駿河の国をwebで歩く(11)「川越町」「弥勒町」 | れいんぼうの部屋

れいんぼうの部屋

釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

「仲間の釣行記録」の見出しURLです。カット&ペーストで
https://ameblo.jp/rai-trout/theme-10112228739.html

「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

**********************************

古地図のリンクを開いて「府中宿」を選択して散歩する。

 
前回は「新通り」の近く「安倍川町(二丁町遊郭)」で遊んだところで終わった。
 

「新通り」に戻って川越町へと歩を進める。

 

〇新通りの川越町へ入ったところからいままで来た新通りを振り返る。

「新通り」は主要幹線から外れて信号の連動が悪いので交通量が少ない。

川越町は安倍川の川越人足たちが住んだ町だった。

「川越町」は「新通川越町」「本通川越町」「堤添川越町」と三か町あり、安倍川渡河にいかに多くの人手を要したかを物語っている。

 

「川越町」は「新通り」の出口になり、この先は「弥勒」と町名も変わる。 

 

〇川越町から静岡環状線を越えた弥勒方面を臨む。

この写真の撮影場所あたりに府中宿の宿境となる府中西見附があった。

古地図を見ても「川越町」の出口は門のような柵がある。

東見附は横田にあったので、府中宿は3km程の広い宿場町だった。

 

静岡環状線を越えて弥勒1丁目へと入る。

 

弥勒方面の写真に写っている緑地の一角に交番が建っている。

このあたりには高札場が立っていたらしいことが書かれていた。

 

古地図にも弥勒町の街道沿いに 高札場が描かれている。

 

弥勒の交番の脇に川会所跡の説明看板が立っていた。
 

〇弥勒川会所跡の看板

説明を読む。(抜粋)

東海道では川に架橋を禁じられていた。東海道を往来する旅人は川越人夫に渡してもらわなければならなかった。この川越人夫が人や荷物を渡すのを監督する所が川会所であった。

安倍川の川越え賃は、脇下から乳通りまでは一人64文、へそ下は55文、へそまでは48文、へそ下は46文、股までは28文、股下は18文、ひざ下は16文であったといわれている。
 

「川会所」も古地図に描かれていて見ることが出来る。

 

〇この案内図は弥勒緑地(みろく公園)に立っている。

周辺には名所がひしめいているのがわかる。

 

〇弥勒町の由来が書かれtた看板

内容を要約する。
弥勒という町名は、山伏の「弥勒院」が還俗して源右衛門と名乗り、安倍川岸の「みろく茶屋」と称し餅を売った。これが名物「安倍川餅」の始まりとなり、のちに源右衛門がこの周辺を開発したことが由来。

 

〇由井正雪公之墓趾の石碑

以前から「沓谷」の「菩提樹院」に由比正雪の首塚があることは知っていた。

ここにもあるなと思ったら説明看板に謂れが書かれていた。

抜粋して読んでみます。

「正念寺」は「弥勒町」にあった寺で、由比正雪の菩提を弔うために奉納された十三仏と首塚があったが1870頃廃寺となり十三仏は「横内町」の「来迎院」に、由比正雪の首塚は「菩提樹院」に移され、現在は「沓谷」にある。
 

現在、「正念寺」は無いが、古地図には描かれている。

説明看板にも書かれているように石碑が建っているあたりが「正念寺」の跡なのだろう。

 

弥勒は見どころも多く次回も周辺を巡る。

 

 

「東海道まちあるきweb」の古地図は見どころが多く少しずつしか前へ進めない・・・<次回へ続く>

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
*****************