避難生活 | 遥かなすぐ近くに

遥かなすぐ近くに

2015年1月不妊治療(早発閉経)に終止符。
仕事・ライブ参戦・カフェ巡り・スポーツジム・・と自己満足な私の備忘録。
夫婦二人で、今後、どんな人生を送ろうか?考える事を今後の趣味に加えて行こうと思います。 

3月11日の東日本大震災から2回目の朝を迎えようとしてます。

地震が起きた時は、とにかく家族の安否が気になり、旦那の両親以外はわりとすぐ(と言っても1時間はかかった)メールで確認取れ。

私の会社では、男性は親会社の工場内での爆発の対応や、会社待機。女性は6時過ぎに解散になりました。私は帰宅して一人になる方が怖かったので、10時過ぎまで会社に待機して、残ってる従業員のごはんの対応を。
コンビニで買ったカップラーメンで。

コンビニやスーパーのパンやお菓子、カップラーメン、水を始めとした飲み物、売り場の棚には何も無い状態です…。


会社にいながら、旦那が帰れるか様子をメールでやりとり、兄弟みんなでメールの出来ない義父の安否確認。。

私は、会社から母や弟家族がいる避難所へ顔を出しました。
すると、私の住む地域も海に近いため、避難勧告が出ていて。
会社の制服姿だった私はいったん帰宅。
そこで、初めて地震後の我が家を見た訳ですが、建築3年の新し目の家だったから建物そのものはダメージは無さそう、荷物は散乱してますが、家具は移動?ずれている程度で、割れものは無し?まだマシな方かな…

身支度と荷物を持って避難所へ。

その時、旦那は7時半に連絡を途絶えたまま…

最後のメールが「ガソリンやばい」だったから、ガス欠?とケータイの電池切れを予想し、24時、迎えに行くことにし車を走らせ。

大津波警報のために行く先の橋がほとんど通行止め、ガソリンスタンド探しもしながら、、なんてしてるうち、旦那より、「実家についた!父も無事!」のメールが届き、、安心したのでした。。
このまま、旦那は義父と実家で過ごし、私は避難所にて、長い長い1日を終えるべく27時に就寝。

*=*

3月12日
朝は母と弟と朝食を求め近くのコンビニへ。
誕生日だった弟、「まさか誕生日に3人揃ってコンビニとは」…もっとも。
コンビニはやっぱり何もなかったので、相談した結果、母と各々一次帰宅。
お米を炊いておにぎりを作り、、
炊いてる時間にテレビをつけながら簡単な片付け。

映像はどれも目を背けたくなるものばかり。
日本、大変な事になっちゃった…

そんな中、家電話がなり。
入院中の義母からだった。
「はじめて連絡とれた!」
電話は繋がりにくいけど、ケータイは本当に繋がらず、義父とも誰とも連絡取れてなかったみたい。
皆の無事を報告して。
偶然にも、この日に退院するはずだったけど、病院にお願いして退院を延期してもらう事に、、

大量に作ったおにぎりの冷凍食品のおかず、ミネラルウォーター(つね日頃のアルカリイオン水大量買いが役にたった!)を持ち寄り、避難所へ。
今までの生活にありがたみを感じながら、食しました。

地震から24時間たった夕方、少ないメールのやりとりしか出来てなかった、旦那と義父が避難所に到着。
やっと顔が見れて一安心。


今、避難所で、家族一緒に過ごしています。

環境は、そりゃ、家と比べたら…だけど、電気もあって、少しの仕出しもあって、新聞も配られて。
何より家族が一緒にいられて、本当にありがたいです。

いつまで続くかわからないけど、頑張ります。


ありがたいコメントやメッセージ、ありがとう。
元気でます!

返事はまた落ち着いたら絶対しますゆえ、お待ちくださいねm(_ _)m