。
雷神、刀剣の神、弓術の神、武神、軍神として信仰されている。
軍神社は日本武尊が東征の際に、戦勝を祈ったのがはじまりという伝説がある。
律令時代に有渡郡の正倉と郡役所がこのあたりにあったといわれ、それを護る軍隊の軍神を祀ったともいわれている。
〇軍神社の記念碑?
正体不明の記念碑が立っている。
この神社には謂われを書いた説明はどこにもなかった。
「軍神社」から区境を葵区へ越え、4km北西、賎機山の麓に「菖蒲神社」がある。
「軍神社」と同じくヤマトタケルの戦勝祈願に縁のある神社とも言われている。
〇菖蒲神社
この地域の地名は昭府。
昭府と名を変える前は松富下組で、またそれ以前は、このあたりはかつて菖蒲が茂っていたからか?菖蒲ヶ谷(しょうぶがや)といわれていた。
「ヤマトタケル」の戦勝祈願の地という伝承もあって「勝負」伝説から「菖蒲」になった?
〇菖蒲神社
貴庵寺の鎮守だった白髭神社が名を変えて「菖蒲神社」と称するようになったようだ。
〇菖蒲神社鳥居脇の地蔵堂
貴庵寺は内牧結成寺の「知学和尚」が家康公と会談する時のために造られた小庵が起源と伝わっている。
今回は「ヤマトタケル」が戦勝を祈願したことがキッカケとした神社を巡った。
駿河の国には「ヤマトタケル」に関わる多くの伝説が有るので、ゆかりの地を巡る。
次回「駿河の国で寄り道(40)」は「麓山神社」と「豊由気神社」。