15年ぶり | ああいえBAR 旧館・支那竹銀座より

ああいえBAR 旧館・支那竹銀座より

「支那竹銀座」はラーメンズ小林賢太郎さんに名付けてもらいました。
負け犬というよりバカ犬。飼い主には従順素直。
悪そうなヤツや知らない人には、吠えたり噛み付いたり。
エサくれたら恩は忘れません。面白いエンタメを求めて日々彷徨っています。

きょうも初の出先に行く予定があって

駅と地図までは事前に確認していたけど

実際歩いてみたら、

あれ…?懐かしい感じがする…

 

思えば、東日本大震災の直前に

1年弱、出向で通っていた通勤路だった。

 

きょうの目的の出先は、その勤務先の少し先。

 

15年ぶりの道を歩いた。

 

東日本大震災があったその日が

この通勤路を使った最後の日となっていた。

 

当日、大震災が起こったその時、

私はそこの3階のオフィスで仕事をしていたんだけど

大きな揺れで、近くのパソコンが倒れてこないように

押さえるのに必死だったし、

通路にあった棚は全部倒れてくるし、

天井が剥がれて落ちてくるし…

安普請(失礼な(笑))だったそこの社屋は

東京とは思えない被害を受けていた。

 

机にあったコーヒーが零れて

文具を茶色に染めてた。

泣き叫ぶ女性社員もいたけれど

私はどこか冷静で、いつ戻ってこれるかわからないから…と

自分の荷物をまとめて即座に避難した。

 

外にあった喫煙所付近に全員が避難して出てきて

同じ東北出身のご高齢だった当時のボスが

「あなたは今すぐに帰りなさい。すぐに(交通が止まり)

帰れなくなるから。ここの心配はいらない」

と送り出してくれた。

 

電車は止まっている可能性があるし…

徒歩3分の所に三軒茶屋を通るバス停があったはず。

バスならすぐには止まらないだろうからバスにしよう。

そこからなら、当時住んでいた家まで

頑張れば歩いて帰ることができる……

 

と、ギュウギュウ詰めのバスに

なんとか乗り込むことができて

三茶まで戻って

そこから一時間近く歩いたかもしれない。

不安を落ち着かせて頭を冷静にさせるには

ちょうどいい距離だった。

 

で。きょうの目的地ですが、

私があの日乗り込んだバス停のすぐ近くでした。

 

震災のあと自宅について、余震が怖かったので

隣にあった店の店主と仲が良かったので

そこで時間を過ごさせてもらった。

自宅は物が多少落下していた程度で

大きな被害はなかった。

隣の店も、酒の瓶が対利用に並んでいるのに

一本も被害がなかったそうだ。

 

…なんだったんだ…あの会社の被害は…

この日を境に、その会社では業務ができず

別の場所での仕事再開となったので

こんなに長い月日が経ってた。

 

15年ぶりの通勤路。

地図を観ても思い出せなかったけど

目と足が覚えてた。

 

ここに蕎麦屋さんあったなぁ

この畑、まだ維持されてるんだぁ

そういう郵便局がこんなところにあって

ここにコンビニ、あったあった

こんな所にビール屋さんができてる!

と、懐かしさと感動で胸がいっぱい。

 

あの会社があった所を通ってみると

高さとか作りとかは変わっていなくて

外壁が新しくなった…ような印象。

まだあったんだ(笑)。

ちなみに、その時送り出してくれた

ご高齢の東北の先輩は、

その数年後、お亡くなりになられたようです。

あの時はありがとうございました。