2ヶ月間の備忘録。 | 遥かなすぐ近くに

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2015年1月不妊治療(早発閉経)に終止符。
仕事・ライブ参戦・カフェ巡り・スポーツジム・・と自己満足な私の備忘録。
夫婦二人で、今後、どんな人生を送ろうか?考える事を今後の趣味に加えて行こうと思います。 

今日で4月が終わり。

2013年の3分の1が終わったって事だ。

過ぎて見れば早いけど。。


1月はまぁ、平和に平凡に過ぎたけれど、

2月になり、旦那氏の体調が不安定になり、中旬から仕事を休み始める。


2月下旬、母が年に一度受けている胃カメラで潰瘍が見付かる。

引越疲れやストレスでかな?なんて言いながら、食欲不振を気にしてた。

だけど、「潰瘍の薬飲んだら食欲出て来た!」なんて言いながら、一緒にカフェランチして。


潰瘍の精密検査をしていて、3月上旬の結果が出る直前に、

「体重が減って来たんだ・・」

と不安そうにしている母に、

「大丈夫だよ!」

と不安にさせないため、そして信じていたから言ったんだけど、結果はまさかの早期胃がんだった。


母は一人で告知を受けて、一人で帰宅して、仕事中の私や弟に電話をかけてきた。

母は

「とりあえず大丈夫だから!早期だし、手術して悪いところ取っちゃえば大丈夫!」

と、いたって冷静に私達に話した。


仕事を定時で切り上げ、実家へ帰宅。

私が珍しく仕事帰りに実家訪問をしたので、甥と姪が不思議がる。

子供たちを部屋に戻らせ、私と弟は母から医師の診断内容を聞いた。


早期だけど、患部は広いので胃の摘出を伴う手術になりそうとの事。

そして、病院は選ぶ権利があるので、他の病院が良ければ紹介状を出すとの事。


後日、母と弟で医師の説明を聞きに外来へ行く。


この手術をするにあたり全く問題が無く、日常に行われている手術という事を聞いて、

今回は私達の家と会社の近くにある病院にこのまま、手術をお願いする事を決めた。

その方が、私達も入院中の母のサポートもしやすいし、手術も心配無い、さらには、転院するとなると検査が1からやり直しなので、手術が先延ばしになってしまうから。


決めてからが早かった。

告知から4日後には入院を決め、その6日後には入院。

入院までには、家族で私の永年勤続祝いの飲み会をしたり、母の誕生日のお祝いに食事に連れて行ったり・・・。

胃の手術をしたら、食べることに制限が出るから、食べれる内に食べたいモノ・・・と思って色々と考えて過ごした。

入院後は手術の為の検査を行って、途中、週末に外泊をはさみ、そのタイミングでランチに行って・・・

手術前日に医師から手術の説明を3人で聞き、入院から10日目に手術。

大丈夫と聞いても、やっぱり心配。手術室へ向かう母の姿が忘れられない。


術前は「本当に病人?」みたいに、いつもニコニコ、看護師からも元気だね~って言われていた様子。

だけど、術後、酸素マスクをしてベッドに眠る母を見て、涙止まらず。


手術の日から4日間、仕事を休んで付き添いをしたけど、完全看護だから泊まり込みする訳でも無く、母は「自分は大丈夫だから、帰ってあげて。」ばかり。

私は「一緒にいたいんだよ。」と、それを伝えるのにも泣いてた。苦笑。


術後の1週間は色々と苦痛そうだったけど、その翌1週間は沢山ついていた管がみるみると取れ、食事も始まり、まさかの術後2週間後の4月中旬、退院。

入院予定1カ月程度とは聞いていたけど、26日間の入院生活だった。


退院出来たけど、心配事はあった。

母が一番気にしていたのは、リンパ節等への転移、今後の治療(抗がん剤、放射線等)。

すっきり悪いところは取ったけど、抗がん剤等があったら・・・という思い。

亡き父が食道がんで苦しい治療をしているのを一番近くで見てた母だから。。


退院2週間後の外来での診察まで、本当に長かったと思う。

「診察一緒に行くよ」と声掛けても大丈夫と言ってたけど、それは強がり。

もう告知の時みたいに一人にはさせたくなかった。

勿論、結果は大丈夫と信じていたけど。


一緒に診察室に入って、先生に会う。

母は先生からの話を待たずに、「転移は?」と聞き始めた。

先生、笑って「術後も退院の時にも、きっと大丈夫ですから!!って言ったじゃないですかー。大丈夫でしたよ。」

と。

母は安堵の様子。

そして、私、後ろで泣く。苦笑。

その後も、良かったなぁ・・と思いながら先生の説明を一緒に聞く。

母「食事の加減、(ここで食べるの辞めた方が良いとか)わかってきました。」

先生「術後1カ月でわかるとは、優秀優秀!!」

と笑ってやりとりする様子を見て、また涙。苦笑。


診察が終わり、待合室で待っててくれた、母を車に乗せてくれた義妹に診察結果を報告。

・・・する二人の様子を見る私、しゃべれず。苦笑。

義妹にスマンのジェスチャーをし、彼女に母を託し、私は会社に戻ったのでした。。


診察の日が来るまでの2週間。

退院して自宅に戻れた喜び反面、不安は残り。

その間に母からの手紙があり。

感謝の言葉や不安な気持ち等をつらつらと。

不安は体調だけではなく、家族の事等も。

母の勘違いと思う気持ちもあったので、安心して欲しい思い等を私からもつらつらとお手紙を返し。

読むも書くも、また、涙。


私は本当に泣き虫で、病気がわかってから母よりも泣いていたと思う。

心配させまいと思うのに。



胃を3分の2摘出してしまったので、当面、食生活が大変。

術後から数週間・1カ月・3カ月・6カ月・12カ月・・・と食べれる物が少しずつ増え、また一日の食事の量が変わって行く。

食べれると思っても、胃のもたれや逆流性食道炎等の症状、便秘等に気を使わないといけない。


食事に仕方は栄養士の指導で、少しずつ慣れて来た様子。

それでも、加減は難しいし、食べていいものは限られているから、可哀想・・・。


今まで、一緒に出掛けてカフェランチをしてたけど、それも当分、出来ない。

母の楽しみだった、サークル活動も当分出来ない。


病気になって、楽しみを取り上げられてしまった。


だけど、今回、こうして早い段階で病気を見つかった事、手術が成功した事、抗がん剤治療等が無い事、、

本当にラッキーであり、父が「俺の分まで人生を楽しめ!」って守ってくれたんだと思う、、、と母。

私もそう思う。


母の目標は、元気になって体力つけてゴハンをしっかり食べれる様になったら旅行したい!!との事。

焦らず、だけど一歩ずつ、元気に元の身体に戻ってくれるといいなぁと思う。

これから、今までよりも一層、気遣って、お母さんを大事に大事にしたい。



そんな事を私も弟も義父母には内緒にし、ご近所にも内緒にしている。

知っているのは、時期がお彼岸に被った為にそれで連絡を取る一部の親戚、二人の職場の同僚のみ。

義父母からは嫁に会ってない、連絡取ってない等々、不審に思われているかも!?


入院1カ月前には義父母と母は3人で旅行をしてた。

そんな付き合いなので、旅行や食事は当面無理だから、いつかはばれるだろう。


心配させたくないと隠す母の気持ちもわかるけど、隠し通すのは大変・・・




という、この2カ月は濃密?濃厚な日々であり、現在進行形でありました。