今日から「東海道まちあるきweb」と「駿河の国 東海道 (見て歩き)」を使って遊んでみます。
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「東海道まちあるきweb」(https://tokaido-guide.jp/about)
は「静岡市観光・MICE推進課」と「藤枝市街道・文化課」が主体となって作成されたものらしい。
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「駿河の国 東海道 (見て歩き)」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~rainbowhp/tokaido/tokaido01.htm)
は私が10年ほど前に作った静岡市を中心に東海道周辺の写真を集めたまち歩きのサイトです。
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それでは伝馬町の終点「江川町」を出発して「呉服町」へと東海道を西に向かってみます。
〇現在の江川町
この江川町交差点は御幸通り、北街道、伝馬町通りがぶつかる変形5差路の交差点。
この交差点の名前だけが江川町の名残を残す。
韮山反射炉で有名な伊豆国韮山代官だった江川太郎左衛門の先祖が住んでいたとも言われている。
〇呉服町
本通方面から1ブロックずつ丁目が変わり、かつては6ブロック目が6丁目になり、最後がこのスクランブル交差点になる。
今では、呉服町を大きく2つに分けていて一丁目と二丁目だけになっているが、地元では愛称として「呉6商店街」と呼ばれている。
スクランブル交差点を右に曲がる呉服町通りが旧東海道。
今日は少し寄り道をする。
古地図で鍛治町と書かれた道を直進した先に宝台院がある。。
現在も500mほど進み国道362を過ぎたあたりの路地を左折すると宝台院がある。
江戸時代には現在の常磐公園から南東側一帯が当寺院だったほど大きかったらしい。
年配の人には懐かしいのだが、旧国鉄時代に鉄道を跨ぎ駿河区方面へ行く陸橋の名前を宝台橋と称していた。
〇門を入った所に五輪の塔がたっている。
説明書きを読んでみます。
《宝台院》 金米山宝台院龍泉寺という。
室町時代の永正四年(1507)鎌倉光明寺八世観誉祐崇上人開山の浄土宗寺院で、天正17年(1589年)家康の側室西郷局(お愛の方)が駿府城で病没し、その菩提所となった。
(中略)
戦災により焼失
(中略)
久能海岸安居の照久寺へ別院を建立し、檀家の墓地のすべてを移葬した。
今ではビルの谷間に名残りを残すのみだ。
「東海道まちあるきweb」の古地図は見どころが多く今日はこの辺で・・・<次回へ続く>