駿河の国をwebで歩く(44)「府中宿・久能山東照宮」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

「仲間の釣行記録」の見出しURLです。カット&ペーストで
https://ameblo.jp/rai-trout/theme-10112228739.html

「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

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上の古地図のリンクを開いて「府中宿」などを選択して散歩する。
 
 
前回は「府中宿」の伝馬町から久能街道に寄り道した。

 

今回は「久能街道」の終点「根古屋」から「久能山東照宮」を登る。

 

久能山東照宮は参勤交代の際に多くの大名が参拝した。

海岸線を通る国道150号線から久能山を臨む。

〇久能山下


久能山東照宮の参道には土産物屋が並んでいる。

先ずはゆるい坂が始まる。
鳥居をくぐった所に「久能山東照宮周辺のご案内」の看板があり、「石段、1159段をお登り下さい」と書かれている。
 

〇「久能山東照宮鳥瞰図」

わかりやすい絵図が描かれている。
案内板や鳥瞰図に並んで「久能山東照宮」の説明板があった。(抜粋)
久能山には、紀元600年ころ、久能正仁が建立したと伝えられた久能寺があった。

1568年、駿府へ進出した武田信玄は久能寺を有度山の東山麓(今の鉄舟寺)に移し久能城を築いた。

武田氏の滅亡とともに徳川氏の領有になった。
徳川家康の死後、その遺言によりここに葬られ、2代将軍秀忠によって社殿が造営された。

日光東照宮へは、ここから御霊の一部を移した。
 

〇灯籠がある所から階段が始まる。
 

 

家康公ゆかりの寺「久能山徳音院」が参道脇にある。

 

〇徳音院

<久能山徳音院縁起>が書かれていたので読む。(概略)

徳音院は徳川家康をはじめ三代将軍に仕えた南光坊天海(慈眼大師)により開かれた寺。
御本尊は徳川家康ゆかりの薬師如来。

家光の代には久能山にも社殿及び寺院ができ江戸時代は栄えていた。

明治になって山上の寺院は取り壊されて、麓の徳音院だけが元三、慈眼両大師堂として残された。

〇石垣積みの参道。


かなり急な坂を登る。
つづら折りの階段が延々と続く。
 

〇一ノ門・番所


古地図にも描かれている一ノ門をくぐって東照宮に入る。正面に門衛所が建っている。説明書きを読む。
江戸時代久能山の門を守る与力がいた番所で、ここで登拝者を制限した。
今回老朽化のため復元解体修理を施し保存した。

 

〇勘介井戸


古地図にも描かれている「勘介井戸」がある。説明書きを読む。
武田信玄の軍師山本勘介が掘ったと伝えられる。
この井戸は、戦国時代に山本勘介が掘ったといわれる。

 

〇楼門


「東照大権現」と書かれた楼門。静岡浅間神社にも似た造り。
表には神将。内側には獅子が守っている。
 

〇五重塔


ここに古地図に描かれている五重塔があった。礎石が真中に置かれている。説明板を読む。
3代将軍家光公の建立
高さ30m情奐美を極めたものである。
明治3年神仏分離で取払われた。

 

〇鼓楼

古地図には鐘楼と書かれている建物

 

〇唐門

 

〇拝殿。

拝殿の奥に本殿がある。ここに久能城だった時の本丸があった。
 

〇神廟

家康の墓。
日光の東照宮にもこれに似た墓があった。
久能城だった時代には「愛宕廓」と呼ばれる施設だった。
<重要文化財 神廟>
家康公は元和2年(1616)4月17日に薨去せられ御遺命によってこの地に埋葬し奉った。
廟に高さ6m、西向きになっている。

 

久能街道への寄り道の終点はやっぱりここ「東照宮」だ。

東照宮にはもっと多くの見どころがあるが主な施設だけを取り上げてみた。

 

伝馬町から10kmほどの寄り道になった。

 

 

 
次回は「府中宿・伝馬町」から「府中宿・横田町」へ進む。

 

 

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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