駿河の国で寄り道(33)「草薙と焼津」(ヤマトタケルその3) | れいんぼうの部屋

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今回のテーマは「駿河の国の見どころ」。

 

「駿河の国の見どころ」での前回は「ヤマトタケル」伝説の地「日本坂」を訪ねた。

 

「ヤマトタケル」は全国各地にいろいろな伝説が伝わっていて、静岡にも多くの伝説が残されている。


 

今回は「草薙と焼津」の話。

 

 

静岡市清水区に「草薙」という地名があって、周辺には「ヤマトタケル」伝説の場所が多く見られる。

「焼津」という地名は「ヤマトタケル」が敵対する賊を焼き滅ぼしたことから呼ばれるようになったとされている。

 

 

「ヤマトタケル」の東国遠征の駿河入りは4世紀前半の事だった。

当時はまだ日本語を文字にすることは一般的ではなかった時代。

「古事記」や「日本書紀」が編纂され文章化されたのは8世紀。

 

 

「古事記」と「日本書紀」の記述でも書かれている事件内容に違いがある。

 

 

「古事記」では「焼津」の地が相模国に在ることになっている。

また、剣の名は初めから「草薙剣」だった。

「草薙剣」で草を苅り払い、向火をつけて「ヤマトタケル」を襲った国造を切り滅ぼし死体を焼いたと書かれている。

 

「日本書紀」では駿河国の焼津で起きた事件として語られている。

物語の中で「ヤマトタケル」が難を逃れた理由に2つの説が書かれている。

(1)野火で襲われたときに迎え火によって難を逃れた。

(2)「あめのむらくものつるぎ」が、自ら抜けだして皇子の傍の草をなぎ払って難を逃れたことから剣の名が「草薙剣」になった。

 

「古事記」も「日本書紀」も都の人達に言い伝えられてきた物語をベースに書かれた。

都の人達は駿河や相模はあまりに遠く、地理を知らなかったのだろう。

 

 

「草薙」で起きた事件と、賊を焼き滅ぼした「焼津」事件を一つの事件と考えると、間に難所である日本坂を越えなければならない。

この事件は2つの別事件だったことも考えられる。


 

時代をさかのぼり、4世紀の「草薙」と「焼津」を考えるには、文字に残されている「古事記」「日本書紀」「和名抄」「延喜式」が頼りなのだ。

現在残っているいろいろな記述のほとんどが「そのように伝えられている。」ということなのだ。

 

 

西暦927年成立の「延喜式」神名帳では

 

駿河国有度郡に「草薙神社」

駿河国庵原郡に「久佐奈岐神社」

駿河国益頭郡に「焼津神社」

と記載されていて、式内社に列している。


 

現在の草薙神社に書かれている由緒書きに

祭神は「ヤマトタケル」

創建は「景行天皇53年」と書かれている。

景行天皇は「ヤマトタケル」の死後5年経過した「景行天皇53年」8月に息子の「ヤマトタケル」を追慕し東国巡幸したと伝えられている。

「景行天皇53年」という年号は4世紀前半頃とのことなのでつじつまは合っている。

 

〇草薙神社

 

漢字が伝来した時代

 

古来、日本語には文字が無く中国との交流で入ってきた漢字を「当て字」として利用したのが始まりだった。

 

三種の神器となった「草薙剣」は「クサナギ」という当時の言葉で「霊的な蛇」(ヤマタノオロチのこと)だと言う説もある。
その説によると「草を薙ぐ」は後の言い伝えられた物語に合わせて当てはめた文字と言うことらしい。
 

草薙神社は清水区草薙が所在地だが、同じ清水区の山切にある「久佐奈岐神社」には異なった漢字が使われている。

今は「草薙神社」と区別するため「東久佐奈岐神社」とも称している。

 

 

〇久佐奈岐神社

 

 

焼津市にある「焼津神社」は

祭神 日本武尊
「ヤマトタケル」東国遠征をキッカケに焼津の守神として「反正天皇4年(西暦409年)」に創立したと焼津神社のホームページに記載されている。

 

〇焼津神社

 

10世紀に作られた『和名抄』では「焼津」が在る地域の地名は「益頭郡」と書かれている。

益頭は今では「マシズ」と読むが、「ヤクヅ」と読んだりする時代もあったようだ。

また現在もある「焼津市小柳津」という地名の「小柳津」は「オヤイヅ」と読む。

古事記や日本書紀に出てくる「焼津」は「ヤキヅ」と読んだりしている文献もある。


 

事実を探したり、真実を見つけようとしたけれど、益々混乱の坩堝にはまっていく。

 

「ヤマトタケル」伝説を追いかけるには、創作や誇張を容認する大きな心が必要になりそうだ。

 

1000年以上前に起きた事実の答えを見つけても現代の自分たちの生活には何の影響もない。

空想の中で楽しめれば「それでいいのだ。」(バカボンのパパ風に言ってみる。)

 

大河ドラマの「どうする家康」も史実に沿っていないと言う批判が多いけれど、史実も揺れ動く。

 

昨日の常識は今日の非常識。

今日の非常識は明日の常識。

 

 

 

駿河の国には「ヤマトタケル」伝説が数多く有るので、ゆかりの地を巡ってみる。

 

 

次回「駿河の国で寄り道(34)」は「草薙神社」を訪ねる。