駿河の国で寄り道(11)最古の東海道をたどる(その2) | れいんぼうの部屋

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釣り以外の記事の方が増えています。

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2022年4月から駿府周辺の旧東海道を撮りためた写真で振り返った。

 

前回は「最古の東海道」をたどった。

 

 

今回は「最古の東海道」の続き。


 

〇大和田の馬頭観音堂にある道しるべ

観音堂の脇に井尻峠を案内する道しるべが掛けられていた。
「東路(あずまじ)井尻峠←万葉の道大和田」と書かれていた。

 

日本坂へ向かう。

 

道の山側の脇には石垣が組まれている

 

〇小坂に入る

 

ポケットパークの塀に「最古の東海道(万葉の道)」の看板が掛けられている。
今通って来た道が最古の東海道

 

〇ポケットパーク

 

ポケットパークのすぐ先の角に「御所の前」と彫られた石柱が建っていた。

 

〇御所の前の石柱

石柱には由緒書きが彫られていた。
<史跡 御所の前>
大和朝廷は、大化の改新(645)により九州~陸奥の一部を統一。諸国に通ずる交通路の整備を図った。
大和の都から陸奥国に通ずる最古の東海道は、大化2年の駅伝制の詔により、駅馬、伝馬の制度が設けられた。
最古の東海道は万葉の道、駅馬の道とも言われ、高草山の何処を通ったいたかについては諸説ある。

初倉駅-小河駅-日本坂-手児の呼坂-横田駅が考えられる。
海抜302mの日本坂超えの道と、花沢から大崩海岸の平坦な通路の合流点が、倭建命の伝承の地「御所の前」。

 

 

「御所の前」の石柱の路地を入った所に満願寺という曹洞宗の寺があった。

 

〇満願寺

最近立ち寄ってみたら本堂は取り壊されて、代わりにお堂が建っていた。

 

〇満願寺

 

 

 

「御所の前」石柱から100mほど西の路地を南に入ると臨済宗向嶽寺派の雲梯山 瑞應禅寺がある。
 

〇瑞應寺山門

「小坂」には日本武尊に縁のある史跡が多くある。
瑞應禅寺の開基は日本武尊という伝説がある。

実は開基ではなく日本武尊ゆかりの館があり、その後、その地に寺が創建されたとも言われている。
またこの寺の開山が行基だったとの伝説もある。

 

〇瑞應寺本堂

本堂は安政4年に焼失し、明治23年に再建されたもの。
今は臨済宗向嶽寺派の寺

 

 

通りへ戻り日本坂へ向かってすぐの角に「安養寺」を案内する石柱が立っている。
100mほど入ると「安養寺」が見える。

 

〇安養寺の山門

門を入った左側に絵と字の描かれた看板が立っているので読む。(概略)
家康公お手植えみかん
安養寺裏山に徳川家康が鷹狩に来られた折、お手植されたものであると言い伝えられるみかんの木がある。

 

〇「家康公お手植えみかん」の看板

 

曹洞宗の「仏谷山 安養寺」。本堂は比較的新しい建物だった。

 

〇安養寺本堂

 

本堂裏の墓地入口に「七騎の墓(安養寺の宝篋印塔)」がある。
源頼朝が世に出るに今まで功労を共にし、功績のあった主な七人の侍の霊を弔うために建てた。
 

 

小坂の通りへ戻り日本坂へ向かうとすぐに「小坂の磐座鎮祭」の案内板が家の木壁に貼り付けられ、民家の門を入った所に「御所の石」という「日本武尊の腰掛石」がある。

 

〇御所の石


日本武尊が腰を掛けて休んだという。
<小坂の磐座(いわくら)の由緒>が書かれていたので読む。(概略)
日本武尊が峠越えしたと伝承され、名に因んで日本坂と呼ばれる。

日本坂は都と東国を結ぶ最古の官道で万葉の道、駅馬の道、防人の道として世に知られている。

坂の東口に古代人が信仰した神が宿る神聖な霊石として磐座が鎮祭されていた。

この霊石は平成元年9月台風禍にて崩落し、地主成澤義行政江夫妻がこれを痛み、守護神として自邸に奉祭している。

 

 

安養寺から西へ200m余りで公民館があって、その向い側にバスの回転場所がある。
新しい地蔵尊が立てられていて銘盤に説明書きが彫られていた。

 

〇小坂地蔵尊

説明書きを読む。(概略)

<小坂地蔵尊建立縁起>
小坂は、奈良朝の頃から佛教篤信の地であったが、明治17年9月15日の大暴風雨の時に古来の地蔵堂は崩潰して以降再建されなかった。

昭和36年9月26日に町内各家からの浄財により、尊像を製作し、露佛として安置に至った。

 

 

峠に向かってしばらく進むと日本坂の案内板がある。

 

〇日本坂の案内板

由来が書かれているので読む。(概略)

日本坂は奈良期の官道使われていた。

平安末期以降は、東海道が宇津の谷峠越えとなり日本坂超えは衰退した。

地元では生活に密着した峠として昭和初期まで用いられていた。
日本坂の名は、焼津の地名起源説話に影響されたと思われ日本武尊にちなむという。

 

道が二手に分かれている。
真っ直ぐ進むと日本坂。
右に曲れば満願峰への道となる。

 

 

右に曲がって300mほど坂を上ると右手に三十三観音が並ぶ。

階段を登ると観音堂が立てられている。

 

〇雲龍山満福寺

 

三十三観音の向かいには滝が落ちていて不動さんのお堂が建っている。

 

〇雲龍山不動尊

お堂の後ろに「翡翠の滝」が落ちている。

 

 

 

今回は「最古の東海道」の続きをたどり「小坂」までやってきた。

 

 

次回「駿河の国で寄り道(12)」では「日本坂」を越える。