駿河の国で寄り道(25)「賤機山城址」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

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今回のテーマは「駿河の国の見どころ」。

 

「駿河の国の見どころ」での前回は「安倍城址」を訪ねた。

 

今回は「賤機山城址」

 

賤機山城址も建物は残っていない山城。

賤機山南端に位置する浅間神社から直線距離で北へ1km、標高173mに、かつて山城があった。

「安倍城址」と違い標高が低いので、浅間通りからハイキング気分で賤機山城址を目指す。

〇浅間神社百段


浅間神社の八千戈神社の脇に賤機山へ登る石造りの階段がある。
(大歳御祖神社の脇からゆるやかな坂道を登るルートもある。)
 

賎機山城へ行くには百段を登って右に向かう。

 

百段を登って左側に「賤機山古墳」がある。

 

〇賤機山古墳 

説明看板を読む。

賤機山古墳は、静岡平野の中心部に突き出た賤機山の南端に造られています。
葬られた人物は特定できませんが、6世紀後半にこの地方を治めた有力な豪族の墓と考えられます。
古墳の形は、直径約32m・高さ約7mの円墳で、内部には巨大な横穴式石室が造られ、石室内には遺体を納めた家型石棺が置かれています。


[賤機山古墳]
  

中を覗いてみると石棺があった。

 

説明書きの続き
<横穴式石室> 
賤機山古墳の横穴式石室は、巨石を組み上げて造られ、県内最大規模を誇ります。
石室は、遺体を安置する玄室と、玄室への通路である羨道~前庭とからなり、南に開く羨道の入り口は、遺体を納めた後で人頭大の川原石が積まれ塞がれました。
玄室と羨道の上には、重さ14トンを越える巨大な石を含む7個の天井石が載せられ、天井石の上は雨水の浸透を防ぐために、粘土で覆われています。
石室の石材は、高草山南端の大崩海岸から運ばれたと考えられています。



〇古墳の内部模型があった。 

-説明書きの続き-
<出土遺物>
 石室内は、過去に盗掘に遭い、副葬品の一部は失われました。特に石棺は側面に穴をあけて内部が荒らされ、棺内には、冠帽の破片やガラス玉などがわずかに残されていたのみです。
 しかし、石棺外には、遺物が数多く残され、中でも奥壁の前、石棺の西側、羨道からは、それぞれまとまって出土しました。遺物には土器や装身具、武器、武具、馬具、銅鏡、銅椀などがあり、これらの遺物の時代は、6世紀後半から7世紀前半に及んでいます。
 また、前庭の入口では、数個の甕が破片の状態で出土しましたが、これは、墓前でのお祭りで使われたものと考えられます。

 

 

 

〇浅間山


階段を登ってから山道を600mほど登ると開けた山頂に出て、賤機山慰霊碑・戦禍犠牲者平和観音像が建っている。
その隣にはB29の大空襲時にその時墜落したB29の搭乗員の霊を祠る碑が建っている。
慰霊碑の横を抜けて尾根づたいに北上する。

 

この辺りは、徳川家康が幼少期に育った「臨済寺」の裏山になる。

 

 

〇臨済寺

 

〇尾根伝いの道以外は険しく敵からの攻撃の防御に向いている地形なのだろう。

 

ところどころに石垣を組んだ場所があったのだろうか。
 

〇加工された岩が見られる。

 

 

〇空掘のような場所もある。

 

〇崩れやすい急斜面の地形。


〇危険な個所が多い。

 

〇木の根の階段。

 

〇道案内

 

 

〇ちょっと高台となっていてかつては施設が建てられたのかもしれない場所がある。

小さな平らなスペースがある。

 

もう少し進む。
 

 

〇この柵内は植物を保護している場所らしい。

 


〇どのような城が建っていたのだろうか。

 

 

〇見晴らしは良く、富士が良く見える。

空気がクリアでなかったので霞んでいた。
 

〇結構スペースは広い。

 

 

〇賤機山城のあった場所に石碑がある。

説明看板が立っていたので読む。
<賤機山城>

賤機山城は、南北朝の動乱期(14世紀)に、北朝方の今川氏が、安倍西岸の安倍城に本拠を構える南朝方の狩野氏に備えて築き、南北朝期以後は今川館の詰城としての役割を果たしていたと考えられている。
永禄11年(1568)には武田信玄の駿府侵攻によってその支配に降り、さらに天正10年(1582)の徳川家康の駿府入り廃城になった。
城は南北に続く賤機山の主尾根上及びそこから派生する支尾根上に築かれており、その範囲は東西約400m、南北約600m以上にわたる。要所には尾根を横切るかたちで大小の堀切が設けられ、敵の容易な侵入を防いでいる。
城の中心部分は今川氏の歴代の菩提寺である臨済寺をほぼ真下に見下ろす尾根上にあり、三つの主要曲輪から構成されている。この曲輪部分は城の中でも最も標高の高い尾根上にあり(最高約173m)、静岡平野を一望に見渡せる好所にある。

 

 

今回の「賤機山城」と前回の「安倍城」
古城跡を訪ねた。

 

市内には多くの城跡があるが「旧東海道」を巡った時に多くは訪ねている。

 

静岡市内で奈良時代以降の歴史を感じることが出来る「見どころ」は大体巡ってしまった感がある。

 

先ほど「賤機山古墳」に立ち寄ったように静岡には「古墳」が多く発掘されている。

 

 

次回「駿河の国で寄り道(26)」では「三池平古墳」に行ってみる。