駿河の国をwebで歩く(16)「丸子路 その2」 | れいんぼうの部屋

れいんぼうの部屋

釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

「仲間の釣行記録」の見出しURLです。カット&ペーストで
https://ameblo.jp/rai-trout/theme-10112228739.html

「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

**********************************

上の古地図のリンクを開いて「丸子宿」を選択して散歩する。
 
今回も「丸子宿」に向かって散歩する。
 
旧東海道を丸子宿方面に向けて丸子路を進む。
〇旧東海道
このあたりは商店が多く丸子の中では賑やかな地区。
 
以前、長田西小学校の辺りに一里塚の碑があった。
そのあたりは丸子池田線という幹線に道路整備されたためか旧道に入った場所に移設されていた。
 
〇一里塚の石碑(丸子6丁目)

「一りづかあと」と彫られていた。
石碑の後ろには「大正14年7月静岡市」と彫られていた。
この写真を撮った後、この街道は道路整備されて様変わりしているようだ。
この石碑も新しく作り変えられた。
 

古地図を見ると「一里塚」の南に「細工所」と書かれた場所があるが、官営の工房がこの辺りにあったようだ。
現在も「一里塚跡」の近くの自治会が「細工所西自治会」と「細工所東自治会」と称している。
字名が「細工所」となっていると思われる。
 
 
「一りづかあと」の近所に「見附跡」という立て看板があったが、ここも道路拡幅工事の対象となったようだ。
周りの様子が日に日に変わってきている。
 
この「見附跡」から先が丸子宿。
 
〇見附
 

東海道五十三次の20番目の宿場町「丸子宿」
「手越」の手越長者と呼ばれる住人「平太家継」が鎌倉時代の奥州征伐の軍功によって、源頼朝に土地を与えられて設けた新駅の丸子宿が町名の由来。
丸子は麻呂子(まろこ)すなわち男子のこと。

 

古地図の「一里塚」の近くに「壽徳院」が描かれていたので探してみた。

丸子幼稚園になっている場所が「浄土真宗 壽徳院」だったらしい。

 

古地図に「水神」と書かれている鳥居があるが現在も丸子川の土手に「水神社」が祀られている。

 

〇水神社

〇水神社の入口に説明書きが4ページあった。

 

〇丸子宿の略図

 

〇丸子宿の説明

 

 

 

水神社のすぐ先の路地を北へ入って、国道を越え300m程行った山すそに寺がある。

 

〇龍國寺は古地図にも描かれている。

 

由緒が書かれていたので読んでみます。(抜粋)
「曹洞宗 九淵山 龍國寺」本尊は「青頭観世音菩薩」 創建 天正13年3月(1585)
この御本尊は、青頭観音また白衣観音と申して奇なる御像。

御本尊は昔鎌倉金沢の称名寺に納めるべく唐より渡来した千体の観音様

この船が相模の沖にて難破し宮の島に打ち上げられた時の一体で現存する唯一の観音様


古地図の「龍國寺」の近くに「戸斗ノ谷」(ことのたに)と書かれた場所がある。

現在も「戸斗ノ谷公園」と言う場所があるので、字名としているのだろう。

 

今回はここまでの散歩とする。

 

次回は「丸子宿」の核心部からスタートしよう。

 

 

「東海道まちあるきweb」の古地図は見どころが多く少しずつしか前へ進めない・・・<次回へ続く>

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
*****************