駿河の国で寄り道(34)「草薙神社」(ヤマトタケルその4) | れいんぼうの部屋

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釣り以外の記事の方が増えています。

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今回のテーマは「駿河の国の見どころ」。

 

「駿河の国の見どころ」での前回は「ヤマトタケル」にちなんで「草薙と焼津」についての話だった。

 

「ヤマトタケル」は全国各地にいろいろな伝説が伝わっていて、静岡にも関連した見どころが多い。

 

静岡市清水区に「草薙」という地名があって、周辺には「ヤマトタケル」伝説の場所が多く見られる。

 

今回は「草薙神社」を訪ねる。

 


南幹線から草薙神社通りを800mほど奥へとゆるい傾斜を上がると草薙神社が見えてくる。
 

〇草薙神社


こんもりとした緑の中の草薙神社。入口の脇に謂れが書いてあった。
式内延喜式
草薙神社由緒
1 御祭神 大和武尊
1 御創建 景行天皇53年
1 例祭日 9月20日
景行天皇第2皇子の日本武尊が東国の蝦夷が叛いたので、之を平定するため吾嬬国に行く途中、この地で逆賊が起り、長け尊を殺そうとして原野に火を放った。
尊は佩用(はんよう)の剣を抜いて「遠かたや、しけきかもと、をやい鎌の」と鎌で打ち払う様に唱え剣を降り草を薙ぎ払い火を逆賊の方へなびかせ、尊は無事に難をのがれた地を草薙という。
その後、佩用されていた天叢雲(あめのむらくも)の剣を草薙の剣と名称を変更になり草薙神社に神剣として奉られる。今より1860余年前である。


〇草薙神社 日本武尊像


こんな人だったんだろうか?

 

同じような石像が「焼津神社」や「久佐奈岐神社」にもある。



〇井戸 

入口の脇に井戸があったが謂われはよくわからない。

昔はここで清めたのだろうか?
 

〇御神木


幹が空洞になってしまっているが、根性で生きている姿が力強い。
いつまでも生きていてほしいと応援したくなる。
樹名 大楠
樹齢 1000余年
樹高 15m余
周囲 20m余
この大楠は樹心は朽ちて外皮を残すのみといえども
今尚枝葉は繁茂し御神木の威厳を保っている。
昭和37年9月17日清水市指定文化財の天然記念物に指定された。


 

〇神門


門の裏には古い流星が保存されている。
 


〇神門には神将が見張っている。


〇草薙神社 本宮


生垣の脇に錆びた看板があった。
草薙神社は日本武尊を御祠りしております。今より凡そ1860余年前に第12代景行天皇第2皇子として御生まれになりました。
勇猛果敢の御性格にして天皇の信頼厚く天皇の命により各地の賊を平らげて参りました。
当地に於かれましても賊と戦い、野火によって正に一命も危うくなりました時、尊が帯刀しておりました天叢雲剣を抜いて薙払いついに賊を平らげました。


〇神楽殿


龍勢の竿がくくりつけられている。
 

 

〇龍勢の説明ディスプレー


この建物の中に龍勢の道具が揃っている。
<無形民俗文化財 龍勢(流星)煙火について>
文化財保護法により昭和59年3月16日付
静岡県選択 無形民俗文化財
保護団体 草薙神社龍勢保存会
龍勢(流星)煙火の由来
 戦国時代の天文12年(西暦1542年)初めて火縄銃と黒色火薬が伝来したのち、城攻め用の「火矢」から転じて「のろし」が考案された。
 「昼のろし」(龍勢)は煙や布切れ又は旗などを漂わせて「夜のろし」(流星)は光で合図しあうものであった。駿府城と久能山東照宮の守りとして、この技法が当地に口秘伝のまま受け継がれてきて、更に工夫改良され、安政年間からは日本武尊を祭神とする草薙神社の秋季例大祭日(9月20日)に打ち上げがおこなわれ現代に伝わっています。
龍勢(流星)煙火の仕組み
 この龍勢(流星)は「のろし」に始まったと言われます。約15mもある尾竹竿に、ロケット式火薬噴射竹筒を結びつけ、その上端部に各種の変化花火を仕込んである仕掛け筒を固着した構造です。
 発射ヤグラに掛けロケット式火薬噴射筒に点火、火薬の燃焼ガスの大音響とともに、自力により上昇展開する仕組みになっている。龍勢花火の製作・打上げは保存会員より実行される。
  草薙神社龍勢保存会。有度まちづくり推進委員会

 

 

今日は「ヤマトタケル」の物語の地「草薙神社」を訪ねた。

 

 

静岡市周辺には「ヤマトタケル」伝説の地が数多く有るので、ゆかりの地を巡る。

 

 

次回の「駿河の国で寄り道(35)」は「焼津神社」。