駿河の国をwebで歩く(13)「手越」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

「仲間の釣行記録」の見出しURLです。カット&ペーストで
https://ameblo.jp/rai-trout/theme-10112228739.html

「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

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上の古地図のリンクを開いて「府中宿」を選択して散歩する。
 
今回はいよいよ安倍川を渡り、手越へ到着。
府中宿の地図は手越で終わり、その先は丸子宿へと引き継がれる。
 
安倍川橋を渡って振り返ると遠くに富士が見える。
駿府の城下が富士を背負っているように見える。
 
〇安倍川橋(弥勒橋)から見る富士山
 
古地図を見ると安倍川の河原に説明が書かれている。
歩行渡「川幅6丁当時本瀬30間余」
川幅700m、当時の本瀬が50mほどだったという事なので今もほとんど変わらない姿だったようだ。
安倍川は梅ヶ島村から、藁科川は大間村から流れてきて
向敷地村の船山の上で合流して中島村で海に落ちる
「安倍川と藁科川が船山の上で合流して中島で海に出る」とも書かれていて、こちらも現代の地名、地形と変わっていない。
古地図にも安倍川の河川敷にある「船山」と「木枯森」が描かれていて現代と通じる。
 
〇船山
〇木枯森

 

安倍川橋を渡る時に右側に小さな山が見えている。

金山と言って古地図にも描かれている。

 

江戸時代以前には「安部城」の出城「狩野砦」が築かれた時代もあって街道筋の重要な拠点となっていた山だったようだ。

 

現在は「妙音寺」という日蓮宗の寺が建っている。

 

〇金山(妙音寺)

この本堂のあたりにかつて古墳があったらしい。
 

金山の麓に「心光禅院」という臨済宗のお寺がある。
開山300年祭を昭和61年に行なったとの記録があったので1686年ころに開山された寺。

古地図にも「心光院」が描かれている。

 

〇心光院

新西国三十二番 千手観世音菩薩 駿河一国百地蔵の4番

 

古地図を見ると「心光院」のすぐ横に「少将社」と書かれた神社も描かれている。

現在も「少将井神社」が「心光禅院」のすぐ横にある。
 

〇少将社

入口に看板が立っていて由緒が書かれていた。(抜粋)

当神社の祭神は「すさのおのみこと」で創建は源頼朝が鎌倉幕府を開いた翌年の1193年。曽我物語で有名な曽我兄弟の仇討のあった年。曽我物語にある工藤祐経の遊君少将君の名とともに知られてきた。

明治12年村社に列し、その後、手越桜山鎮座の村社神明宮(天照大神)、手越向山鎮座の山王神社(大山咋神)、手越水神鎮座の水神社(罔象女命)、手越藤木鎮座の左口神社(猿田彦命)合祀して祭神は五柱となる。

 

分かったような分からないような説明だったのでチョット調べてみたらますます分からなくなった。

 

<チョット調べた内容>

※源頼朝が富士の裾野で行った大規模な巻狩りが1193年の事なのでこの神社の創建と同時期だったということだ。
※「少将」と「千手の前」は同一人物で手越の長者の娘で街道一の美女だったらしい。

※長者屋敷があった所の少将井神社が「千手の前のゆかりの地」となっている。

※曽我物語、平家物語、吾妻鏡などに登場する「千手の前」だがそもそも物語なのでそれぞれ脚色が違う。

※平家物語では「平重衡」人物像に感心した「源頼朝」が「狩野宗茂」に「平重衡」を十分に労わるよう指示した。
そこで「千手の前」が琴を弾きながら白拍子を朗詠したりして「平重衡」に心を尽くす。
※そもそも少将井は平安時代の歌人「少将井尼」の京都の居宅にあった井戸のことで「八坂神社」(祭神が素戔嗚尊と奇稲田姫)の井戸に祀られた神を「少将井殿」と呼んだ。

※また、紺屋町にある小梳神杜は、俗に少将井宮(少将井社)といい駿府城築城の際、城内から紺屋町へ遷された記録がある。

 

ともかくミステリアスな「少将井神社」でした。

 

街道へ戻り、丸子宿へ向かうと程なく左手に寺が現れる。
 

〇高林寺

 

臨済禅宗高林寺という。ちょっと由緒が書かれたものでもないかと探したが見つからなかった。
山門横の石柱には「官許・元祖手越名灸所・御霊山高林禅寺」と書かれていた。
後で聞いた話では、1652年に由比正雪を自殺に追い込んだ武士がその褒美の金で、供養のために神社と寺をこの地に設立した。

駿河百地蔵第五番霊場

子育地蔵尊(松根子育地蔵尊)

 

〇高林寺の神馬

庭の片隅に木馬堂というのがあって、木馬が祀られている。
後で調べたら、浅間神社の木馬と縁があるといったことらしい。
 元は浅間神社に有り、火災の時に神社を逃げ出し、1頭は浅間神社に戻ったが、1頭は御穂神社へ逃げ、あと1頭がこの地に逃げた。

 

浅間神社の楼門の脇にある左甚五郎作と書かれた神馬とよく似ている

 

 

〇手越から丸子の宿までの道は旧東海道の雰囲気が楽しめる。

 

「古地図で巡る駿州の旅【府中宿編】」は今回で終了。

 

次回からは【丸子宿】と古地図が変わる。

 

 

「東海道まちあるきweb」の古地図は見どころが多く少しずつしか前へ進めない・・・<次回へ続く>

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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