駿河の国をwebで歩く(10)「新通」 | れいんぼうの部屋

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釣りの記事をメインにしようと思っていましたが
釣り以外の記事の方が増えています。

「仲間の釣行記録」の見出しURLです。カット&ペーストで
https://ameblo.jp/rai-trout/theme-10112228739.html

「東海道まちあるきweb」の古地図を使って現代の静岡をwebでバーチャル散歩。

 

***古地図は次のサイトを開いて見ている***
「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が作成。

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古地図のリンクを開いて「府中宿」を選択して散歩する。

 

今回の街道歩きも「新通り」。

 

古地図を見ながら現在の街を探索すると当時の名残りと時々出会えてワクワクしてくる。

 

江戸時代の名残りの施設というと、ほとんどが寺か神社だが、新通り沿いには古地図に載っている施設が「多宝院」しか見当たらないが、その寺は今は無くなっている。

 

現在は秋葉神社と伏見稲荷があるが古地図には見つからない。

 

古地図と現在の地図を比べながら「新通り」を安倍川方面へ進むと秋葉神社と伏見稲荷「2丁目」が終わり「しあわせ通り」と交差し、「川越町」へと変わる。

 

〇秋葉神社

1階が倉庫なのか駐車場なのか?

2階が神社になっている。

 

〇伏見稲荷

 

「新通り」を安倍川方向へ進んで「川越町」へ入る前に「しあわせ通り」の交差点を左折。

 

東海道から外れてちょっと寄り道。

 

「新通り」から100mほど行くと静岡県防災センターがある。静岡は昭和50年ころに東海地震が明日にでも起きるかもしれないと言われて50年近く防災に力を入れている。
 

古地図では「安倍川町」という一角へ入る。

 

〇その防災センターの裏の小さな稲荷神社。

 

稲荷神社には「双街の碑」が建てられ説明文がありましたので読みます。(抜粋)

双街とは、2丁の街という意味。
江戸時代の初期、この駿府のまちでも男女野合の悪習が盛んに行われていた。
家康はこの悪習を正すため揚屋町ほか、7ケ町にこれを区画し、京都、伏見から遊郭を誘致した。

元和元年間に5ケ町を江戸吉原に移した後、この2町の遊郭は昭和の時代まで続いた。
 

古地図の「安倍川町」の一角は遊郭だったようだ。

(古地図に「二丁町遊郭」の説明があった)

絵を見ても厳重に管理されていた様子がわかる。

 

今回は、「東海道膝栗毛」と同じく「二丁町遊郭」にて一休み。

 

 

「東海道まちあるきweb」の古地図は見どころが多く少しずつしか前へ進めない・・・<次回へ続く>

 

*******参考*******
「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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