駿河の国をwebで歩く(54)「江尻宿・久能寺観音道」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

「仲間の釣行記録」の見出しURLです。カット&ペーストで
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「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

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上の古地図のリンクを開いて「江尻宿編」を選択して散歩する。
 

今回は旧東海道から外れて「久能寺観音道」へ入る。

 

前回は「江尻宿編」の「上原村」を巡った。

 

上原堤を過ぎ「谷津沢川」の脇に「久能寺観音道道標」が立っている。

 

〇久能寺観音道道標

旧東海道のイオン入口の信号のある交差点の傍らに久能寺観音道道標というのがある。
ここでいう久能寺は今の東照宮のことではなく鉄舟寺の前身。

道標前に説明看板があるので読む。(一部抜粋)
久能寺観音道は、この平川地から有東坂・今泉・船越・矢部・妙音寺・鉄舟寺(久能寺)に至る有度山麓を通る道。
久能寺はもと久能山にあったが、甲斐の武田信玄が久能城を築城、そのため1575年に移築された。
明治になり廃寺。1883年「山岡鉄舟」が再興、久能寺を鉄舟寺と改め現在に至る。

 

 

〇谷津沢川の脇の自動車の通れない狭い道を進む。

 

南幹線の下をくぐり、200mほど進むと右に「誓願寺」が見える。

 

〇「延命山 誓願禅寺」という曹洞宗の寺

 

観音道は自転車もすれ違えないほどの路地を進み200mほど坂を上ると古地図にも描かれている楞厳院がある。

 

〇「補陀山 楞厳院」という曹洞宗の寺院

珍しい漢字の寺名は「りょうごんいん」と読む。

 

観音道へ戻り、進むと古地図に描かれている「白髭神社」がある。

 

〇白髭神社

秘境感のある神社。

 

寺の境内とも観音道ともつかない道を進むと古地図にも描かれている「玉泉寺」がある。

 

〇「普門山 玉泉寺」曹洞宗の寺だ

 

さらに、観音道を進むと「伊勢神明宮」があるが、古地図には描かれていない。

 

〇伊勢神明宮

 

さらに進むと整備された道路や住宅に変わり観音道の場所がわからなくなる。

 

桜で有名な船越堤の周辺は整備が進んでいて観音道の場所が分からないまま進む。

 

〇船越堤

 

北矢部に町名が変わって、また伊勢神明宮があった。

 

さらに進むと道が狭くなり観音道らしくなる。

 

間もなく「鉄舟寺」に到着する。

 

古地図には「村松村 御朱印地 久能寺」が描かれている。

 

鉄舟寺が「久能寺観音道」の目的地。今は鉄舟寺と呼ばれているがかつては「久能寺」と呼ばれていた。
まずは仁王門が迎えてくれる。門の脇に由来の看板が2つ立っていたので読む。(概略)

<鉄舟寺の由来>

鉄舟寺はもと久能寺といい、今の久能山にあって、およそ1300年の昔、推古天皇の時代、国主久能忠仁公によって創立。

奈良朝の初期、行基が中興した。
当時坊中360、宗徒1500人の豪勢をほこっていた。

武田信玄が今川氏を攻略し駿河に入る際に久能山に築城し、1575年に現在の場所に移された。

徳川幕府も古来からの名刹久能寺を愛護し御朱印地を賜った。
明治維新の混乱の中で長く栄えた久能寺も、住職もない廃寺となった。
山岡鉄舟が中心になって再興。

鉄舟は鉄舟寺の完成を見ることなく没したが、その尽力を記念して鉄舟寺と称した。


もう一つの看板を読む。(概略)
<国宝「久能寺経」装飾法華経嘱累品>
平安時代後期 1141年 鐡舟寺蔵
「久能寺経」は「平家納経」と並び装飾経の最高峰。

明治維新後の久能寺荒廃の折に8巻が散逸したが、残る「久能寺経」19巻は無事保存され、明治33年(1900)、国宝に指定された。

 

 

〇「鉄舟寺」の宝物殿


〇宝物殿の横の鐘楼

 

古地図に描かれている「一二社」が、「鉄舟寺」の隣に今もある「熊野一二社」

 

〇「熊野一二社」が祀られている。

 

古地図の「千手観音」は「鉄舟寺」裏から続く丘の頂上にある。
階段の入口に石柱が立っている

 

〇観音堂

 

 

「久能観音道」はここで終点となる。
 

〇観音堂から見た清水の市街地

天気が良ければ富士山が正面に見える。

 

古地図には描かれていないが「龍華寺」が近くにあるので寄ってみる。

 

龍華寺は鉄舟寺から300m南にある。

由緒書きを読む。(概略)

<観富山龍華寺>
当山は江戸時代初期に日蓮宗の高僧であった日近大僧都の開創

東山天皇は日近上人を崇拝せられ、この寺を皇室の祈願寺と定め、観富山龍華寺と御命名された。
天然記念物 大蘇鉄 大サボテンが境内に有る。
 

 

 

龍華寺から県道198号を500mほど南に行くと東側に天王山遺跡がある。

〇天王山遺跡

公園の一角に石碑が立っている。看板を読む。(概略)
天王山遺跡は、昭和26年から5回にわたって発掘調査が行われ、縄文時代晩期(約3000年前)を中心とした遺跡。

ここからの富士山、駿河湾、伊豆連山の眺めはすばらしく、西行法師(西暦1118~1190)も、あまりの絶景に「筆舌に尽くし難し」と感服し、筆をかたわらの池に捨てたといわれ、後にその池を筆捨の池と言い伝えられている。

〇「天王山神社」が祀られている。

古地図にも「牛頭天王」として描かれている。

 

有度山東麓を通る「久能寺観音道」を散策してきた。

意外にも、東海道から外れる道なのに古地図へ描かれた神社仏閣が多かった。

 

当時この道が、いかに大事にされてきたのかが伺われる。

 

ここで出発地点の「平川地」に戻る。

 

 

次回は「江尻宿編」の「狐ヶ崎」から東海道周辺を巡る。

 

 

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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